嫉妬とポン・デ・ケージョ②
「あれー?ザックお兄ちゃん宿屋に帰らなかったのー?もしかして今日も泊まって行く?だったらもっと遊ぼうよー」
居住区の階段を上り部屋へと戻ってきたベルとザックを見て、レオが喜びの声を上げる。
ミアやルカも笑顔でザックを迎え入れるが、その後ろから暗い表情のリックが現れると皆の顔がピシりと固まってしまう。
別に何もやましいことは無いのだが、リックのその表情がまるで葬儀の参列者のようなものだったため、ベルと楽しい夕食を過ごした皆の良心が痛んだのだ。
「わーい!リック様だー!リック様も来たー!すっごい久しぶりだねー」
空気を読まないのか、あえて読まなかったのか、凍り付く居間の中で人なつっこいレオがリックの登場に素直に喜びの声を上げる。
リックが騎士団長で貴族でもあることから『リックお兄ちゃん』呼びを兄のルカに窘められたため、最近は『リック様』と敬称付きで呼んでいるレオ。
だがそんなルカの気遣いがリックには疎外されているように感じられた。
他人行儀なリック様呼びと、親し気なザックお兄ちゃん呼び。
そんな小さな差が今のリックを地味に傷つける。
(俺の方がレオと先に出会っていたのに……)
そんな小さな嫉妬にまだ子供なレオが気付くはずもなかった。
「ああ、レオ、久しぶりだな……また少し大きくなったかな?」
「ほんとー?だったら嬉しい。有難う、リック様」
「ああ、それと、俺の事はリック様じゃなくって、前のようにお兄ちゃんって呼んで良いんだぞ、遠慮はいらない」
「えっ?良いの?リックお兄ちゃんって呼んでも良いの?でもぉ……」
チラリと兄ルカに視線を送るレオ。
カッコ良くって大好きなリックに久しぶりに会えたので嬉しいが、その言葉に甘えてまた兄に怒られるのは嫌だ。
なので兄の顔色を窺ったのだが、兄ルカの顔色は何故か悪かった。
「レ、レオ、有難いことだ!リックお兄ちゃんと呼ばせて頂きなさい!」
顔色の悪い兄ルカが手に力を入れ、顔にも気合を入れた様子で答えてくれた。
その言葉にレオはやったと頷く。
「リックお兄ちゃん、お帰りなさい」
そう言ってリックに笑顔を向ければ、疲れているリックにも笑顔が戻る。
「リックお兄ちゃん全然来てくれないんだもん、僕もベルお姉ちゃんもすっごく寂しかったんだよ」
「ああ、そうだな、済まない。仕事が忙しくってな、中々来られなくって悪かった、レオ、ごめんな」
リックと会えなくって寂しかった。ベルも寂しがっていた。
そんなレオの言葉にリックの心は浮上する。
レオは素直な子で噓はつかない。
それにこの会話を聞いていたベルが、ほんのりと頬を染め照れている姿が見えて安心した。
「うん、リックお兄ちゃん、良いよ、僕許して上げる。それにザックお兄ちゃんがベルお姉ちゃんの居る日は毎日来てくれるようになったから楽しかったし、大丈夫だよ」
「毎日……?」
「うん、そう、毎日!それにね、泊まってってくれたんだよ。一緒にお風呂にも入ったんだー。楽しかったー」
「お風呂……」
「うん!お風呂!」
別にベルとザックが一緒にお風呂に入ったわけではないのだが、レオの言葉にちょっとだけ浮上していたリックの心は落ちて行く。
自分が少し来ない間に、ザックはすっかりと麦の家に馴染んでいた。
リックがベルの居住区へと足を踏み入れることが出来たのは、出会ってから半年以上たってからだった。
勿論以前とは条件が違う。
ベルが一人暮らしではないし、男性従業員が一緒に暮らしているなど、リックと出会った当時とは状況が違うのだ。
けれど忙しさを理由にベルに会えなかった日々が続いていたリックの心には余裕がなく、何でもないことがチリリと胸を焦がす。
婚約者としてのプライドがありベルの手前どうにか笑顔は浮かべているが、リックは今物凄い疎外感を感じていた。
元婚約者の呪縛ともいえるあの言葉を思い出しながら。
『貴方を愛することは出来ません』
その言葉にリックは今も囚われている様だった。
「さ、さあ!レオ、お風呂に入ろう!子供はもう寝ないと!」
「そ、そうね、お風呂に入って子供はもう寝る時間ね!あ、あたしたちも寝ましょう!明日も早いし!」
不穏な空気を感じてか、ミアとルカが慌てた様子で部屋へと引き上げて行く。
ルカに引っ張られるレオだけは「えー」と文句を言っていたが兄の権力には逆らえなかった様だ。
「失礼します」と挨拶をして自室へと向かって行く三人に対し、呑気なベルは「明日も早いもの、ゆっくり休んでね」とそんな声を掛けた。
ベルは今現在の麦の家の状況をリックに見せた事で安心してもらえただろうとそう思っていた。
仕事が忙しい中ベルに無理をして会いに来たのも、麦の家の状態を心配してだからだろうと、そう思っていたのだ。
だから麦の家の皆とザックとの仲の良い様子を見せた事で、心配症のリックも安心しただろうとベルはそう思い込んでいる。
自分の婚約者がもの凄い嫉妬を燻ぶらせているなど気付かずに。
これも愛される事の無い悪役令嬢だったころの弊害なのかもしれなかった。
「リック様、夕飯もまだですよね。今準備しますから座って待っていてくださいね」
「あ、ああ、有難う、ベル」
ウキウキとした様子でベルは台所へと向かっていった。
久しぶりに大好きなリックと会えたのだ。
当然ベルは嬉しく、心が弾んでしまう。
残されたリックとザックはソファーへと腰かけ、向かい合って座る。
「「……」」
お互い気を使ってか、何を話せばいいのか分からず沈黙が続く。
「そ、そうだ、俺、俺もお茶、入れてくるっ、きますね」
ポンと手を叩き、ザックはベルの後を追うように台所へと向かって行った。
当たり前のように麦の家に馴染んでいるザック。
まるで我が家のようにお茶を入れるというザックの言葉もリックには鋭い刺でしかない。
ザックの後ろ姿を見て、リックにまた嫌な感情が浮かび上がる。
ザックは特級冒険者だけあって、リックにも負けない体躯をしている。
それにきっと個人的な収入は高位冒険者であるザックの方がリックよりも上だろう。
背の高さだけは幾分かリックの方が上かも知れない。
だが、ベルと並んだ姿を思い浮かべればザックの方がバランスが良い、そんな気がした。
そして何よりも、ザックのあの整った顔だ。
冒険者とはとても思えないほどの甘いマスク。
それは他国の王子、そう言われた方が納得出来る容姿だろう。
厳つい男ばかりが多い冒険者の中でザックは異端児だと言える。
「……俺が彼に勝てるものは家柄ぐらいか……」
リックは自分の言葉に大きなため息が漏れる。
ベルを相手に家柄など何の役にも立たないと、それを知っているからだ。
短期間で麦の家に馴染み、当然のようにお茶を入れに行ったザック。
ベルもザックを麦の家の住人の様に受け入れ、自分のテリトリーともいえる台所にも入れている。
それが無性に嫌だと感じる。
ベルの特別は自分だけいい。
狭量だと分かっていても、そんな事を願ってしまう。
今はまだベルはまったくザックを男として意識していないようだったが、このまま仲良くなれば二人の仲はどうなるか分からない。
仕事の疲れからなのか、元婚約者に掛けられた呪いの言葉のせいなのか、そんな不安に苛まれるリックだった。
「さあ、リック様、遠慮なく召し上がって下さいね、おかわりもありますからね」
「ああ、ベル、有難う。とても美味しそうだ」
ベルは疲れている様子のリックの前にたっぷりとお皿によそったホワイトシチューを置いた。
そしてサラダと、今日作ったばかりの新作パン、ポン・デ・ケージョを出す。
さっきからリックの様子を気にして見ていたが、どう見ても元気がないし、暗い顔をしている。
(もしかして相当大きな事件でも抱えているのかしら……?)
美味しい物を食べる時のリックはどんなに疲れていてもとっても良い笑顔を見せてくれるのだが、今日のリックにはそれがない。
まるで親しい人が亡くなり、それを見送った後で無理矢理笑顔を作ろうとしているようなそんな様子だ。
ザックもリックの疲れ具合が気になるのか、チラリチラリとリックを見ては、ベルへと意味深な視線を向けてくる。
そんなザックにベルは分かっていると頷いて見せた。
疲れているリックを少しでも癒して元気にする。
それは婚約者であるベルの仕事だと、ザックの視線を受けずともベルは理解していた。
「リック様、ポン・デ・ケージョにはシャトリューズ侯爵領のチーズを使わせていただいているんですよ。お味はどうですか?」
「あ、ああ、うちの領のチーズを使っているのか……うん、美味い。とても美味しいよ」
自領の特産品が使われることは子息として嬉しいらしく、シャトリューズ侯爵領の話を出すと、リックは優しく微笑んだ。
「あと、クリームシチューで使った牛乳やバターもシャトリューズ侯爵領の物なんですよ」
「そうか、それは父や母も喜びそうだ。今度このシチューを食べさせてあげたいな」
家族思いのリックの言葉と笑顔に、ベルも笑顔を返す。
ザックがいて二人きりではないが、こんな風にゆっくりと話しをするのは本当に久しぶりで、素直に嬉しかった。
仕事が忙しいと聞いていたため、会いたくても会いたいと我儘はいえなかったのだが、会わない時間があったことでリックへの想いを再確認できた。ベルはそんな風に感じていた。
「今日の料理はザックの好物なんですよ」
ポン・デ・ケージョもそうだが、ホワイトシチューも前世からのザックの好物である。
会話の中の何気ない言葉だったが、「へー、そうなのか……」と答えたリックの瞳は、優しい表情とは裏腹に冷えて行く。
リックに会えて浮かれているベルは、その事に気付かなかった。