後悔とベーグル④
幼馴染たちのお話です。m(__)m
あの夜会の日から数日たったマホガニ家では、宰相の父が珍しく朝食の場にいてジュールは驚いた。
いつも忙しく朝夕と顔を合わす事など殆どない父、それが時間を気にせず優雅に食事をとっているのだ。母や、弟たちも食卓には既に着いていてジュールが一番遅かったことが分かり、慌てて席へ着こうとした。
「おはようございます、父上、遅れて申し訳ありません」
ジュールが話しかけても父はピクリとも動かず、ただ食事をするばかり。
もしかして聞こえなかったのか? それとも機嫌が悪いだけなのか。
母へと視線を送ってみるがジュールを見ることは無い。
仕方なく弟たちへと視線を送ってみれば、目があった途端ジュールを避けるかのように食事を終え、さっさと部屋を出て行ってしまった。
(一体何なんだこの雰囲気は……)
理由は分からないが何か父の機嫌を損ねる事が有った事は分かった。
きっと弟達が朝から父を怒らせたのだろう、ジュールはそう納得し、取りあえず席に着き食事を待つことにした。
両親の食事が進む中、待てど暮らせどジュールの食事が運ばれてくることは無い。
使用人に声を掛けようとそう思った時、食事を終え口元をナフキンで拭った父が「ジュール」と声を掛けて来た。
「ジュール、お前は地方の文官となる事が決まった、今日中に荷物をまとめ明日には所属先へ向かえ、ああ、荷物は最低限の量にまとめるように、あちらでの部屋は個室では無いからな、新人の文官の荷物を置ける場所など限られている。服は制服があるそうだ。普段着など二、三着で足りると思うぞ、良かったな」
「はっ?」
言われている言葉の意味が分からず間抜けな声が出る。
「なんだ、お前は頭だけでなく耳まで悪いのか? いいかもう一度言う、お前は地方の文官になるんだ。荷物をまとめ出ていけ、今度は聞こえたか?」
突然のことに返事が出来ない。
何故宰相の息子であり、クリスタルディ殿下の側近である自分が地方の文官に?
将来このマホガニ家を継ぐのは自分だし、クリスタルディ殿下が王になった暁には、自分が宰相になる、そう思い勉学にも励んできた。
だから何度聞いても父の言葉が理解できなかった。
「あ、ああ、将来の為に一文官の知識を得ろと仰るのですね、父上。それなら王城でもーー」
「違う!」
「えっ……?」
「愚かなお前の受け入れ先が人手不足のその地しか無かっただけだ。命があるだけでも有難いと思え、分かったか!」
「え?は?な、なんでーー」
「なんで?なんでだと?その頭は空っぽか!いいか、この度のイザベラ様への件で我が国は他国から非難の嵐だ。私は責任をとって宰相の職を辞した。病気以外で宰相の任期を全うできなかった者はこの私ぐらいだ。イザベラ様の実家カーマイン侯爵家はクリスタルディ様の後ろ盾から手を引いた。当然だろうな、あんなことをする愚か者なのだ。付き合いきれん!いいか、この国一番の力を持つ侯爵家が王家と縁を切ったんだぞ、この国が潰れそうだとそんな簡単な事もお前には分からないのか?」
「そ、そんなーー」
「弟たちの外交官になる夢もおまえが断ち切った。一生懸命外国語を学んでいたが今後セルリアン王国は他国に相手にもされないだろうなっ。外交官など笑いものになりに行くようなものだ。分かったらさっさと出ていけ、目障りだ!」
両親はその後ジュールに話しかける事も見る事もしなかった。
現実を受け入れられないジュールは、重い体を引きずるように自室へ向かい、渋々荷物をまとめだした。
誰からの見送りもなく、派遣先へと向かう。
初めて乗った集合馬車は乗り心地が悪く、何度も吐きそうになった。
その後地方の文官となったジュールは、一人で生活などしたことがなく生きて行くのに精一杯で全く役に立たなかった。
農具一つにしても名前も分からず、少し訛り気味の農民の言葉も分からない。
そんな様子から周りの文官たちからも馬鹿にされ、自分の後から入ってきた新人文官からも呆れられた。
どうにか一人前になったころ、気が付けば父と同じぐらいの年になっていた。
フレッド・カルーアは魔力を持って生まれた。
この世界、魔法を使える人間は年々少なくなっている。
なので大きな魔力を持つ魔法使いは手厚く保護される。
フレッドは幼い頃その魔力量に注目が集まり、多くの魔法使いを輩出してきたカルーア家に養子にされた。大事に大事に育てられ、多少の我儘ならば許される、そんな扱いを受けていた。
なので自分は他の魔法使いとは違う。尊い存在だとそう自負していた。
聖女召喚で多くの魔法使いが亡くなったと聞いても、自分がいるのだから大丈夫、何か問題が?その程度の認識だった。
聖女が無事に召喚された時も、召喚魔法を成功させたのは自分の功績だとそう思っていた。
魔力を使ったのはその他大勢の魔法使いでも、呪文を唱えたのは自分だったからだ。
益々もてはやされ、未来の魔法研究団長だと言われた。
養父も喜んでくれ、養子として責任を果たしたとそう思っていた。
だが、イザベラを断罪してから、周りの視線が変わった。
前は笑顔で挨拶していた者達が、フレッドを見るとあからさまに嫌な顔をし、中には踵を返すものまでいた。
一体どうしたというのだ?何か有るのなら直接言ってくればいいのに。
そんな思いを抱えて数日、父であるカルーア魔法研究団長に呼び出された。
「お前との養子関係を解消することにした」
「えっ……? 父上?何故?」
「魔法使いは命を掛ける仕事だ。その分仲間意識は高い。お前のように簡単に仲間を切り捨てる者を我が家には置いておけない。あの夜会でのイザベラ様への扱いを見て、妻は気を失いそうになったよ。もうお前を息子とは思えないそうだ。それには私も同意見でね。今後顔を合わせても父とは呼んでくれるな、気持ちが悪いからな」
「えっ? なんで? だってイザベラはーー」
「悪女だとでも言いたいのだろう? だが、イザベラ様の罪状は取り消された。お前は城にいたのにそんな事も知らないのか?」
「えっ?」
「それにな、聖女召喚の時、イザベラ様は魔法使い達が危険な目に遭わないようにと、念の為召喚者の人数を増やすようにとそうアドバイスしてくれたそうじゃないか」
「ええ、でも、それはーー」
「そうだ。お前が何を言っているんだと一蹴した。お陰で貴重な魔法使いが五人も亡くなった。その後遺族に対し手厚い補償を用意して下さったのは他でもない、イザベラ様だ。どれだけの魔法使いがイザベラ様に恩を感じているか、自分にしか興味がないお前には分からないだろうな?」
そんな事、知らなかった。
そう言いかけてフレッドは押し黙る、そのセリフこそ自分にしか興味が無い、父のセリフそのままだからだ。
聖女召喚の時も、確かにイザベラは苦言を呈してきた。
魔法を知らないやつが何を言っていると思ったし、イザベラが五月蠅いのはいつものことだとフレッドは取り合わなかった。
それに亡くなった魔法使いたちのことも、何とも思っていなかった。
周りが友の死に涙する中、替えはいるのにと何の感情も湧かなかった。
その他大勢が死んだだけでいつまで泣いているんだ? そんな言葉を投げ掛けた記憶まである。
「で、でも、僕は、クリスタルディ様の側近で……」
王太子の側近が平民である訳にはいかない。
カルーア家に養子を解消されたら別の家に養子に入らなければ、フレッドはクリスタルディにも聖女であるヒカリにも近づけない。
「ああ、安心しろ、お前は魔獣討伐団への入団が決まっている」
「ま、魔獣討伐団?! そんな! 僕は希少な魔法使いですよ? それに魔力量だって沢山あるのにーー」
「安心しろお前の代わりなどいくらでもいる。魔法使いは少ないが、魔道具を作れる人間はイザベラ様のお陰で増えているんだ。だから魔力量が多いだけのお前など居なくても私達は困らない」
「で、でも、魔獣討伐団だなんて!」
死にに行けと言っているような物だ。
魔獣討伐団は騎士と兵士、それに魔法使いで構成される実力主義の集団。
王城で魔法ばかり研究していて実戦経験のないフレッドが役に立つとは思えない。
自分は魔法を研究する方が向いている。
そう答えようとしたのだが、カルーア魔法研究団長の魔法によって、フレッドはもう言葉を発することは出来なくなっていた。
「ああ、お前は余計な事ばかり言うからな、心から反省するまでその声を消させて貰ったよ」
「……っ!」
「仲間を見殺しにして何とも思わないお前が、魔獣討伐団で上手くやっていけるかは分からないが、まあせいぜい頑張ってくれ、期待はしないでおくよ」
「……っ!!」
フレッドの言葉を聞くことなく、カルーア魔法研究団長は「じゃあな」と一言残し、部屋から出て行った。
数分経つと知らない男たちがフレッドを迎えに来た。
その体格と厳つい顔つきだけで魔獣討伐団の男たちだと分かった。
「おいおい、こんなひょろっこいのがウチでやって行けるのかー?」
「……っ!!」
一人の男がフレッドを上から下まで見下ろしそんな事を言う。
確かに運動などしないフレッドに余計な筋肉などついていない。自分でも無理だとそう思った。
「まあ、魔獣の餌には丁度いいんじゃないか? 魔獣は魔力を持つものが好きだからな」
大量に魔力を持つフレッドならば魔獣をおびき寄せるには丁度いい、魔獣討伐団の男は良い笑顔でそう言い切った。
「取りあえず、連れて行くか、ああ、目的地までは魔法を使えなくするからな」
そう言って魔獣討伐団の男はフレッドの手に枷を嵌めた。
魔法が使えない、それはフレッドの命を削るような行為だ。
「お前簡単に死ぬなよ? せめて魔獣の一匹ぐらいは倒してくれよな」
楽し気に話しながら魔獣討伐団の男たちはフレッドを引っ張っていく。
暴れても動けず、首を振って嫌がって見せるが、魔獣討伐団の男達の力が強くて逃げ出すことは出来ない。
「大丈夫。襲われたら声を出せばすぐに駆け付けるよ。安心しろ今日からお前は俺達の仲間だ」
そう声を掛けられたが、声が出せないフレッドは只々絶望しただけだった。
騎士団長であるチュベロ子爵家の朝は早い。
毎朝自宅から王城へと向かい、団所属の騎士たちと共に汗を流す。
騎士団長子息のアーノルドも勿論、幼いころから父と共に朝練に参加していた。
いずれは王となるクリスタルディを守るべく、鍛錬には力を入れていた。
家柄でその地位についたと思われないように、父のように実力のある騎士になりたかったから、アーノルドは誰よりも自分を鍛え、強い男だと自負していた。
努力の結果、アーノルドは十歳のころから大人にも負けなかったし、父親にも認めてもらっていた。
だから自分が次期騎士団長になる事を疑っていなかったし、実力的にも間違いないとそう思っていた。
イザベラを断罪したのも、未来の騎士団長として当然の行為だった。
悪女を裁く。
正義を貫く自分の行為にアーノルドは酔っていたとも言える。
「アーノルド、お前は今日から城には向かわなくていい、お前は辺境地の一兵卒からやり直しだ。辺境へ行く準備をしろ」
「は? 父上、何を仰っているのですか? この私が一兵卒?」
父親の面白くもない冗談をアーノルドは鼻で笑った。
自分が兵士に身を落とすなど宝の持ち腐れでしかない、冗談にしても笑えない。
だが父に笑みは無い、真剣な顔でアーノルドを見ている。
もしやこれは冗談ではない?
本当に辺境に行って兵士になるのか?
実力のある騎士である俺が?
「冗談ではない。これは決定事項であり、上からの命令だ。お前が辺境に行かなければ命令違反で処罰される。嫌ならしっかりと仕事を全うするんだな」
それだけ言うと父はアーノルドを置いて城へと向かおうとした。
だが納得いかないアーノルドは父の腕を掴み、詳しい話を聞こうとした。
その瞬間、アーノルドの視界が変わる。父の背が見えていたはずなのに、今は天井が見えている。
背中の痛みから父に投げられたと分かり驚く。
アーノルドの背は父より大きくなっていたし、剣の技術だって負けていないとそう思っていた。
だが気付く間もなく投げ飛ばされ、相手にならないことを知った。
「そうか、お前は現実が見えていなかったのだな、当然か……騎士団長の息子だからと周りに可愛がられ甘やかされてしまったせいだな……良し、分かった、城まで付いてこい。一日だけ辺境へ向かう日を伸ばしてやろう」
馬にまたがり駆け出した父を追い、愛馬に乗りアーノルドはついて行った。
背中の痛みはまだ鈍く、段々と強くなっているようにも感じた。
城へと着くと、周りの視線がこれまでと違うように感じた。
アーノルドを見る皆の目は、これまでの尊敬や羨望というものとは違い、蔑んだもののように感じた。
特にすれ違う女性たちからは侮蔑や恐怖という嫌な視線を向けられた。
(一体何故? 俺は悪を倒した英雄なのに……)
意味も分からないまま、いつもの鍛錬場へと向かう。
待っていた騎士たちは父にだけ挨拶を返すが、アーノルドには声も掛けてこない。
「誰でもいい、こいつの相手をしてやってくれ。ああ、勿論本気でな」
父にそう言われ、中堅の騎士が名乗りを上げた。
アーノルドからすれば、常に勝っている相手であり、背中の痛みがあったとしても何の問題もなく勝てる相手だとそう思っていた。
だが、向かい合ってみれば、アーノルドの剣は簡単に躱される。
その代わりいつも避けられる相手の剣は鋭さを増し、アーノルドの体にあたる。
潰してある剣だとしても当たれば痛みがある。
これまで常に剣を避けて来たアーノルドは、その鈍い痛みに顔をしかめる。
アーノルドはいつも加減などせず相手をぶちのめしてきていた。
まさかそれがこんなにも痛いとは思いもしなかった。
何度も打たれ遂に膝をつく。
相手の息が上がっていないのに対し、アーノルドの呼吸は荒い。
それこそが答えのように感じた。
「アーノルド、お前の実力など、所詮その程度だ。皆騎士団長の息子だからと、怪我をさせないようにと加減してくれていたのだよ」
アーノルドが幼かった事も、手加減の理由になった。
最近は王太子の側近として仕事をしていたので、尚更ケガなどさせられなかったのだ。
「今日は……背中を痛めていたので……本来の実力を出せなかっただけです……」
悔しくてそんな言葉を呟いた。
醜い言い訳かも知れないが、自分の実力不足だと分かっていても認めたくなかった。
「フンッ、では、癒し人を呼んでもう一戦やるか?」
この痛みをまた受けると思うと、アーノルドはすぐに「はい」とは返事が出来なかった。
それに相手の剣が怖い。
そうも思ってしまった。
「はー、本当に情けない息子に育ったものだ……」
「……父上?」
「か弱き女性であるイザベラ様には言い訳などさせなかったのに、お前は言い訳ばかりだ」
自分を見つめる父の目が呆れているのに気づき、ショックを受ける。
ずっと憧れていた父に見放されたと、そう感じた。
「あれは、あの女が悪女だったからでーー」
「だが、か弱き女性であることに変わりは無いだろう?」
そう言われてしまえばぐうの音も出ない。
確かにイザベラの手を掴んだ時の衝撃は忘れられない。
アーノルドが少しでも力を入れれば折れそうなほどにイザベラの腕は細かった。
掴んだ髪も、腰も、全て、アーノルドが本気になればどうにでも出来ただろう。
「それにな、イザベラ様の罪は取り消された」
「えっ……?」
「お前は何の過誤もない女性に暴力を振るったのだよ。大勢の目の前でな」
「そ、そんなーー」
周りの騎士たちの目が冷たすぎて流石のアーノルドも自身のやらかしたことに気付く。
騎士として弱い者を守ることは当然の行為。
なのにアーノルドは自ら進んでイザベラを傷付けたのだ。
周りから白い目で見られるのも当然だった。
「お前達の行いのせいでセルリアン王国の騎士団が他国から……いや、国中の者達からも、非道の騎士や悪騎士と呼ばれ始めている事をお前は知っているか?」
「そんなーー」
地面に手を突き、アーノルドは項垂れる。
騎士にとって誇りこそ、一番尊き己の矜持。
それがあの日を境に汚されてしまった。
国内だけでなく国外からも、セルリアン王国の騎士は非道だとそう思われてしまったのだ。
「ここにいる騎士たちに殴り殺されてもおまえは文句を言えない。だが彼らはお前とは違い誇り高き騎士であるが故、そんな愚行はおかさないがな……」
分かったのならばすぐに出ていけ。
父にそう言われ、あの夜会の日をまた思い出す。
あの時イザベラは言い訳などしなかった。
ただ自分は虐めなどしていないと、本当のことを言ったまでだ。
その上、今後の聖女の心配までをし、城から出て行った。
「俺はなんてことを……」
アーノルドは泣きながらそう呟いた。
今更後悔しても遅いが、あの日に戻れるのならば、きっと同じ過ちは犯さないだろう。
そんな出来もしないことを思いつつ、アーノルドは愛馬で辺境の地へと向かった。
一兵卒からのやり直し、それは魔獣と対峙する最前線で戦うことを示している。
実力も供わないアーノルドが魔獣の前でどう立ち向かって行くかは、自身で考えていかなければならないだろう。
今後実力をつけ、王城へと戻る可能性もきっとゼロでは無い。
だが、その後アーノルドが城へと戻った話は聞こえてこなかった。
彼がどうなったのかは、王城の騎士たちにはまったく興味の無いことだった。