カレーパンとその中身
リックとイーサンのお話。
お互いがお互いに兄弟ならば自分が兄だと思っている二人です。
「リック! このパンなに? めちゃくちゃ美味いんだけどー!」
第三騎士団団長であるリックが自分の執務室へと戻ると、団長補佐官の他に、まるでこの部屋の主だとでもいうかのように、団長席へと当然顔で座るイーサンの姿があった。
副騎士団長のイーサン・ジグナルは、伯爵家の次男坊でリックとは幼馴染。
その容姿と実力から城の花形である近衛団にも誘われたのだが「リックが行かないなら行かなーい。俺男友達少ないしー」とリックと近衛を天秤にかけ、騎士としての名誉ある昇進を蹴った変わり者でもある。
親友ともいえる間柄だが、世話を焼いている感が強いリックからしてみると、腐れ縁やもしくは悪友、いや弟という方がしっくりくる。
リックとイーサンは同い年。
家格も釣り合うため幼い頃からよく遊んでいた。
年を重ね周りが結婚する中、お互い婚約者も恋人もいない残念男子。
家族よりも長い時間一緒にいる。気の置けない仲間。
兄弟よりも本当の兄弟のよう。
そんな大切な相手にリックはげんこつを落した。
「おまっ、お前、何勝手に人のもの食っているんだ! これは俺の大事なパンなんだぞ!」
「えーだって小腹が空いたしー。なんかないかなーって探してたら引き出しからいい匂いがしたしー。パンがどうしても俺に食べられたいって言うからさー! それより暴力反対! めっちゃ痛いんだけどっ!」
「バカ、当然の報いだ! それに俺の大切なパンがそんな事を言うわけ無いだろう。俺の口に入りたかったに決まっている。あ~あ~もうっ! ロールパンが残り一個じゃないか。大切な俺のパンを五個も食いやがって! 恨むからなっ!」
「えっ? てことはー、他にもパンがあるって事? あっ、もしかしてまだ引き出しの中に?」
イーサンが机の一番下にある深い引き出しを開けようとすると、リックが力一杯それを止めた。
常日頃からのじゃれあいに補佐官たちは知らんぷり。勝手にやってくれといった様子だ。
第三騎士団の団長と副団長。剣の技術は引き分けに近いが、体格のいいリックに対しイーサンは単純な力比べでは負けてしまう。引き出し開け閉め勝負にプルプルと腕が震えだし、ついに負けを認めた。
ふんっと勝ちを誇るリックは最後に残っていたロールパンを口に入れどや顔をイーサンを向ける。友人のその様子にこのパンには深い事情がありそうだと付き合いが長いイーサンにはピーンときた。
「まったく勝手な事をしてと」ぶつぶつと言っているリックだが、本気では怒っていないことは分かっているため無視だ。何か情報はないかと周りにいる補佐官達に視線を送れば、二人のじゃれ合いなど気にすることなどなく仕事をしている。そんな姿からもこの美味しいロールパンをリックが気に入っていることは周知の事実だと知る。
それに食べる前に「怒られますよ」と確かそんな声掛けをされたような気もしなくはない。多分。
そんな様子からも、リックがこのロールパンを買ったパン屋に通っている事はこの場にいる者も了承済みなのか、とイーサンは読み取った。
そう、イーサンは大事な幼馴染のリックが頻繁に通う店があると耳にし、様子を見に来たのだ。だがまさかそれがパン屋だとは思いもしなかった。
変な女に騙されては困る。
自分とは違い純粋でまじめな親友をよく知るイーサンは、リックのことを本気で心配していた。
それはちょうど10年前の話。
リックが幼いころから婚約をしていた女性と本婚約する前に別れた(婚約解消した)のだとイーサンは親から聞いた。
その原因は女性側にあり、リックより二つ年上のその相手はリックが大人になることを待てなかったらしく、別の男性と真実の愛で結ばれたそうだ。笑える言い訳だ。
その当時のリックはイーサンよりも体が小さく、線が細かった。
少女のような可憐さを持ち合わせた可愛らしい少年。リックはそんな言葉がピッタリな容姿だった。
シャトリューズ侯爵家の男性は基本的に一般男性よりも体が大きいため、いずれはリックもシャトリューズ侯爵や兄たちのような逞しい男性になるだろうと予想されていたが、年ごろの女性からすると男としての魅力がリックには無かったのだろう。馬鹿にするなと親友としてあのくそ女に言ってやりたい。
だいたい十代前半の男女は女性の方が早熟である。その上相手は二つ年上。実際には五歳差ぐらいの感覚だったのかもしれない。年増女そう呼んでやろう。
リックという文句なしの婚約者がいながら別の男の子供を身ごもったらしいその恥知らずな婚約者。その上その恋の相手は自家の使用人だったのだから親も赤っ恥だ。管理不足以外の何物でもない。
だがリックは相手を責めることはしなかったらしい。恨み言どころか「どうぞお幸せに」とそんな優しい言葉まで送ったようだ。いい男すぎるだろう。
その別れ話がイーサンの耳に入った時に、リックからは本当の笑顔が消えていた。
そしてリックはそのあとから鬼のように鍛錬に力を入れるようになり、体もめきめきと育っていき。今や押しも押されぬ騎士となったのだが、どんなにリックが強い男になったとしてもイーサンからするとかわいい弟の様なのだ心配で仕方ない。
第三騎士団長がどこかの店に毎日のように通っている。それも嬉々として。
そんな城の噂話が聞こえてきたのは数日前のこと。
(リックのやつ変な平民女に騙されているんじゃないか?)
イーサンは噂を聞いて不安になった。
あの事件から特別な女性を作らず、剣に生きてきたリックはだますのもたやすいだろう。うぶな乙女と一緒だ。
どうやらリック本人は店通いを秘密にしているらしいのだが、毎日のようにいい香りを漂わせ、遠回りして城へと通っているとなれば、あの目立つ容姿だ、誰かしらの目にはつくのも当然である。
その上たまにリックは補佐官たちに何かを分け与えているらしく、副団長であるイーサンの補佐官達が「いいなー」ととても羨ましがっていた。うるさくて仕方がない。
そして今日、本人を調べてみれば、リックはどこかのパン屋に通っていると分かった。
そしてそのリックが通うパン屋は、どうやら美人な女将が営む小さな店のようなのだ。
イーサンがなんだそれはとなるのも当然だった。
(美人なパン屋の女将ってなんだよ! 怪しい、怪しすぎるだろう!)
自分と違って女性にまったくと言っていいほど免疫がないリックならば、簡単に騙されても可笑しくはない。
(リックの平和は俺が守る)
同い年の幼馴染を過保護に心配し始めたイーサンだった。
そんなある日。リックの下にその話題のパン屋の女将がやって来るという情報をイーサンは掴んだ。
清楚そうに見せて男を騙す女はごまんといる。いやパン屋の女将だふくよかで包容力のある女かもしれない。なおさら怪しいだろう。
リックは「彼女は美人なので受付にきても驚かないように」と担当職員にひっそりと声掛けしていたらしい。本当に俺の知るリックか?!
それにあのリックが認めるほどの美人なパン屋の女将? そんな生き物いないだろう? 怪し過ぎる!
不安にあおられたイーサンは、その女将の顔を見てやろうと、怪しいやつだったら自分が誘惑して本性を暴いてやろうと、待合室へと迎えに行くことにした。
「第三騎士団副団長イーサン・ジグナルです。ベル嬢をお迎えに上がりました」
「有難うございます」
待合室にいた女性は、美人とだけでは言い表せない程の魅力をもつ女性だった。
伸びた背筋はピンとしていて、それだけでいい育ちのお嬢様だと分かる。絶対に貴族女性だろう。
自分はイケメンだと自覚があるイーサンの差し伸べたエスコートに、そっと手を重ねる仕草も品があり文句のつけようがないし、堂に入っている。
いやいやこんな身なりでも男好きかもしれないと、気軽に話しかけてみても乗ってくる様子はないし、軽くかわされている気がする。
というかイケメンなイーサンの顔を見て少し引いている雰囲気まである。もしや男嫌いなのだろうか。それはそれでリックとの恋愛に発展が期待できなさそうで困る気もする。
それよりも何よりも。
この女性のどこがパン屋の女将なのだ。
パンの国のお姫様。もしくはパンの妖精だとでも言われた方がまだ真実味があるだろう。
一つ一つの所作が洗練されている上に、おごったところもない。
受付や待合室でも高慢な様子は見受けられなかった。
この女性は人の上に立つように育てられ、人を魅了する力を持った子だ。
リックの相手に申し分ないかもしれない。
いや、できればこんな子とうまくいってもらいたいと思ってしまう。
ベルとリックの仲良さげな会話を隣で聞きながら、イーサンはそんなふうに思い始めていた。
「はあー。ベル嬢の作ったカレーパン美味しかったねー。リックー、今度ベル嬢の店俺も連れて行ってよー。ほかのパンも食べてみたい」
「断るっ!」
ベルが帰った後、第三騎士団長の執務室の団長席に、当然のように座りイーサンはリックに話しかけていた。瞬殺で断られ可笑しくって仕方がない。これは俺が知るリックだろうか? まるで別人のようだと口元のにやつきがおさまらない。今日は笑ってばかりだ。それがとても嬉しい。
面会中ベルは、何故リックが市場に一緒に行くと申し出たのか本気で分かっていないようだった。あれが演技だとは思えないし、もし演技だとしたら相当な役者だ。有名になれるだろう。
あんな美人が一人で市場を歩いていれば目立って仕方がない。今までよく無事だったと言える。
それにパン屋麦の家の保証人は非公開ときた、どれだけ力のある保証人なのだ。イーサンでさえ探るのが恐ろしい。親友のためでなければ探らなかっただろう。
イーサンは情報を手に入れていた。保証人の情報だ。
リックには伝えていないし、今後も誰にも話すつもりはない。自分は平和が好きだし。田舎町に引っ越すつもりもない。
陰でその保証人が見ているのかもしれないとそう思うだけで身震いがする。伯爵家の子息であるイーサンがおびえるほどの相手。それがベルの保証人だった。
「まったく俺の幼馴染は心配をかけまくるやつだよねー」
そんな言葉をひとり呟きながらも、リックとベルとの様子を思い出しまた口元が緩む。
危ない女かと思ったけれど、違う意味で危ない女の子。それがパン屋の女将のベルだ。
もう既にベルに夢中になっているリックに、今更彼女を諦めろとは言えないし言いたくもない。
お姫様よりお姫様のような女の子。
それがどれ程の女性か、周辺諸国の情報を思えば何となくだが想像がつく。
セルリアン王国の王太子の話は最近流れて来たばかり。
何をしたかを聞きアホな男だと、同性として軽蔑した。
絶対にリックには……いや、あの二人には幸せになって欲しい。
やっと女性と向き合うことを始めた親友に、イーサンは協力するからなと、心の中で誓うのだった。