従業員とビスケット【後編】
「ミアに店長になってもらうにあたって一つだけ懸念があるの……」
ミアが店長になる覚悟を決めると、ベルが物凄く言いにくそうな顔でそう声をかけてきた。
もしや自分の作るパンがまだ半人前なこと?
それとも計算が遅いことや字が汚いこと?
いやいや、もしかしてこの見た目かな?
と一気に不安になったミアに対し、ベルは住まいのことで……と歯切れ悪く話し出す。
「私は今後ウィスタリア公爵家の娘としてこちらのお屋敷に住むことになるの、襲われたばかりだから、護衛もかねてなのだけど……」
そこまで話を聞きハッとする。
ベルが麦の家から出てしまえば、ルカ、レオの男兄弟とミアだけが麦に家に住むことになる。
自由な国ビリジアン王国だとしても、さすがに婚約も、結婚も済ませていない男女が同じ屋根の下に住むのは外聞が悪い。
考えられる解決方法としてはミアが実家から通うということだろうか。
でもミアは実家には帰りたくはない。
姉ばかり優遇する家に帰ったが最後、きっと麦の家には通わせてもらえなくなるだろう。下手をしたら麦の家のレシピを盗作しろ、そういわれる可能性も十分にあった。
「それでね、方法としては、ミアもこのウィスタリア公爵邸に住んで私と一緒に麦の家に通うということなのだけど……」
ミアは無言で首を振る。高速だ。
無理無理無理、その言葉は言わなくてもベルには伝わったようだ。
一般的なその辺にいるごくごく普通な平民のミアが公爵家の一角に住む、そんなの無理に決まっている。
三日もたてば胃に穴が開く。
それだけは断言できるし、夜もぐっすり眠れないだろう。
「シャトリューズ侯爵家……リック様のご実家も名乗りを上げてくださっているのだけど」
そちらはそちらでまだ結婚していない息子がいるので、また同じような問題が起きるし、ベルは一緒に住むことは難しい。だったらミアがシャトリューズ侯爵家に行く理由がなくなってしまう。
公爵家に侯爵家。
夢の様な選択だが、どちらもミアには無理だ。
かといって実家は絶対に嫌。
そうなるとミアが一人暮らしをする。それが一番無難なのだが、今回の襲撃事件があったため、一人住まいはさせられないとベルは心配そうに言い切った。
「だったら……だったら俺と、婚約するっていうのはどうだろうか……」
ミアの隣、黙って話を聞いていたルカが突然そんなことを言い出した。
ルカは優しい。
病気の弟の面倒をずっと見てきただけあって、とても優しい。
きっと困っているミアを見て見かねたのだろう。
それで婚約すれば何とかなる、そう思ってくれたのかもしれない。
「ルカ、婚約って勢いで言っていいものじゃないのよ」
嬉しいけれど、義理での婚約なんて嫌だとミアはつい可愛くない言い方をしてしまう。
姉だったらこんな時「嬉しい、ありがとう、助かっちゃう」なんて言葉を相手に投げかけるのだろう。でもミアには無理だ。
「同情で婚約って言われても私はーー」
なんだか泣きそうになってきた。
ルカへの想いは気づいたばかりだったけれど、思った以上に好きになっていたのかもしれない。
そんなミアの横、ルカは「違う!」というと、ミアの前に跪いた。
「俺は最初にミアに会った時からミアのことが好きだった」
「えっ? ええええっ?!」
可愛げのない声が出るが、ルカはそんなことは気にしない。
ニコッと笑ってそんなミアも受け入れてくれる。
「最初の好きは、友人としてというか、一緒に働く仲間として好きだなって思った。ベルさんの選んだ人だし変な人ではないだろうって思ってたけど、ミアは最初から俺のことを、俺たち兄弟のことを受け入れてくれたし、弟のことを見放さない俺をすごいって誉めてくれただろう。あれが凄く嬉しかった」
「そんな、それは当たり前の感想で……」
「いいや違う。今までの職場でそんな人はいなかった。皆見て見ぬふり、俺のことを馬鹿だなっていう人もたくさんいたんだ」
これまでルカの生活は大変だった。
成人前から親元を離れ、家具職人になる為一生懸命働いていた。
そんな中で病弱な弟の世話までしていたのだ、どれ程大変だったのだろうと想像だけで頭が下がる。
でもベルに救われ麦の家に来てからは生活が安定し、周りを見る余裕ができた。
そしてそんな中でミアの優しさや誠実さに触れ、ルカはだんだんとミアのことを異性として意識するようになったのだと、そんなことを言った。
「俺はミアより年下だし、パン作りだってまだ半人前だし、字だって麦の家に来てから覚えだしたし、計算だってミアのように速くはできない。ミアよりもできることはとても少ないと思う」
「そんなことは……」
そんなことは絶対にないと首を振るミアに「そういうとこが優しいんだよ」とルカが優しい笑顔を見せる。
ルカだってそういう笑顔を見せるところがすごく優しいのに。
そう、ルカはいつだってミアに優しかった。
重いものを持てばすぐに代わってくれたし、手先が器用なルカはミアのパン形成の際丁寧にコツを教えてくれた。
弟のレオを見ていればルカの人となりは分かる。
レオがあんなにも素直ないい子なのはルカの教育があったからだ。
ルカがしっかりとレオを大事にしたから、貧しくってもレオはひねくれることがなかった。
自分のようにはならなかった。
「私は、ひねくれものだよ。ルカに優しくされるレオが羨ましいって思ってたりしたし」
「うん、それは嬉しい」
「そ、そばかすだってたくさんあるし」
「ミアのチャームポイントじゃないか、俺は好きだよ」
「それに、ベルさんみたいに美人でもないし」
「ベルさんは確かに美人だけど、ミアはとっても可愛いよ。それに俺の中ではミアが一番の美人だ」
「それに、それに、私……自分の家族のこと大っ嫌いなの、すっごく性格悪いんだから」
「うん、それ言ったら俺も、前いた職場の人たちが嫌いかな、殴ってきたやつなんて仕返ししたいぐらいだし」
ミアの気持ちをすべて肯定してくれるルカに断る理由などあるだろうか。
こんな自分でもいいと、ルカは言ってくれているのだ。
探してももう断る理由など見つからない。
「本当に本当に私でいいの? 後悔しない? 生ものだから返品交換は利かないんだよ」
「うん、ミアがいい、ミアじゃないとダメなんだ。だから俺と婚約してください。お願いします」
ミアじゃないとダメだと言い切ったルカの言葉が嬉しくって、ミアは差し出されたルカの手をぎゅっと握った。
「お願いします」
ミアがそう答えると、ワッと歓声が上がる。
すっかり忘れていたがここはウィスタリア公爵家のお城の様な屋敷の中。
ベルやレオ、マティルダだけでなく多くの使用人たちがミアとルカのプロポーズの場面を見ていたのだ。恥ずかしい。
穴があったら入りたい、まさにそんな気分だ。
「ミア、ルカ、おめでとう」
ベルが涙目で祝福してくれる。恥ずかしいけれど憧れの人からのお祝いの言葉は素直に嬉しい。
「お兄ちゃん! やったねー! ミアおねえちゃんが僕のおねえちゃんになるよー」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるレオが可愛い。
口を縫い付けたいだなんて思って申し訳なかった、本気でそう思う。
「まあまあ、ルカったらやるじゃないのー。男らしくって私は好きよ。ウフフ、そう、ミアは家族が嫌いなの、昔の私と一緒ね。いいわ、任せなさい、この私があなたたちの婚約認め人になりましょう。誰にも文句は言わせないわよ」
嬉しいけれどマティルダ様の笑顔に何故かぞくりとしてしまう。
公爵夫人の認める婚約を反故にしようとするものなど果たしているだろうか。いるはずもない。
「俺たち絶対に幸せになります。それで麦の家をもっと人気店にして見せます!」
ミアの手を握りそう答えたルカを、頼もしいと感じたミアだった。
「ミアが婚約するって、近々あいさつに来るそうよ」
「「えっ? ミアが婚約?!」」
ミアの実家の食堂に、ある日手紙が届いた。
上質な紙で作られた封筒に、白銀色の蝋印が押された高級な手紙。
恐る恐る中を開けば、ミアが婚約をすると書かれていて、店の定休日に挨拶に来るのだという。
「へー、あんな子を選ぶ男がいたんだー。ミアなんて全然可愛くないのに、きっと下働きとしてなら役に立つと思われたのね。女としてなんて見てもらえないでしょう。あの子ブスだもの」
とりつくろう様子もなくミアの姉レアがそんなことを言う。
麦の家で働きだすと挨拶に来た際、あまりにもミアが変わっていて驚いた。
上質なワンピースに、可愛く編まれた髪。
両親にずっと可愛がられてきた自分さえそんな服を着たことなどなかった。
着飾ったミアは、ブスだと呼べる様子でもなくってなんだか悔しかった。
それに自分の婚約者が見とれていたのも許せなかった。
その後は喧嘩するたび「ミアのほうが優しくって可愛かった」そういわれてムカついた。
だからミアが幸せそうなのは許せない。
もし相手がいい男だったら奪ってやるか、別れさせてやるんだ。
妹の結婚話にそんな気持ちが沸いた。
それに近所の人たちが「ミアちゃんって本当は可愛かったんだねー」と話しているのを聞いてから、イライラが止まらない。
レアとミアの可愛差は着ている服の差だけだった。そう言って皆で笑っていて殴りかかろうかと思った。
幼いころからレアは特別だった。
父からは跡継ぎだと大事にされ、母からは自分に似ていると可愛がられた。妹のミアが出来てもそれは変わらなかった。ミアは常にレアより劣る存在。それが当たり前だった。
ミアの服はいつもレアのお下がり。
美味しい食べ物はレアのもの。
可愛い人形だって素敵な男の子だって、みんなみーんなレアのもの。それが当然だった。
大きくなってミアが字を覚えると、字が書けない父は女のクセに生意気だとミアを益々嫌った。
計算が苦手な母はスラスラと計算するミアを小賢しいと毛嫌いをした。
だからレアは字もそれ程書けないし、計算だって得意じゃない。だってそれはレアが覚えなくって良い事だったから。父と母がそれを望まなかったからだ。
「ミアさんがいないなら辞めさせて貰います」
店の見習い達がそう言って店から去って行った。
店を継ぐレアの結婚が決まったのだからある程度は覚悟していたけれど、ミアがいないからという理由には腹が立った。あんな子に何の魅力があるというのだ。
自分で選んだ婚約者は使えない男だった。
料理の味はイマイチだし、野菜の切り方一つとっても大雑把で汚らしい。
新人の見習いの方がよっぽど役に立つぐらいだ。
「だったらお前がやれば良いだろう! ミアだったら俺が何も言わなくてもやってくれたのに!」
そう言って婚約者は常にレアとミアを比べる。
本当は婚約を解消したいが、職人がいなくなった今、一人でも人がいなくなると店が立ち行かなくなるので文句も我慢する。腹立たしい。
「なんだかこの店味が落ちたよなー」
「ああ、店内も汚くなったしなー」
常連客がヒソヒソとそんな話をする。
父もレアも今まで通り仕事をしているのに周りからは認められない。それが忌々しい。
結局その人たちはそれから店には来なくなった。
レアの料理は一流店にも負けないはずなのに。
常連客が減って父はなんだか小さくなった気がした。情けなくって嫌になる。
「ミアさんと婚約させていただきます、ルカと言います。宜しくお願いいたします」
婚約の報告に来たミアは、水色のワンピースに身を包み、以前よりももっと輝いていた。
相手の男は普通の男だ。特別ハンサムではないことにホッとする。
だけど着ている灰色のジャケットは良い物だし、何よりミアを見るその目が優しそうで許せなかった。
両親は結婚は許さない、店に戻って来いとハッキリ言ったが、ミアは「これは報告であって許してもらう必要はない」とキッパリ言い切って帰っていった。
ミアのくせになんて生意気なんだろう。
両親に育ててもらった恩も忘れてあんなことを言うだなんて!
許さない!
許さない!
絶対に許すものか!
ミアが私より幸せになるなんて、そんな事はあり得ないんだから!
どうやってミアを別れさせてこの家に呼び戻そうかと両親と話していると、店を閉めた遅い時間だと言うのに訪問客がやって来た。
「ウィスタリア公爵家が執事ウォルターでございます。主人の命によりお話に参りました」
公爵家の使いだと聞いて父も母も頭を下げる。
不敬を働いたら大変なことになる、それぐらいのことは誰でも知っている。
もしかしてこの店を気に入ったのかしら?とそんな期待を持った。
やっぱり私の料理は一流なんだ、と自信が戻る。
そうでなければ公爵家がこの店に用事がある理由なんてないんだから。
「こちらのお嬢様であるミア様のご婚約ですが、婚約の見届け人は我が主人であらせられるマティルダ様がサイン致しました」
「はぁ?!」
なんでミアなんかの婚約が公爵様に認められるの?
意味がわからなくって両親と間抜けな顔になる。
「もしお二人の婚約を認めないとするならば、我がウィスタリア公爵家の決定に反論があるとして徹底的に戦わせて頂きます」
「は、反論だなんて、そんな。ただ可愛いミアには他にもっと良い人がいるんじゃってそう思っただけで……」
言い訳をする父の前、執事の男はニコリと笑った。
「そうですか、ではこちらの書類を見て下さい。あ、字は読めますかな?」
父はあまり字に詳しくないため、母とレアとで書類に目を通す。
難しい言葉ばかりで詳しくは分からなかったが、自分達がミアを虐待していた、そう書かれていた。
「虐待だなんて、そんな、ミアがミアが、そう言っているのですか?あの子は嘘つきなんです!話を信じないでください!」
「そうよ!ミアは嘘つきで馬鹿でどうしようもない妹なんだから!あの子の言う事なんて間違いだらけなんだから!」
反論するレアと母の前、執事の笑みはより深まった。
「ミア様は何も仰っておりませんよ。こちらは見届け人として調べた結果でございます。幼いころから姉上とミア様を差別して育てた、それだけで十分に虐待に値します。なのでこれは世間から見た事実です。周りの皆様がみなミア様は虐待されていた、とそう仰っているのですよ」
執事の言葉に返す言葉が見つからない。
確かにミアのことなど、これまで大事にしたことはなかった。
だってそれが当たり前で当然のことだったから。
執事が去ったあと、家の中は静まり返っていた。
ミアのことなんてもう放っておけばいい。
あの子のことなんて自分たちの子供だなんて思わない。
うちの子はレアだけ。
父や母がそう言いだしたが、負け惜しみのように感じて虚しかった。
ミアに比べたらレア(自分)なんて価値はない。世間からそう言われた気がした。
「あの、俺、店を辞めます。レアとの婚約もなかったことにしてもらえますか?」
次の日、婚約者がそんなことを言ってきた。
公爵家に睨まれた庶民の店に未来はない。
そう言って彼は出て行った。
私が選んだ男は最低な奴だって、その時気が付いた。
ああ、私の幸せはこんな簡単に壊れるんだ。
一体何が間違って居たんだろう。
レアも両親も、自分たちの犯した罪に結局いつまでも気が付かなかった。
ミアの実家は数年後に店を畳んだ。
客足が遠のき経営が厳しくなったからだ。
父の田舎を頼りに引っ越したが、家族と縁を切っていたミアは見送りなどしなかった。
「私の家族はここにいる人たちだから」
そう言って笑うミアの笑顔には、一点の曇りも陰りもないのだった。
皆さまおはようございます、そして初めまして、夢子です。
ここまでベルの物語を読んで下さってありがとうございました。
初めての投稿でどこまでの方々が読んで下さるか心配でしたが、目標だったブクマ100は超えられたのでほっとしております。
それから誤字脱字報告下さった皆様、ここでお礼申し上げます。ありがとうございました。
自分で何度もチェックしてもどうしても見逃しがあり、校正していただけることはとてもありがたかったです。本当にありがとうございました。
出来ましたら次回作でも皆様にお会いできたらと思っております。
一週間後ぐらいに投稿をと思っております。
お付き合いして頂けたら幸いです。よろしくお願いいたします。m(__)m