商人と照り焼きチキンバーガー
「イザベラ様、ようこそお越し下さいました」
そう言ってダニエルが頭を下げる。
その後ろ、勢ぞろいしている従業員達も深く頭を下げた。
今日、ベルはビクス商会へと足を運んでいた。
公爵家の令嬢の来店にダニエルは商会皆で出迎えてくれた。
シャトリューズ侯爵家との乳製品の契約と、そしてウィスタリア公爵家との繋がりを持ったビクス商会は、今やビリジアン王国内の大商会の中でもトップクラスといえる立場となっていた。
その為、商会長であるダニエル・ビスク・オーカーは、ビリジアン王国内だけに留まらず、自ら他国へと足を運び販路を広げ、商売の域を拡大していた。
なのでベルがダニエルに会うのは久しぶり。
元気そうな姿に胸をなでおろす。
新婚でありながら仕事に奔走するダニエルに対し、自分が仕事を増やしていると自覚があるベルは、申し訳ない気持ちで一杯だ。
けれどダニエルだけでなく、その結婚相手である元男爵令嬢の奥様も、商会にとって今が一番大事だと、仕事に励んでくれているらしい。
その言葉にベルがホッとしたのは仕方がないだろう。
「我々は新婚ですので、勿論妻も私と一緒に飛び回っておりますよ。イザベラ様、そこは安心してください。子供もきっと近いうちに授かる筈です」
そう言われ益々安堵したベルだった。
「ダニエル、お久しぶりね。仕事が忙しいのに急に面会を申し込んでごめんなさいね。どうしても貴方にお願いしたい事があったの……」
「いえいえ、イザベラ様に会えるのならばどんな事が有っても時間を割きますよ。それに今日は素晴らしい方をご紹介して頂けるようですし、楽しみにしておりました」
ダニエルが日々の忙しさや疲れも見せず、ニコニコと良い笑顔で出迎えてくれたのには訳がある。
それは勿論ベルの後ろにいる人物のせいだ。
アイザック・オランジュ。
特級冒険者のザックの登場に商人であるダニエルの興味を引かないはずがない。
どこの商人だって特級冒険者と繋がりが出来ると有れば喜ぶはず。
その中でもザックは有名だ。
ダニエルの喜びようは当然のこと。
ダニエルも勿論、そんな商人の一人だからだ。
「こちらは私の友人であるアイザック・オランジュ様よ」
「特級冒険者のアイザック・オランジュです。会長さん、よろしくお願いします」
ザックの挨拶を受けダニエルが良い笑顔で頷く。
特級冒険者に憧れでもあるのか、目がキラキラしているように感じるがそれは気のせいではないらしい。
ダニエルの後ろに控える秘書も、ザックを見て目を輝かせている。
どうやら男性というものは強い冒険者に憧れがあるようだ。
子供の頃強い女性冒険者に憧れたベルにも、その気持ちは良く分かった。
「オランジュ様、ようこそお越し下さいました。特級冒険者であるオランジュ様に我が店に来ていただけて、誠に光栄でございます」
「あー……会長さん、俺のことはザックで良いし、もっと気軽に話してよ。ベルさんから色々話は聞いてるよ。ベルさんがあの国から逃げる手伝いをしてくれたんでしょう?友人として俺にもお礼言わせて。ベルさんを助けてくれてありがとう。ベルさんは俺にとってあね……じゃなくって、妹みたいな大事な存在なんだ。だから本当にありがとう。会長さんが逃がしてくれたからこそベルさんとこうやって出会えた。心から感謝してます」
「ザック……」
そんなお礼を言い、ダニエルへと深く頭を下げるザック。
ザックは冒険者として目立つようになってから、度々商人に目を付けられ嫌な思いをして来たそうだ。
なのでベルが信用する商人として今日ダニエルを紹介することにした。
その為、ベルとダニエルのこれまでの交流を話し、ビリジアン王国へとダニエルに連れて来てもらった話も勿論伝えたのだが。
まさかその事に対しザックがお礼を言ってくれるとは思わなかった。
ザックの心使いにベルの心がジーンと温かくなる。
友人というよりも家族。
ベルにとってザックがそうであるように、ザックにとってもベルはそんな存在だと、そう言って貰えた気がして嬉しかった。
「あ、頭を上げて下さい、オランジュ様!」
特級冒険者といえば国王と対等とも言われる存在。
そんな相手に頭を下げられ、普段冷静なダニエルが真っ青な顔で慌てだす。
「オランジュ様、我々ビクス商会はイザベラ様に返しきれない程の恩がございます!それに、不躾ながらもイザベラ様とは立場を超えた友人のような、同志のような、そんな間柄だと私は思っております。ですのでイザベラ様を手助けすることは当然のことでございます。礼など必要ありません、どうか、頭を上げて下さいませ!」
「ダニエル……」
ダニエルまでも嬉しいことを言ってくれて、ベルの心が益々熱くなる。
確かにベルとダニエルは盟友ともいえる間柄。
信頼し頼る事の出来る相手だと分かっていたが、こうやって言葉にされると嬉しさもひとしおだ。
「へへへ、ベルさんの言う通りダニエルさんって本当に信頼できる商人さんなんだねー」
ザックが嬉しそうにダニエルに手を差し出す。
特級冒険者から握手を求められ、ダニエルも嬉しそうだ。
子供のようにズボンで手を拭くと、おそるおそるといった様子でザックの手を両手でつかんだ。
「オランジュ様、よろしくお願い致します!」
そう言って深く頭を下げるダニエルは、アイドル(憧れの人)の前ではしゃぐ子どもの様だった。
「ショーユとミソですか……これがあの大豆で出来ていると?家畜のえさであるあの大豆で?」
会談の場でベルが味噌と醬油の入った瓶を取り出すと、ダニエルと秘書は困惑を隠しきれない表情を浮かべた。
見たことも聞いたこともない、豆(家畜のえさ)からできる未知のソース(調味料)。
色合いもいかにも怪し気で、この世界ではどんな味かも想像できない物らしい。
「あの、匂いと味を確認しても宜しいですか?」
「ええ、勿論よ。でもそのままだとしょっぱいから味をみるのは少しにしてね」
「は、はい」
ダニエルはそっと瓶のふたを開け、手のひらで風を起こし匂いを嗅ぐ。
味噌と醬油、それぞれの匂いを嗅いでみたが、これが美味しいものになるとは想像できないのか眉間に皺がよる。
この世界には無い香りなのだ、そこは仕方がないだろう。
「これが……いえ、このショーユとミソを我が商会で作って欲しいと?イザベラ様はそうおっしゃるのですね?」
家畜のえさから出来たソースを欲しがる者などいるのだろうか?とダニエルの疑問が見て取れた。
そこですかさずザックが「はい」と手を上げる。
「俺は絶対に買う!なんなら俺の為だけに作ってくれても買いとるよ!」
「え、ええ、まあ、ザック様の分だけでしたら問題なく受け付けられますが……」
本当にこれを食べるのか?とダニエルの顔には書いてある。
きっと余りにもしょっぱかった為、ザックの体を心配しているのだろう。
醤油と味噌の使い方を知らなければ当然の心理だと言える。
ベルは最初、自分が作った醤油と味噌をザックにプレゼントしようと考えていた。
この世界に醬油や味噌がない中、無理に浸透させる必要はない、ベルはそう思っていたからだ。
けれどザックは出来れば商品にして欲しいとベルに言ってきた。
それはベルに気を使っているからかもしれないが、何よりも醤油や味噌を使った料理がこの世界に広がって、気軽に食べられるようになって欲しいと、そう願ったのだ。
なら友人の夢を応援するのもベルの役目だろう。
ベルの料理人魂に火が付いた。
「ダニエル、商会の厨房を借りてもいいかしら?」
「イザベラ様?」
醤油の瓶を抱え疑問符を浮かべるダニエルにベルは声を掛ける。
「醬油と味噌を使って料理をさせて欲しいの、その味を見て商会でどれ程の量をつくるか決めて頂戴。きっと沢山作りたくなるはずよ。味には自信があるの」
そう言って笑ったベルの笑顔は、いつになく勝気なものだった。