嫉妬とポン・デ・ケージョ③
「あー……っと、ベルさん、俺、そろそろ帰るよ。明日も早いしさ」
二人の仲を邪魔しちゃ悪いしという言葉を呟き、自分が淹れたお茶を飲み切ったザックは席を立とうとする。
リックの様子が先程から可笑しい事も気になり、ザックは取りあえず前世友の婚約者に挨拶だけは出来たのだからと、帰ることにした。
「ねえ、ザック、もうこんな時間だもの、今日も麦の家に泊まって行ったらどう?明日も仕事でしょう?北門からの出発ならばここの方が近いでしょうし……」
心配気にザックを見つめるベルにはなんの下心も悪意もない。
だけどベルの隣に座る婚約者の様子には、もう少し気を配って欲しいとザックは思う。
リック本人は上手く隠しているようだが、ベルの一言一言に反応しては表情が微妙に変わっている。余りにも不憫だ。
ザックはベル本人には弟ぐらいにしか思われていないのだが、こう見えてもザックは一応は攻略対象者になる程の美男子。完全にリックに恋敵だと誤解されているように感じる。
なので泊まるなどと不用意な事は言って欲しくはない、殺意を生みそうだ。冗談ではなく。
「いやー……俺はさ、ほら、この店のもんじゃないし、そうそう泊まらせてもらうのも悪いしさ、ねっ」
「ザック、何を言っているの、貴方は私にとって家族と同じぐらい大事な人よ。遠慮なんかしないで頂戴。もっと私に甘えてくれても構わないのだから……」
目を潤ませ嬉しいことを言ってくるベルに、ザックはついほだされてしまう。
「う、うん、有難う、ベルさん、じゃあ、その、お言葉に甘えて……」
「ええ。フフフ、良かったわ。じゃあ、ちょっとだけ席を外して客間の準備をして来るわね。リック様、申し訳ありません、また少しだけ席を離れますね」
「あ……ああ……」
ザックを泊める準備の為客間へと向かうベルは、優しい微笑みと共に、ザックの頭を一撫でして行った。
ザックがアイザック・オランジュとしての生い立ちをベルに話してからというもの、ベルは過保護なぐらいにザックに優しくしてくれ、とても良くしてくれる。
まるで自分こそがザックの家族であり、姉か妹か、それとも母親にでもなるのだとそう決意したかのように、ザックをとても可愛がってくれ、ザックもついそれに甘えてしまっている。
異世界に転生してから辛い生活が続き、どうにか一人で頑張って生きて来たザックにとって、そんなベルの無償の愛情は、神に強く願うほど欲しかったもので、宝物を手に入れた以上に嬉しくって仕方がない。
同じ男としてリックには申し訳ないとも思いながらも、婚約者がいると知った後も、頻繁に麦の家に通ってしまっていたのだ。
(俺がレオぐらいの見た目だったら良かったのにな……)
ザックは特級冒険者であり攻略対象者であるが故に、本人が望まなくとも見た目も良いし、リックの恋敵として申し分ない男に思われる。
なのでザックが足繁く一つの店に通えば、どうなるかをザックには良く分かっていたし、頭では駄目だと理解出来ていた。
けれど「行ってらっしゃい」とか「お帰りなさい」とかだけではなく、「今日は何が食べたいの」とか「ザックの好きなものを作るから言ってね」なーんて優しく言われてしまえば、もうベルの愛情なしでは生きていけない体になってしまった。
それも仕方ないと思う。
だって麦の家は心地良すぎるのだから。
(リックさんには申し訳ないけど……ベルさんの傍からはもう離れられそうにないんだよなー)
この前まではこの世界に家族など要らない。
すっと一人で生きて行く。
そう思っていたザック。
けれどベルとこの麦の家を知ってしまってからは、ここにずっと居たい。と、そんな風に思っていた。
無言で食事を続けるリックをチラリと見つめる。
仕事で疲れているだけでなく、ベルのことが心配で眉間に皺が寄っている姿には、自称ベルの弟としては好感が持てる。
ザックは前世の記憶のお陰で、悪役令嬢であったイザベラ・カーマインの事は良く知っていた。
もしビリジアン王国に逃げて来たベルが、本物の悪役令嬢のようだったのならば、きっと近寄りもしなかったし、逃げるため他の国へとさっさと向かった事だろう。
けれどベルから過去の話を聞いて、その過酷な生い立ちには同情しか無かった。
ザックは一人だったけれど、ベルは仲の良かった相手にどんどん嫌われて行ったのだ。
その辛さはザックが想像する以上だっただろう。
そんなベルには絶対に幸せになって欲しいと思うし、もう苦しんで欲しくはない。
もしベルの婚約者がいけ好かない男だったら、きっと恋愛感情ではなく家族愛でベルをどこかへ連れ去っていたと思う。
ベルは今日までの幸せを掴むまでとても大変だったはずなのに、顔を見ればいつだってザックの心配をしてくれる、とてもお人好しな人だ。
だからこそ元婚約者(セルリアン王国の者達)たちにも良い様に使われてしまったのかもしれないが、ベルは恨み言も言わずに自分は悪役令嬢だったのだからと、それを受け入れていた。
そんなベルの傍にいると、自分の擦れていた心が癒されていくように感じた。
それは、どうせ転生するのならば、ベルの子供として生まれたかったと、そんな風に思う程の強い気持ちだった。
(リック(婚約者)さんの眉間の皺酷いな……これ絶対誤解してるよね。ベルさんの幸せの為にも上手く誤解を解かないとやばいよなー)
ザックがリックに何を言っても全て悪い方に取られてしまいそうだが、母親代わり、姉代わりに近いベルの為に、ザックはリックの誤解を解くため頑張ることを決意する。
それにザックが聖女の攻略対象者であるせいなのか、魅力的だと思えるはずのベルに対し、ザックはまったく恋愛感情が湧かない。
自分でベルを幸せにしたいと思うよりも、誰かと幸せになってくれたらいいなとそう強く思うのだ。
きっとベルが自分を男として見ていないのも 『悪役令嬢と攻略対象者には恋愛感情が芽生えない』 と、そんな歪な世界の影響のような気がしていた。
自分に家族の愛情を思い出させてくれたベルの為にも、ザックは出来る限りリックといい関係を築こう!とそう思っているのだった。
「んんんっ、あー……えーと、マーベリック様? いやシャトリューズ様って呼んだ方が良いですか、ねっ?」
ザックが声を掛けると、リックが顔を上げる。
貴族らしく薄っすらと微笑んでいるが、その瞳には警戒心が見て取れる。まるで傷を負った獣。いや、恋敵を見る瞳、といった感じなのだろうか。
「いや、俺の事は気軽にリックと呼んで下さい、オランジュ殿」
「あ、いえ、俺もザックで良いです。それに敬語もいりません。俺はただの冒険者なんで、敬称もいらないですから」
「そうですか……では、気軽に話させてもらうよ、ザック。君と知り合えて光栄だ、宜しく」
「ああ、こちらこそ宜しく、リック」
お互い親しい呼び方に代わり、リックは気さくな笑顔に変わったのが、残念ながらその目は変わらず冷えている。本心からは笑っていない。それもそうだろう。
(うわー、イケメンの笑顔なのに冷たくってゾクゾクするわー)
そんなリックの笑顔を見て、完璧に誤解されているなと改めて悟ったザック。
これまで自分を殺そうとしてきた多くの人間にも、恐ろしい魔獣にも出くわしてきたが、目が合ってここまで背中がゾクリとする相手はいなかった。ビリジアン王国の騎士団長の実力は、セルリアン王国の騎士団とは比べてはいけないらしい。
ベルからは自分の婚約者は第三騎士団の団長なのだと前もって聞いてはいたが、こうして見て見るとリックはかなりの実力の持ち主だと分かる。
初めてリックに会った時は、攻略対象者かもと疑って警戒したというベルの言葉にも頷ける。ザックから見てもリックは良い男だ。婚約者想いのところも好感が持てるポイントだろう。
きっとこの世界の攻略対象者であるザックであっても、魔法なしではリックに勝つことは難しいだろう。
その上愛する人を懸けた戦いとなった場合、“愛”に鈍感な人間として生まれ変わってしまったザックとしては、リックに勝てるとは到底思えなかった。
「あの、ベルさんと俺とのことなんだっ……ですけど」
ベルの名を出した途端、リックから冷気のような物が出た気がして不味い言い出しになった気がする。だがもう訂正は出来ない。
ベルとザックのこと。
まるで二人が良い関係であるかのような言い方に、リックのこめかみがピクリと動いた気がしたが、見なかったフリをする。
「その、実は、ですね。俺達二人には出会う前から繋がっている……運命?みたいなものがあって、ですね」
「は?」
またザックの言い方が悪かったのか、リックからまるで野獣のような低い声が出たきがした。
運命だなんて自分の言い方が悪かったのは分かるが、緊張しているのだ、許してほしい。
先程 「よろしく」 と挨拶をしたばかりなのだ、前面に出している殺気をリックには抑えて欲しい。
このままでは話が進まないし、益々誤解を招く、居た堪れない。
特級冒険者であるザックは気合を入れ直し、少し前かがみに身を乗り出す。そしてリックにだけに聞こえるように小さな声を心掛けると、殺気丸出しのリックに向けて話しかけた。
「悪役令嬢って分かりますか?」と
目を見開くリックを見て、返事がなくともザックにはその答えが分かった気がした。
「それじゃあ君も、ザックも、ベルと同じ前の記憶を持つ者なんだね……」
ザックはベルからリック(婚約者)には以前の記憶を持っていることを伝えてあると聞いていたため、悪役令嬢の話をしたのだが、そのあとのリックの理解力は早かった。流石第三騎士団の団長と言えるだろう。
「そうなんだ。だからベルさんは俺を可愛がってくれるし、身内のように扱ってくれるんだ。悪気なくね」
「そうなのか……」
「そうなんだ。俺はベルさんにとって弟?いや年齢的に兄かな?そんな感じなんだよね」
「そう、か……」
これでリックに自分とベルは男女の関係ではない、自分は恋敵ではないと分かった貰えただろうと、ザックは自分の仕事の出来にホッとする。
長く付き合いたいと思っているベルの婚約者とは、出来ればいい関係でいたい。
結婚後もベルには会わせてもらいたいし、新居なんかにも遊びに行かせて貰いたいし、たまには街に一緒に出掛けたりもしてみたい。
ベルを姉のような存在だと、そう感じ始めているとザックにとって、リックの理解は大事だった。
「ザック、部屋の準備が出来たわよ。それとルカとレオがもうすぐお風呂から上がるから……どうしたの? 二人共深刻な顔をして、何か有ったの?」
ベルとの繋がりをリックに話し終えたところで、ベルが客間の準備から戻ってきた。
不安そうな様子のベルにザックは笑顔を向ける。
俺はやり切った。
そんな気持ちが顔に出ていた。
「リックさんに俺達の関係を簡単に話したんだ」
「そうなの?」
ベルは驚きながらも嬉しそうな笑顔を浮かべソファーへと腰かけた。
どうやらベル本人も、ザックとの関係を今夜リックに伝えよう、そう思っていたようだ。
「リック様、私はザックのことを自分の家族同然に感じています。ザックには幸せになって貰いたいし、愛情を感じて欲しいとそう思っています」
リックにそう伝え、ベルは優しい笑顔でザックを見つめた。
その笑顔がまるで前世の母親のようで、ザックの頬は熱くなる。
この世界に来てからこんな風に自分に無償の愛を与えてくれる存在はベルだけで、くすぐったい。
嬉しさと恥ずかしさが入り混じる不思議な感情が生まれ、顔が赤くなっている事が自分でも分かった。
「リック様、これからも私達が交流することを許して頂けますか?できれば結婚後もザックとは仲良くしたいのです」
そう願ったベルの前、男の意地で笑顔を浮かべ「勿論」と答えたリックの、表情とは裏腹な醜く深い嫉妬心を、手を取り合って喜ぶベルとザックは気付けなかった。