風邪とパン粥③
「ベルおねえちゃん、これすっごくおいしいねぇ」
頬を赤く染め少し熱がありそうな様子の子供たちが、美味しい美味しいとベルに笑顔を向けてくれる。
お昼用にパン粥と果物を準備した後、歩いて食堂へと来れる子達にはベルとマイクが対応してお昼を食べさせる。
念の為ベル手作りのマスクをつけ、皆にパン粥を振る舞っていく。
美味しい食べやすいと喜んでくれる子供たちの様子を見れば、ちょっとだけ安心しホッと息が漏れる。
熱がまだ高くベッドから起き上がれない程体調が悪い子達には、ビルとジョージが食事を運んでくれている。
本当はベルが症状を確認したいところだったが、ベルお姉ちゃんに風邪がうつったら大変だと子供たちとマイクに止められてしまった。
マスクをつければ大丈夫だと言ったのだが、残念ながらそこは認めてもらえなかった。
マイクにも「いけません」ときつく止められてしまったので仕方がない。
それにどうしてもの時には遠慮せずベルを呼び出すことをビルとジョージと約束をしたので、大丈夫だと信じることにした。
なので軽症者を見ているベルだったが、食欲がある子供たちを目の当りにしてホッとしていたところだった。
「ベルお姉ちゃん、院長先生にもパン粥食べさせたよー」
「果物も食べさせたし、薬も飲ませたー。ベルお姉ちゃんにどうもすいませんって伝えてくれって院長先生泣いてたよー」
慣れないマスクをつけながらも元気に階段を駆け下りて来たビルとジョージが院長先生の様子を報告してくれる。
その言葉が可笑しくって思わず笑いそうになるが、院長先生のプライドの為グッと堪える。
子供にお世話してやったと言われたうえ、ベルが笑った事を知ったら院長先生は傷つくだろう。
優し気な院長先生の顔を思い出しながら、ベルは笑いを飲み込んだ。
老人と呼べる年齢に達する院長先生にだけは、ベルが直接会いに行った方が良いのでは?と思ったのだが、そこもやはり皆に止められてしまった。
お年寄りとはいえ今は結婚していない院長先生はいわば未婚男性、その寝室にベルが入る訳には行かないので当然だ。平民ならば簡単に行く事も、貴族令嬢としては融通が利かなくなってしまう。
でも院長先生は結構いいお歳。
年齢的にも風邪が悪化しそうで不安だったが、ご飯を食べ薬を飲めたのならばもう大丈夫だろうとベルは胸をなでおろす。
食堂に集まった子供たちをまたベッドに送り込み、ベルとマイク、そしてビルとジョージもお昼を摂ることにする。
しっかりと手洗いをし、うがいも念入りにする。
風邪ひきの皆が使ったテーブルや椅子は消毒を兼ねてしっかりと拭き直しをし、お茶を入れやっと一息つく。
ビルとジョージはとてもお腹が空いていたのだろう。
目の前に置かれたサンドイッチに勢い良くかじりついた。
その様子を見てベルはハッとする。
もしかして二人は朝ご飯を食べていないのではないかと、今頃になって気が付いたからだ。
院長先生が急に寝込んだ事を聞いた時に、そこは察してあげるべきだった。
リックとの喧嘩で自分の鈍感さに気づいたはずなのに、またこうして彼らの様子に気付けなかった。
自分のダメさ加減に思わずため息を吐くと、ビルとジョージに「どうしたの?」と尋ねられた。
「二人共、もしかして朝ご飯を食べていなかったのではないかしら?気付かずに沢山の仕事を押し付けてごめんなさいね」
ベルの言葉を聞いてビルとジョージはきょとんとした顔をする。
何を言っているのか分からない、そんな様子だ。
「俺達が朝ごはん食べてないからってなんでベルお姉ちゃんが謝るのさ?」
「そうだよ、お昼と夜も作ってくれて、薬だってくれて、こんなによくしてくれてるのに、なんでベルお姉ちゃんが謝るの!」
「だって貴方達はまだ子供なのよ、食事を抜いているだなんて、大人である私が気付いて上げないといけないことだったわ」
ベルは本気でそう思っているのだが、ビルとジョージは目を合わせた後クスクスと何故か笑い出した。
揶揄っているとかではなく、どこか嬉しそうで、頬や耳もちょっとだけ赤くなっている。
どうしたのかしらと素早く食事を終えたマイクに視線を送れば、マイクは苦笑いだ。
何か可笑しなことを言ったのだろうか?
二人の次の言葉を大人しく待っていると、そわそわとしたそれでいてどことなく嬉しそうな様子で、ビルとジョージが話を始めた。
「ベルお姉ちゃん、心配し過ぎだよ、俺達なんて朝飯抜くことなんかしょっちゅうあるのにさー」
「そうだよ、俺達、朝だけじゃなくって、仕事の手伝いに出て昼だって抜くこともだってあるんだぜー、ベルお姉ちゃんが気にすることじゃないよ」
うれしいけどさと言いながら照れている様子のビルとジョージを見ながらベルは益々申し訳なさが募る。
朝ごはんだけでなく、昼食まで抜いていると聞いて、ベルはなんで今までそんな事にも気付かなかったのだろうと自分を責めた。
ビルもジョージも成長期だ。
食事を抜けばどんな弊害があるか分からない。
ビリジアン王国という大国の孤児院でもそんな状態なのかと思うと胸が痛かったし、これまで毎日孤児院の子供たちと接していたのに、そんな大事なことに気付けなかった自分が情けなかった。
「ねえ……二人さえ良かったら麦の家で働いてみない?そうしたらご飯をぬく事なんてなくなるわ」
「「えっ?」」
突然のベルの言葉に、テレていた二人は今度は驚いた顔を見せる。
けれど二人が麦の家で働いてくれれば、これから先孤児院への支援もしやすくなるし、孤児たちの就職先の一つとして麦の家も入るはずだ。
「ビルもジョージも料理が好きみたいだし、今日一緒に料理を作ってみて手際もとても良いことが分かったわ。まだ就職先が見つかっていないならば、麦の家も一つの候補として考えて欲しいの、二人ならきっとすぐに戦力になれるし、私だけじゃなくレオだって喜ぶわ。それに二人は麦の家の味をよく知っているでしょう、それだけでも即戦力になってくれると思うのよ」
ベルのスカウトが急すぎたのか、はたまた力を込め過ぎたからか、二人は口を開けポカンとした様子でベルを見ている。
ベルがビルとジョージに麦の家で働いてもらいたいと思ったことは、けっして同情や施しではなく、すぐにでも使える人材が欲しいベルと、働きたい二人の利害が一致したからであって、無理に働かせようとは思ってはいない。
それに何よりビルとジョージは明るく前向きで接客にも向いているし、麦の家の客にも喜ばれることは確実だ。
出来れば他で働くのではなく、麦の家に来て欲しい。
そんな願いを込めて言葉を尽くすベルを、ただ見つめるビルとジョージ。
話しを終えベルがどうかしらと願いを込めた目で二人を見つめていると、ビルとジョージはお互いにゆっくりと顔を合わせたあと、どうにか起動した。
「あの、ベルお姉ちゃん、俺達、字もあんまり書けないし計算もできないけど、それでもいいの?大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。字や数字はこれから覚えれば良いわ、レオも今勉強中なの。一緒に勉強すればきっと覚えも早いはずよ」
「その、俺達孤児だけど……本当にいいの?孤児が働いているってだけで嫌な顔する人がいるけど、お店は大丈夫?」
「ええ、孤児とかそんなの関係ないわ。私は料理好きな二人に働いてもらいたいの、それに孤児を馬鹿にする人がいたら帰って貰うわ。そんな人にうちの店のパンを食べて欲しいとは思わないもの」
心配気な表情だったビルとジョージの顔にパッと花が咲く。
興奮した様子で笑顔を見せてくれた。
「だったら俺!働きたい!」
「俺も!麦の家で働きたい!」
椅子を倒す勢いで立ちあがった二人が嬉しいことを言ってくれる。
掃除で麦の家に通っていただけあって、どうやら少しは麦の家に愛着があったようだ。
やったやったと喜ぶ二人を見て、ベルも嬉しくなる。
「良かった。じゃあ院長先生が元気になったら雇用のお話をしましょうね」
「「うん!」」
「二人が麦の家で働いてくれるだなんてとっても嬉しいわ、有難う。これから宜しくね」
ベルが手を差し出すと、ビルとジョージは真っ赤な顔になりながら握手を受けてくれた。
俺達も嬉しい。
その言葉は麦の家のオーナーとして、そしてこの国に感謝しているベルとしてもとても嬉しい言葉だった。
「それじゃあ、私たちは帰るわね、明日から二人は麦の家の食パンを持って帰ってパン粥とサンドイッチの練習をしてね、文字や数字は皆が元気になってから始めましょう。約束よ」
「うん、俺、頑張るよ」
「俺も、サンドイッチもパン粥も上手に作ってみせる、任せといて」
ビルとジョージに手を振り、孤児院を後にする。
いつの間にかすっかり時間が過ぎ、間もなく夕暮れ時を迎えそうだ。
行きと違い、帰りは荷物が殆どないのでベルの足取りは軽い。
それに何より、新しい従業員を雇うことが出来た。
それも将来有望な少年を二人もだ。
その事がベルの心を浮足立たせる。
第二店舗はレオとビルとジョージに任せてもいいかもしれない。
そう思えるほど、彼らの手際は素晴らしかった。
幼いころから働いているだけのことはあると感心するほどだった。
「イザベラ様、嬉しそうですね」
普段護衛中は余り話しかけてこないマイクが、ベルの上機嫌な様を見て声を掛けて来た。
そんなマイクの顔にも笑顔が浮かんでいる。
「ええ、マイク、とっても嬉しいわ。あの子達の他にも孤児院の子で麦の家で働けそうな子がいたら雇いたいと思うの、麦の家の未来が開けた気がするわ」
そうだ、小さな力しかないベルだって、囮役だけでなくこうやって社会に貢献することが出来る。
ビリジアン王国に来て、ウィスタリア公爵家に救われた恩を、そしてシャトリューズ侯爵家に守られている恩を、どうにかして返したいと思っていたが、ベルにも出来る事があった。それが見つかった。
「マイク、私もっと頑張るわ。大好きなこの国の為に出来ることを沢山したいの」
「それは有難いですが、俺から見るとイザベラ様は少し働きすぎな気がします。閣下も心配されています。少しは休むことも考えてくださいね」
苦笑いのマイクに、そうかしら?と首を傾げておどけてみせる。
ベルは働いているが、大好きなパン作りを仕事にしているので全く苦ではない。
むしろもっとたくさん麦の家の為に働きたいぐらいだ。
綺麗な夕焼けを見ながらマイクとたわいもない話を続ける。
ゆっくり歩き麦の家までちょうど半分位、そう思った瞬間、ベルの周りが黄金色に輝いた。
これは、転移陣?
そう思った瞬間ベルは体が軽くなるのを感じた。
「イザベラ様!!」
マイクの叫び声と、ベルを掴もうとする手。
それがベルが昏倒する前の、最後の記憶だった。