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喧嘩とクイニーアマン③

 いつの間にかウトウトとしていたのだろう。

 ベルは自室のベットの上にいてノックの音で目が覚めた。


「イザベラ、今良いかしら?話があるの」


「お母様?」


 義母となったマティルダの声に、ぼんやりとしていた思考が覚める。

 横になっていたベッドから慌てて起き上がると、着ていた衣服を見下ろして愕然とする。


(ああ、スカート部分に酷い皺が! 後でメイドたちに謝らないと)


 公爵家で用意された衣服は全て一級品。

 市井暮らしで物の価値の感覚が平民寄りとなったベルは、皺皺なドレスに嫌な汗が流れる。


「イザベラ?大丈夫?」


「は、はい!只今」


 ノックの音と、マティルダが呼ぶ声がまた聞こえ、ベルは急いで扉へと向かう。

 歩きながらサッと髪を整え、深呼吸をして気持ちを落ち着かせると扉を開けた。


「お母様、お待たせいたしました」


 普段通りの笑顔が浮かべられたとベルはホッとする。

 さっきまで落ち込んだまま寝落ちしていたことをマティルダに気付かれれば心配をかける。

 優しい母には全てが順調だと、ベルは幸せだと、そう思われたかった。


 けれどマティルダはベルを一目見ると悲し気な顔になり、優しい手でそっとベルの頬に触れた。


「イザベラ……酷い顔ね、美人が台無しだわ」


「お母様……私は」


 言い訳のように大丈夫と声に出そうとして言葉に詰まる。

 優しいマティルダの笑みがベルの抑えていた悲しい気持ちを思い出させる。


 どうにか笑顔を保ちベルは何でもないと首を振る。


 けれどマティルダにはベルの強がりなど通用しなかった。


「イザベラ、無理に笑わなくていいのよ……」


 そう言って頬を優しく叩いたマティルダの手はどこまでも温かかった。




 





 ベルの部屋に入ると、マティルダとベルはソファーに並んで座り、マティルダはベルの頭を撫でながら話し出すのを待ってくれた。


 本当の母には貰えなかった愛情を、マティルダはこうやっていつもベルに惜しみなく分け与えてくれる。


 本当の子供であるロナルドやチャーリーと同じようにベルを深く愛してくれ、労わってもくれる。


 その優しさに触れ、いつしかベルの瞳からは涙が溢れた。


 自分の愚かさや、鈍感さ、それにいつまでも付きまとう悪役令嬢としての記憶がベルの感情を複雑にする。


 無言のままマティルダがベルに寄り添っていると、その間にマティルダ付きのメイドが、先程ベルが作ったクイニーアマンとお茶を準備してくれて、ベルの部屋中には優しい甘さが広がっていく。


 その香ばしい香りがベルの心を落ち着かせて行く。



「さあ、イザベラ、お茶を飲みなさい。温かいわよ」


 子供のようにこくんと頷き、ベルはお茶を口に運ぶ。

 

 泣きすぎて味は余り分からないし、鼻が詰まって香りも分からないが、これまでで一番美味しいお茶だと、心がそう感じた。


「貴女ったら自分が作ったパンの味見もしないで厨房に預けて行くんだもの、料理長が困ってウォルターに相談してきたのよ。私達が食べたこともないイザベラが作ったパンを自分達が先に食べることなど出来ないって」


「お母様、ごめんなさい……私……」


「フフフッ、私に謝ってもしょうがないでしょう。明日にでも料理長に謝りなさい。それより私にはもっと甘えて頂戴、娘が一人で耐えて居るだなんて寂しいじゃない。折角念願の娘が出来たんですものもっと可愛がらせて頂戴、私は貴女が可愛くって仕方がないんだから」


「お母様……」


「まあ、今日のイザベラは泣き虫ね。フフフ……」


 収まっていた涙がまた溢れ出そうになる。

 無償の愛を与えてくれる存在が自分にも出来たことがとても嬉しい。


 迷惑をかけるからと、帰宅の挨拶もせず厨房に籠ったベルの気持ちをマティルダは理解したうえで、もっと甘えろと言ってくれているのだ、幸せだとそう感じた。


 子供の頃甘えたくても甘えることが出来なかったベルは、今も上手に甘えることが出来ない。

 だからマティルダは自分から歩みよって、ベルが甘えやすいようにしてくれる。


 そんな気遣いと優しさがとても嬉しかった。




「それで第三騎士団で何があったのかしら?」


 やっと落ち着いたベルに、マティルダはそう問いかけた。

 マティルダのことだきっとベルとリックの間に何が合ったのか、ある程度の事は把握しているのだろう。


 けれどベルの口から聞くことで、心に抱えているものを軽くしてくれようとしている。

 その優しさに触れ、ベルはためらいながらも「実は……」と話し出す。


 自分の何気ない行いが、リックを深く傷つけていたこと。

 それに気づかず今日もまた、リックを傷付けたこと。


 けれどリックの気持ちを知っても、昔からの知り合いのザックとの関係を切りたくないこと。


 ベルが今話せるリックへの想いを全て吐き出すと、ベルの心は少し軽くなった気がした。


 悩みを打ち明けられる存在がいる。


 セルリアン王国にいる時とは違い、マティルダがいることでベルを追いつめることにはならなかった。


 以前のベルならば諦めていただろうリックへの想いを、マティルダのお陰で捨てずに済んだのだ。



「イザベラ、そんなに落ち込まないの、貴女とマーベリック殿はこの先夫婦になるのよ、だから意見がぶつかって喧嘩をすることは何も悪いことではないわ。それともやっぱり結婚するのをやめる?心が狭いマーベリック殿を嫌いになった?」


 ベルがフルフルと素早く首を振ると、マティルダがクスクスと笑う。


 リックの事を嫌いになるはずがない。

 好きだからこそ悩んでいるのだ。


 笑うマティルダはそんなベルの答えが前以って分かっていたようだった。



「婚約者といっても自分とは違う人間だもの、喧嘩をするのは当たり前のことよ。だからそんなに思い詰めなくてもいいの、ね」

「……はい」


「でもね、イザベラ、そのあとが大事よ。喧嘩をしたのならきちんと話し合いなさい。どちらかが我慢するようなことがあれば、その関係には必ずヒビが入る。セルリアン王国でのことがあった貴女なら私の言いたい事がわかるでしょう?」

「はい……お母様、良く分かります」


 セルリアン王国にいた頃は、ベルだけに我慢が強いられ、ベルの要望だけが周りに聞き入られることがなかった。


 男の子の幼馴染たちの中にベル一人だけが女の子だった。

 それも彼らとの歪な関係を生んだ原因かもしれない。


 もちろんゲームの関係上、悪役令嬢であるベルが彼らに嫌われる設定だったからなのかもしれないが、それだけでなく何を言っても聞き入れてくれない彼らとの関係をベルが諦めたことも原因のように感じる。


 もしあの時諦めなければ、彼らとの関係は何か変わっていたのだろうか。


 そう思う時がなかったわけではない。


 けれどベルが何を言っても聞き入れなくなってしまった彼らに対し、頑張って足掻く気力がなくなってしまったことは確かだった。



「お母様、私、リック様を愛しています。だからきちんと話し合いをしたいです」


 今度は感情的にならず、時間をかけてでもお互いが納得できるように話をしたい。


 そう決意を固めたベルの瞳には、もう涙は浮いてはいなかった。


「愛しているのなら頑張りなさい」


 優しい母の笑みで微笑んだマティルダが(イザベラを泣かせたマーベリックにはお灸が必要ね)と思っているなど、完璧な淑女を演じるマティルダからは想像もできないベルだった。

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