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あんぱんとその中身

 ビリジアン王国第三騎士団団長であるマーベリック・シャトリューズは、ここ数週間これまでにない程の忙しい日々を過ごしていた。


 愛しい婚約者であるベルには、残念ながらろくに会えず、二人でゆっくりと過ごせた日など、何日前だったか思え出せない程だ。


 その上今は、毎朝の日課ともいえた麦の家に行く暇さえもない。

 いや、行ったとしても出勤時間が遅くなったベルに会える可能性は低いのだが、それでもベルの味には会える。

 そんな当たり前が出来ない程忙しい生活を送っているリックには理由があった。


「これで五件目か……」


 資料に目を通し、ため息が漏れる。

 ここ数ヶ月の間に女性が誘拐される事件が立て続けに起こり、街を守る第三騎士団団長のリックは頭を悩ませていた。


 最初に誘拐された女性は平民だった。

 商店で働く女性は、ある日突然仕事に来なくなった。

 その際、店の者が街の兵士の駐在所に相談に行ったそうだが、一平民女性、それも成人している女性の捜索に力を入れる事など兵士がするはずもなく、きっと良い人が出来て出て行ったのだろうと簡単に片づけられてしまった。


 そして二人目、三人目の被害者も平民女性だった。

 どちらも働きに出ている女性で、一人で生活出来ていたため、一人目と同じように処理されてしまった。


 いくらビリジアン王国が他国に比べて発展しているとは言っても、平民女性一人の不明に対し重きを置くことは無い。

 それに何より彼女達は一人暮らしだったこともあり、深く探す者などいなかった。


 恋愛が自由な庶民たち。

 女性に良い相手が出来、その相手と暮らすために勝手にいなくなる話しは良くあること。それが災いしたと言える。


 なので勿論働き先の者達も仕事に来なければそれまで、代わりは幾らでもいる、新しい者を雇おう、そう思うだけだった。


 だからこそリックの耳に入って来ることもなく、初動が遅れたともいえる。


 だが、四件目は貴族女性だった。

 身分は平民に近い男爵家のご令嬢。

 実家が貧しく、商家の令嬢の家庭教師をして生活費稼いでいた。


 彼女は一人暮らしではなく、実家暮らしだった。

 その上、仕事先の商家からも、そして実家の男爵家からも捜索願いが出るほど真面目で人望が厚い女性だった。婚約者もおらず、浮いた話もない。幼い弟や妹たちの為、自分の結婚を諦め働きに出るほどの女性。そんな女性が勝手にいなくなる筈はない。皆そう思った。


 街の兵士たちも流石に貴族女性が行方不明となれば動かない訳にはいかない。

 彼女の足取りを探り、聞き込みもしてみた。

 だが女性の行方は分からず、兵士たちも行き詰った。

 そこでやっと上へと報告が上がった訳だ。

 遅いともいえる行動だが、他国に比べればこれでも素早いと言える。

 女性の行方不明事件は不名誉とされ報告されないケースが当然だからだ。


 そしてこの事件がリックの耳に入ってきたのは、ほんの二週間前。

 最初の事件からは既に三カ月も経っていた。

 もしかしたら他にも探せば被害者はいる可能性もある。

 そんな事を含め捜索を始めたところ、今日五件目の事件の報告が来たのだ。


「今回は平民女性か……」


 四件目の男爵令嬢はやはり平民と間違われて誘拐された可能性が高い。


 平民ならば行方不明になってもそれほど大きな問題にならないため、犯人はその事が良く分かっている人物だと言える。


 そして行方不明になった女性たちの特徴。

 それぞれ顔立ちや体型は違うが、皆美人だとそう言われている女性たちだった。


「奴隷にされ売られている可能性が高いな……」


 第三騎士団団長の執務室でリックが一人そう呟くと、それに合わせるかのように扉を叩く音がした。


「リック!」


 リックの返事も待たず部屋に入ってきたのは勿論副団長であり、リックの幼馴染でもあるイーサン・ジグナルだ。


 いつもならば注意の一つもするところだが、自分の名を何度も連呼するイーサンの慌てぶりに、リックは小言を呑み込んだ。


「どうしたイーサン、事件で何か進展があったのか?まさか新たな被害者が出たわけでは無いよな?」


 リックの問いかけに「違う違うそうじゃないよー」とイーサンは子供の地団駄のような行動をとるが勿論無視だ。


 では一体なんだ?とリックは首を傾げた。慌てるイーサンなど珍しい。


 まあ事件の話もしたいし、取りあえず椅子に座れとイーサンを促してみたが、先程までの勢いは何だったのか、イーサンはもじもじとトイレにでも行きたいかの様子を見せ始めた。


「お前ここで漏らすなよ?」

「へっ?えっ?も、も、もらす?えっ?リック知ってるの?」


 可笑しい奴だとは思っていたが、今日のイーサンはいつも以上に可笑しい。

 もしや女性を誘拐したのはジグナル家の者たちだったのか?とそんなあり得ない考えが浮かんでしまう。


 思わずリックが睨めば、イーサンの目がわざとらしく泳ぐ。


 怪しい。

 怪し過ぎる。

 いつものイーサンはどこへ行った。


 家業のことならどこまでも隠し事が出来る男のはずなのに、余りにも不自然だ。


「イーサン、俺はお前を信じていたのに裏切ったのか?」

「ち、違うよ、あ、相手は俺じゃ無いよ」


 相手?

 なんの事だと思ったが、イーサンのきょどりっぷりが面白いのでリックは揶揄うことにした。


「親友だと思っていたのは俺だけだった様だな……」

「な、なに言ってんだよ、俺達はずっともだよ」


 普段飄々としているイーサンが焦るのは面白い。

 仕事が忙しくうっ憤がたまっていたのか、リックは親友を揶揄うのがやめられなかった。


「イーサン、もう仕事以外では話しかけるなよ。お前との関係はここまでにする」

「な、なんでだよ!ベル嬢の浮気相手は俺じゃないのにーーーーーーー!!」




「……はっ?」





 イーサンの叫び声にリックの喉から恐ろしいほど低い声が出たのだった。

 







 家の者を使い街の情報を集めていたイーサンの元に、ベルの情報が集まるのは当然のことだった。

 被害者は美人ばかり、超絶美人なベルの情報はとても詳しく入ってきた。


 なんせベルはこの街でも有名になり始めたパン屋麦の家の若きオーナー。

 とびっきりの美人な上に優しく誰にでも親切。

 リックとの婚約やウィスタリア公爵家の娘であることは平民には伏せてはあるが、常連客ならばその情報は知っているものも多くいる。


 なので毎日のようにベルの情報がイーサンに流れるのは当然のことだったのだが、その中で一つだけ理解できない情報があったのだ。


 それが『特級冒険者のアイザック・オランジュが麦の家に通っている。ベル嬢とも仲が良い』だった。


 そんな情報が入ってきたが、イーサンはただの客だろうと最初は気楽に考えていた。

 だが

 

『アイザック・オランジュが麦の家の居住区に入っていった』

『アイザック・オランジュが麦の家で夕食を食べているらしい』


 そして今日


『アイザック・オランジュが麦の家に泊ったようだ』


 と、そんなありえない情報が入り、イーサンは慌ててリックの下へと駆けて行ったのだ。


 親友の危機。

 イーサンが慌てないはずがなかった。





 イーサンから情報を貰ったリックは、仕事を通常時間で終え、ウィスタリア公爵家へと急いで向かった。


「イザベラお嬢様は本日麦の家にお泊りになるそうです」


 ここの所ベルをほったらかしにしていたせいか、執事のウォルターの態度が冷たいように感じる。

 仕事が忙しくても、せめて手紙や贈り物でもすれば良かったと後悔するが、それも今更だろう。


 ウォルターに礼を言うと、リックは愛馬にまたがりすぐに麦の家に向かった。

 噂を信じているわけではないが、とにかくベルに会いたい。

 ただそれだけだった。



 麦の家に着けば、もう店じまいをしておりひっそりとしていた。

 ただ居住区からは光が漏れ、皆の笑い声が聞こえ胸が痛んだ。


(今日は止めた方が良いだろうか……)


 居住区の扉を叩こうとして手が止まる。

 臆病者な自分が顔を出し、過去の婚約者の言葉が胸に突き刺さった。


『マーベリック様の事は好きです。でも愛することは出来ません』


 嫌な記憶に首を振る。

 あの人とベルは違う。

 そう思っていてもどうしても不安になってしまう。


 こんな気持ちを抱えたままベルに会う訳にはいかない。

 そう思い、リックは帰ることに決めた。

 臆病者なのではない。

 気持ちを落ち着かせるためだ。

 自分自身にそんな言い訳をした。


「うん、明日、明日こそベルときちんと話そう」


 そんな先延ばしとも言える言い訳を一人玄関前で呟いていると、トタトタと階段を降りる音がして居住区の玄関扉が開いた。


「まぁ、リック様」


 驚きながらも嬉しそうな笑顔でベルがリックの名を呼んでくれた。

 それだけでやっぱり噂はただの噂だったのだと、リックの気持ちが浮上する。


「ベル、会いたかった……」


 久しぶりに会えたベルの可愛さに思わずリックの手が伸びる。ギュッと抱きしめたい。ベルの香りを堪能したい。

 そんなリックの欲望が湧き上がる。

 だがそれを止めるかのように、ひょこっとベル後ろから人が出て来た。


「こんばんわーっス、いや、初めましてっすかね?へへへ」


 当然顔でベルの横に顔を出したのは、ビリジアン王国の者ならば誰もが知っている、特級冒険者のアイザック・オランジュだった。


 思わぬ大物人物の登場に、ベルへと伸びていた手もそのまま、玄関先で固まるリックなのだった。


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