風邪とパン粥
喧嘩の次の日、ベルの元にリックからの手紙と花束が届いた。
あの日の理不尽な怒りへの謝罪と、そしてベルが作ったパンへのお礼。
それとともに会ってゆっくりと話がしたいと、そんな内容の手紙を受け取り、沈んでいたベルの心は一気に浮上し、自然と気持ちが落ち着いた。
君を愛している。
最後にかかれたその言葉に、ベルはときめいた。
それとともに、自分に足りなかったものが何か分かった気がした。
リックが不安にならない程、彼に対する愛情を伝えなければ。
リックが大好きなパンを作るだけではダメなのだ。
言葉にして伝えなければきっと、ベルがどれ程リックに感謝し愛しているかは分からないだろう。
誘拐事件が終わったら……
ゆっくりと二人だけの時間を作ろう。
そしてリックがもう不安にならないように、行動と言葉で自分の想いを伝えよう。
ベルはリックからの手紙を胸に、そう決意を持った。
「イザベラお嬢様、麦の家にお出掛けですか?今日は随分とお早いですね」
身支度を整え、執事のウォルターとともに玄関先へと向かうと、ベル専用の馬車の御者をしてくれているマイクが、馬車周りをはたきで掃除している所だった。
「マイク、ごめんなさい、何だか目がさえてしまって、予定よりも早いけれど、麦の家に向かっても大丈夫かしら?」
「ええ、勿論です。準備は出来ております。イザベラお嬢様、さあ、どうぞ」
「ありがとう」
マイクの手を借り馬車に乗り込む。
本当は後一時間は遅い出発の予定だったが、リックの事を思うと朝早くに目が覚めてしまったので、ベルは麦の家に向かうことにした。
麦の家の朝は忙しい。人では少しでも多い方が良い。
そんな言い訳を浮かべながら、リックへの想いで落ち着かない気持ちを誤魔化すかのように、ベルは出かける準備を始めた。
それを汲んでか、マイクは予定よりも早く馬車の準備をしていてくれたようだ。
きっと執事のウォルターがマイクへと指示を出してくれていたのだろう。
我儘な行動に少し申し訳なさを感じたが、それよりも感謝するべきだと今のベルには分かる。
何故ならベルだって、謝られるよりも「ありがとう」と言われる方が嬉しいからだ。
リックとの喧嘩を境にその事にやっと気が付いた。
以前の自分は申し訳ありませんと謝ってばかりいた。それがいつしか癖になっていたようだ。
自分を変えよう。
リックのためにも変わりたい。
ベルの心は前向きに動き出していた。
「ウォルター、行ってきますね」
「はい、イザベラお嬢様、行ってらっしゃいませ。お気をつけて。マイク頼みますよ」
「ハッ」
ウォルターの声掛けに御者らしからぬ返事を返すマイク。
マイクがただの御者ではなく、護衛であることはベルも気付いている。
以前ならば過剰すぎる護衛ではないかと感じたところだが、今はそうは思わない。
ウィスタリア公爵家の娘と言うことは守られるべき存在なのだ。
セルリアン王国で余りにもぞんざいに扱われていたため忘れていたが、ベルは高位の令嬢。守られることにもっとなれなければいけない。
リックとの喧嘩は、それを自覚し直すきっかけでもあった。
「ベルお姉ちゃん、おはよう!」
ベルが麦の家に着くと、外掃除をしていたレオが駆け寄ってきた。
今日も笑顔が可愛くってついつい頭をなでてしまう。
「レオ、おはよう。今日もお手伝いをしてくれて偉いわね。ありがとう」
ベルの言葉に「えへへ」と照れながら笑うレオがこれまた可愛い。
一生懸命掃除をしていたのか、頬が赤く染まっていて尚更可愛く見える。
「「ベルお姉ちゃん、おはよー」」
毎朝掃除の仕事に来てくれている孤児院の子供たちもベルに気付き声を掛けて来た。
ベルも「おはよう」と返事を返しながら、子供たちの少なさに驚いた。
「今日は二人だけなの?何か他の仕事が入ったのかしら?」
麦の家の仕事は掃除代の他にパンの耳や、練習作のパンも貰えるとあって孤児院の子供たちには人気な仕事だ。
なので普段であれば多くて10人ぐらい、少なくても5人は麦の家に来るのだが、今日は二人だけ、それもレオと同じぐらいの、大きな子供の部類に入る二人だった。
「うん、今孤児院で風邪が流行っててチビ達は寝込んでるやつが多いんだー」
「まあ、そうなの?」
この世界軽い風邪でも危険な病気だ。
その上薬やポーションは高額なので風邪で命を落とす者は多くいる。
なので体力の少ない小さな子供たちの多くが風邪にかかっていると聞いて、ベルの眉間にしわがよる。
重病化はあっという間だから心配だった。
「うん、だけどここの掃除だけは絶対に来たくて、俺とこいつ、元気な俺らが代表で来たんだ」
「まあ、大変な時に無理をさせてしまったわね」
申し訳なさが顔に出たベルに少年たちは首を振る。
「違う違う、麦の家のパンは美味しいからさ、チビたちにも食べさせたくって」
「そうそう、それに駄賃も良いから正直俺達助かるもんなー」
元気な二人の姿にホッとする。
この二人はレオとも仲がいいようで、「ついでにレオにも会いに来てやったんだぞ」と言って笑い合っている。
「それじゃあ、後でお見舞いに行こうかしら?孤児院にお薬はあったりする?」
ベルの問いかけに子供たちは苦笑いを浮かべ首を横に振る。
薬は高価なものだ。
やはり孤児院では手に入れづらいのだろう。
流石に高額なポーションを持っていくのは気を使わせてしまうだろうが、ベルが考案した風邪薬ならば院長先生も受け取ってくれるはず。
ベルは準備を整えて、お昼前には孤児院に向かうことを子供たちに伝えた。
「じゃあ、お昼はベルお姉ちゃんが作ってくれるって事?」
嬉しそうな目を向けられ、ベルは「ええ」と笑って頷く。
「やったー!俺仕事あるけど、昼には絶対に戻って来るよ」
「俺も俺も、ベルお姉ちゃんの料理は美味いもんな、院長先生の飯と比べたら石とパンぐらい味が違うぜ、絶対に戻って来るよ!」
期待されるのは嬉しいが、院長先生の料理の腕が少し気になる。
孤児院の子供たちには掃除だけでなく、今度から調理手伝いもさせて料理でも仕込もうかしらと、そう思うぐらい心配な言葉だった。
「二人共、孤児院に戻ったら院長先生に私が伺いますと伝えておいてもらってもいいかしら?それとお昼と、夕食用のご飯の準備もしますとそう伝えといてくれる?」
「「うん、わかった!ベルお姉ちゃん、楽しみにしてるね!」」
小さな子が風邪を引いているのに、やったやったと喜ぶ二人に苦笑いが出てしまう。
でも子供は元気な方が良い。
手を振り駆けて帰る二人の背を見送りながら、そう感じたベルだった。