クロワッサンとその中身
セルリアン王国へのざまあ回です。
セルリアン王国王城内にある煌びやかな応接室。
そこは秘密裏に訪ねて来た特別なゲストを迎えるために使われる部屋である。
今そんな華麗な部屋で、国王イルクタルディ・セルリアンとその息子でありセルリアン王国の王太子であるクリスタルディ・セルリアンは、深い息を吐けない程追い詰められていた。
「さて、人払いもして頂けたようですので、腹を割ってお話し致しましょうか?」
青い顔になっているイルクタルディとクリスタルディに対し、まるで出会いの挨拶でもするかのように柔らかな声で話しかけて来たその男は、ビリジアン王国のロナルド・ウィスタリア公爵。
その名はビリジアン王国内では勿論有名だが、このセルリアン王国でも王族ならば知っていなければならない程の重要人物だ。
「ロナルド、書類も証拠もお渡ししてあるのだろう? だったらただこちらの結論を伝えればいいのではないか? 彼らもそれぐらいは理解できるだろう? 馬鹿では無いのだから……」
フンッと鼻を鳴らし辛辣な言葉を発するのは、ビリジアン王国の第二王子アレックス・ビリジアンだ。
ビリジアン王国王家に良く出る色合いが濃く出ているその髪は艶やかな銀色で、瞳は深い海のような濃い紺色をしている。
ロナルドとは従兄弟同士という事もあり、その見た目は双子のようによく似ている。
ただしロナルドは人受けする優しい笑みを浮かべているのに対し、アレックスはその美しい顔を歪め酷く嫌そうな表情を浮かべていて対照的であった。
「あの、証拠と仰いましたが我々は一体何のことか……」
「ほう……」
ビリジアン王国から提出された書類は、セルリアン王国の諜報員が第三騎士団長を襲ったという全く記憶にないものだった。
大国であるビリジアン王国の騎士団長を襲うなど、小国でしかないセルリアン王国からしてみれば、自ら火に飛び込んでいくような物。進んで行うような事ではない。
そんな事をすれば戦争を仕掛けられても文句は言えない。
どれだけ愚かな行為か王族でなくても理解できるだろう。
自分たちにはまったく身に覚えがない。
困惑している。とそんな表情を浮かべてみせれば、アレックスは益々不快そうな顔となり、ロナルドの笑みは何故か深まった。
「ほら見ろ、ロナルド、こいつらは書類もきちんと読むことが出来ない。とんでもない愚か者だ。さっさと引導を渡してしまえ、時間の無駄だ」
アレックスの言葉にイルクタルディとクリスタルディはぎょっとする。
先程までの言葉はまだ可愛いものだったのか、今は見下すことを隠していないようだった。
まさかここで問答無用で殺されるのではないか、とそんな不安が過る。
大国の王族。
彼らにはそれだけの力があると言えるのだから。
「ハハハ、殿下、落ち着いて下さい。彼らが怯えていますよ。さて、イルクタルディ陛下、それにクリスタルディ殿下、我々は野蛮ではない。突然襲い掛かったりしませんのでそこはご安心してください」
「フンッ、茶番だな」
ロナルドの優しい言葉にイルクタルディとクリスタルディはホッと胸をなで下ろす。
小国の王族など、大国からしてみれば平民と変わらない存在だろう。
アレックスは大国の王子というだけでそんな彼らに否応なく罪を与える事さえできる存在だからだ。
「では、まずこちらを見て頂きましょうか」
ロナルドに促され、先程読んだばかりの書類に視線を送る。
そこには第三騎士団長マーベリック・シャトリューズが襲われた日時が事細かく書かれていて、一緒にいた婚約者も襲われかけたとそう書かれていた。
「……イザベラ・ウィスタリア……」
第三騎士団長の婚約者の名を見てクリスタルディがハッとする。
自分が国から追い出した元婚約者イザベラ・カーマイン。
彼女と同じイザベラの名を持つ女性が騎士団長の婚約者。
そしてウィスタリア公爵家と言えばセルリアン王国の元王女が嫁いだ先でもある。
ああ、イザベラはあのイザベラなのだ!
そう気づいたクリスタルディは、一気に怒りが爆発した。
「これは罠だ! 我々セルリアン王国を貶める企みだ!」
頭に血が上ったクリスタルディは相手が大国の王子と公爵だということも忘れ、怒りを露に怒鳴り出す。
イルクタルディの方もクリスタルディからイザベラの名が出た事で事件の真相に気が付いたようだ。
イザベラ・カーマインを探し出し連れ戻せ。
その命令は正しく実行されたのだ。
そう、大国ビリジアン王国の国内で。
「ハハハハハ、これはこれは、面白い冗談ですねー、我々が貴方達を貶めたと? 取るに足らない小国の王家を大国がわざわざ罠にはめる? そんな必要がどこにあるのですか? ハハハハ、貴方方の冗談は実に愉快ですねー」
ロナルドの言葉に流石のクリスタルディも押し黙る。
事実イザベラを襲った際、近くに騎士団長が居たことは確かなのだろう。
それが意図的かどうかなど、今の自分達には証明する術はなにもない。
実際事件は起きてしまったのだ。今更それを消す事などクリスタルディには出来なかった。
「こ、この女は、いえ、ここに記されているイザベラは我が国の犯罪者です。貴国の騎士団長の婚約者になれるような人間ではありません!」
クリスタルディはイザベラの本性をただロナルドとアレックスに分かって欲しかった。
けれどその言葉が二人の堪忍袋の緒を切ったようだった。
しまったと思った時にはもう遅い、最初から怒りを露にしていたアレックスだけではなく、優しい微笑みを浮かべていたロナルドまでも、クリスタルディを深く軽蔑するような目で見ていた。射殺せるのではないかとそう思えるほどの瞳で。
「確か、イザベラ嬢の罪はカーマイン侯爵の訴えによって消えたはずですよね? だから貴方達は無理矢理イザベラ嬢を連れ戻そうとした、矢に睡眠薬を塗ってまでねー……」
ビリジアン王国からは物的証拠として諜報員たちが送り返された。
彼らは酷い拷問を受けただろうと思っていたのだが、医師の診断ではどこにも悪いところがないと出た。
「それどころか全く悪いところがないのです。古傷さえも治っているぐらいに……」
驚く癒し人(医師)の言葉に、クリスタルディさえも驚いた。
なぜなら彼らはまるで精神が壊されたかのようにぼんやりと、いや、それはそれは見たこともないほどに幸せそうにしていたからだ。
「自白剤を使われたのではないか?」
無理矢理話を聞くために自白剤を使われることはよくあること、ただし彼らはそういった物にも教育を施されているので、自白剤によって証言したとは考えられない。
「いえ、精神にも異常は有りません。質問にもきちんと答えられますので。それに薬が使われた痕もありませんし、どちらかというと体は起きていながらこの上なく幸せな夢を見ているような状態。そのような表現が正しいかと思われます……」
ロナルドの手の者によって万能薬を飲まされ過ぎた彼らは、精神まで幸せの絶頂を迎えてしまった。
その為話しかけられれば普通に答えられるのだが、常に幸せであり、常に笑顔であるという症状が出ていた。
可笑しくなっているわけではなく、彼らは一生傷つくことのない心を手に入れた、ただそれだけだった。
「クリスタルディ殿、私はあの夜会に出席していたのだよ。あの愚かな断罪の場にねー……」
皮肉った様子でアレックスが答える。もう侮蔑を隠す気もないのかその顔は醜く歪んでいる。
悪魔が目の前にいたらこんな風貌をしているのではないか、イルクタルディとクリスタルディにそう思わせるほどアレックスの瞳は冷たいものだった。
「そもそも一人のか弱きご令嬢を夜会の場で断罪するなど、自国が蛮族の集まりだと言っているようなものだ。あの時私は何かの催し物でも始まったのかと思ってワクワクしていたのだよ。それがまあ開いてみれば本当で本気の断罪劇。自分の耳を疑ったよ。セルリアン王国の王族はどんな教育をされているのかとね」
アレックスはまたフンッと鼻を鳴らして皮肉気に笑う。
流石のクリスタルディも自分の行いが他国からどう見られていたのか分かって顔が赤くなる。
自分は間違っていないとずっとそう思っていた。
悪はイザベラであり、自分達は正義である。
けれどあの日の出来事を知った誰もがクリスタルディを援護することは無くなった。
今横にいる父でさえ苦い顔をして渋々了承したぐらいだ。
加担した幼馴染たちも肩身の狭い思いをしていると聞く。
自分たちはただ聖女を守っただけなのに。
悪いのは全てイザベラ・カーマインなのに。
なのに今や大国の王族に叱責され、騎士団長襲撃の容疑者にまでされてしまった。
一体なぜこうなったのか。
「イザベラは聖女を貶めた悪女なのに……」
思わずそんな言葉が口から洩れるクリスタルディ。自分は悪くない。
クリスタルディは本気でそう思っているのだ。誰がなんと言おうとも……
「クリスタルディ殿下、そもそもイザベラ・カーマインという無実の罪を着せられた不幸な女性はもういません」
「は?」
「イザベラ・カーマインは貴方がこの国から追い出したのでしょう? 貴族女性が夜会の姿のまま市井へ下りればどうなるか……安全と言われる我がビリジアン王国でさえそう思うのに、このセルリアン王国で一体どんな扱いをされるかは容易く想像がつく。貴方の行動を思えば簡単すぎる答えですよ。ねえ、クリスタルディ殿下?」
目の前でハハハと気軽に笑うロナルドの言葉の意味が分からない。
騎士団長と一緒にいたイザベラはあのイザベラなのだ、絶対に。
王族でありながら困惑を隠しきれないクリスタルディを見て、ロナルドは満足げに笑みを深めた。
「クリスタルディ殿下、いいですか、我が国の騎士団長と一緒に襲われたご令嬢は私の妹イザベラ・ウィスタリアなのですよ。この小さな国の侯爵家の娘ではない。彼女は大国の公爵家の娘。王族と言っても過言ではないほどの人物なのですよ」
クリスタルディは何か反論をと思ってみたが、ロナルドの目を見ていると恐ろしくて言葉が出ない。
ロナルドの瞳に宿るのは憎しみか、それとも侮蔑か。
深まる笑みに恐怖を感じヒュッと喉が鳴る。
口の中はカラカラで声が出せなかった。
「そもそも今回の話は貴方方が作り出した悪役な令嬢の話ではないのです。私の愛する大切な妹と国を代表する騎士団長への襲撃事件、その話です。そこを勘違いしないで頂きたいですね。お分かりですか?」
証拠は目の前に揃っている。
イルクタルディもクリスタルディも反論のしようがない。
イザベラ・ウィスタリアがイザベラ・カーマインであると証明したところで、今更それが何だと言われるだけだろう。
イルクタルディもクリスタルディもがっくりと肩を落とす。
このまま罪を認めなければ大国相手に戦争だ。一か八かで勝てる相手ではない。
イルクタルディはグッと息を飲み込むと、ロナルドとアレックスに答えを渡した。
「……申し訳有りませんでした……賠償金とご令嬢に対し慰謝料をお支払い致します……」
イルクタルディもクリスタルディも頭を下げ、そう答えるのが精一杯だった。
自分たちはイザベラに負けたのだ。
やっとその事に気付いた二人だった。
「あんな奴らさっさと始末した方がこの国の為だろうに。驚くほどに無能過ぎる。良くあれで王族が務まるなー、見ているこっちが恥ずかしくなるぞ」
セルリアン王国を出立した馬車の中、アレックスがすっかり寛いだ様子でロナルドに声を掛ける。
従兄弟同士、それも歳も近いとあってこの二人は仲が良い。その上見た目もよく似ているので双子に間違われることは多かった。
「ハハハ、まあ、あの者達を追い出すのは簡単だよ。だが今すぐ追い出せば民の怨みは我が国へ向かう。それは望むところではないからねー。それにじっくりゆっくり苦しんでくれた方が楽しいじゃないか。我が母とイザベラは何年も苦しんだんだ。簡単に楽にさせてやる気はないよ。あの愚か者たちをね」
「まあ、そうだなー。だがあの愚かさだぞ、この先この国が何年もつか分からない。それに民たちももうアイツらの馬鹿さ加減には気づいているだろう。既に見放している可能性もあるぞ、愚鈍すぎるからなー」
「ハハハ、それはそれで面白くて良いじゃないか、アレックス。舞台は用意してやったんだ。彼らには素晴らしい演技を見せてもらおうじゃないか、悪役の王族としてね」
「はっ、相変わらずお前はエゲツないなー。流石悪魔公爵だよ、恐ろしくって夜も眠れなくなりそうだ、ああ、勿論あいつらが、だがな」
「おやおや酷い事を言う、私もアレックスにだけは言われたくないねー、魔王子、そう呼ばれているのはどこの誰だったかなー」
「うるせー、そう言ってるのはお前だけだろう。マティルダ様やイザベラは俺の事を天使みたいだと言っていたぞ」
「うん、それは見た目だけだから、安心しろ。天使と言うのはウチの弟みたいな者を言うんだよ。心が清らかだ」
「あーまあ、確かにそうだな、チャーリーは可愛い奴だからな。こっちが心配になるぐらいにな」
ハハハと笑い合う二人。
その笑顔はそっくりで怖いぐらいだ。
従兄弟同士仲がいい為、アレックスの兄の第一王子も、そしてロナルドの弟チャーリーも、皆兄弟の様な間柄でその上よく似ているが、チャーリーだけは末っ子とあって素直で真っ直ぐな純朴な青年に育った。
いつまでも可愛い少年のような青年。それが彼らからの評価だった。
「ああ、ビスク商会の影響が街にも出ているようだねー」
イザベラと深い付き合いのあるビスク商会の会長は、小さな支店を残しビリジアン王国へとっくに移動していた。
イザベラが作り出した様々な品はもう二度とセルリアン王国内に並ぶことはないだろう。
それがどれだけの影響力を持つかアレックスもロナルドも分かっている。
だがセルリアン王国の王族達はまだそれに気がついてもいない。
それだから愚かだと思うのだ。
救いようのない愚か者。
王族としては失格だ。
きっとあの者達が自分で自分の首を締めた事に気付いた時には、セルリアン王国の崩壊はもう止める事は出来ないだろう。
「もって10年、早ければ3年だな」
車窓からの景色を見ながらアレックスがそう呟く。
「ハハハ、相変わらず君は辛辣だな。私は最低でも10年、30年は頑張って欲しいよ」
ロナルドが嬉し気にそう呟く。
それを聞きアレックスは眉をへにょりと下げた。
「おまえのがよっぽどだな。死なないように手助けして長く苦しめるつもりだろう。悪魔の名はおまえに譲る、俺は民には苦しんで欲しくないからなー」
「では、殿下、悪魔という二つ名、この私が甘んじて受け入れましょうか、私はセルリアン王国全体を憎んでいますからねー、ピッタリでしょう?」
「ああ、まさに死神、恐ろしい男だ」
「今度は死神か……それもありだね」
笑い合い楽し気に話す二人の声は、宿に着くまで続いたのだった。
セルリアン王国が支払った賠償金は大国ビリジアン王国にとっては端金であっても、セルリアン王国からしてみれば国が傾くほどの金額であった。
ベルを追い出したことは小さなキッカケだった。
そして第三騎士団長襲撃事件が大打撃となった。
噂は瞬く間に各国へ広がり、徐々に徐々にセルリアン王国は他国から見放されて行った。
まともな食事にもありつけない民達からは不満が上がり、国交や贅沢な生活も立ち行かなくなった貴族たちからは苦情が出始めた。
イルクタルディは全ての責任をもって退位し、王太子であったクリスタルディが国を変えようと新王となった。
だが、その新王クリスタルディこそが既に民たちから見放されていた。
自分たちをこの様な状況に追い込んだのは他の誰でもない、クリスタルディ本人だったからだ。
それも自身の浮気が原因で、大国から見放されたのだ。
その上聖女の力も新王クリスタルディのせいで使う事が出来なくなったと言うのだ。
誰が王だと認めるだろうか。
そしてそんなクリスタルディが王になってからは悪天候が続き作物は育たなくなり、国は益々荒れていった。
遂にセルリアン王国は天にまで見放されてしまった。
そんな噂が起こり、各地で暴動が起きる。
「あの時に戻れたならば……」
セルリアン王国の最後の王クリスタルディ・セルリアンが最期に残した言葉はそれだった。
一体それはいつのことを指すのか、本人のみぞ知るところだろう。
そしてその後、セルリアン王国はビリジアン王国に吸収された。
セルリアン公爵領と新たに名前を変え、ビリジアン王国の王弟であるアレックス・ビリジアンが新セルリアン公爵となった。
セルリアン公爵領はアレックスの手によって数年で富める地を取り戻した。
その陰には友人で従兄弟であるロナルドの力と、その妹夫妻の尽力があったと言い伝えられている。
これにて本編は終了となります。ここまでお付き合いありがとうございました。m(__)m
明日からはエピローグに入ります。セルリアン王国でのお話です。もう少しお付き合いいただけたら嬉しいです。どうぞ宜しくお願い致します。夢子