騎士へのお礼とカレーパン
「ごきげんよう。本日第三騎士団騎士団長マーベリック・シャトリューズ様の命により参りました、パン屋【麦の家】のベルと申します。お取次ぎをお願い致します」
あの男性の騒ぎの後、夕方店を閉めようとしたところへ王城の使いがやって来た。
ベルから見れば控えめな馬車に見えても、平民からすれば立派な馬車が店の前で止まり、その上王城仕えの立派な騎士服を着た男性二人が、ベルへと丁寧に登城の手紙を渡して行ったのだ。大注目である。
勿論断るわけにもいかず、指定日に伺う旨をその場で伝えた。
わざわざ王都の端まで来てくださった騎士の方にはお土産として店のパンを持たせたが。今思えば店閉いの最中だったのだ。残り物のパンを持たせたと思われたかもしれないとちょっとだけ後悔したが、あの時騎士二人は少し口元が緩んでいたはず。多分喜んでくれていた。ベルはそう思うことにして乗り切った。
そして今日、指定日が来た。
店は臨時休業としたが、あの日の騒ぎと王城の馬車が来たことは噂になっていて、常連客からは文句の一つも出なかった。新しくパートタイムで働いてくれることになった近所の主婦からは「大変だね……」と本当に同情がこもった目を向けられてしまった。苦笑いしかない。
そう、それだけ庶民が王城へ呼び出されるということは異例のことなのだ。
元貴族のベルにしても、リックに事件の事で呼び出されるならば近所の騎士の詰め所だろうと高をくくっていた。
それが、まさかの登城願い。
その上王城の馬車でのお迎え付きである。
またまた大注目の中店を出発し、パートタイムのご夫人からは涙ながらに見送られての今である。
ある意味城にはなれているベルだが、既に少しだけ疲れているというのが本音だった。これは精神的な疲労だとも言えた。
「あの、お取次ぎを……」
ベルの声掛けに口を開けたまま受付の男性は固まっている。
隣に座る女性の職員もベルを見たまま呆けているようだ。
そう言えば今朝ベルを迎えに来た騎士二人も店から出たベルを見て一瞬呆けていた。
先日ベルに手紙を持ってきた騎士とは別人だったので、見惚れている可能性も無くはない。
けれど城には美人が多いことをベルはよーく知っている。平民の住まう場所では目立つ容姿のベルでも、王城ではちょっとした美人程度だろう。そうでなければ聖女が来たからと簡単に放り出されたりはしないはずだ。ベルはしっかり学んでいた。
なのでもしや服装が可笑しかったのだろうか? と少し不安になる。
今日のベルの服装は心配性な大叔母が持たせてくれた仕立ての良いスーツドレス。下位貴族の女性が家庭教師などする際に着るような服ともいえる。何着かあるその中で色合いも落ち着いた紺色のものを選んだので心配はないはず。
だとすると時間を間違えたか、それとも連絡が届いていなかったからか。と幼いころから厳しくしつけられた笑顔のままベルの思考が右往左往していると、後ろに控えていた騎士の一人が咳ばらいをしてくれた。
「ハッ、す、すみません。えーと……ベルさんですね。はい、聞いています。聞いています。えーと……手荷物検査がありますので、こちらへどうぞ」
受付の男性が再起動し、隣に座っていた女性の方が立ち上がると、別室へと案内された。
そこでまた別の女性職員からの手荷物検査があるようだが、そこでも一瞬ベルの顔を見て固まられてしまった。
「あの……何か私に可笑しい所があるのでしょうか?」
勇気を出し訪ねたベルに女性職員二人は顔を見合わせると、苦笑いで答えてくれた。
「いえ、不躾に顔をジッと見つめてしまい申し訳ありません。実はパン屋の女将さんが来ると聞いていたのでてっきり年配の女性が来ると思っておりまして」
「まあ、そうでしたか」
「はい、それがまさかこんなにも美しく若い女性が来るだなんて思ってもおらず……きっとここまで何度も同じことがあったでしょうね。王城勤めの者としてお詫びいたします。失礼いたしました」
「いえ、お気になさらないでくださいませ」
自分に不備はなかったことにホッとする。
確かにパン屋の女将と言われれば4,50代の女性を想像しても可笑しくはない。納得だ。
手荷物検査を終え、また別の部屋へと案内される。待合室のようだ。
そこで第三騎士団から迎えが来るのを待つことになり、お茶が出された。
「お嬢様は所作が綺麗ですね」
「……有難うございます」
お茶を出してくれたメイドにそんな声掛けをされる。
本来メイドは客へ声掛けなどしない。庶民相手だからという気軽さと、ベルの所作の完璧さに驚いて思わず漏れた言葉なのだろう。
身についたものは自然と出てしまう。先程までの笑顔もそうだ。
気を付けようとベルが気合を入れ出されたお茶に口を付けソーサーに戻したところで、第三騎士団の迎えがやって来た。
「第三騎士団副団長イーサン・ジグナルです。ベル嬢をお迎えに上がりました」
「……有難うございます」
副団長と名乗ったイーサン・ジグナルに手を差し出され、ベルはエスコートを受ける。
ジグナル家といえば伯爵家。教育を受けたベルだからこの国の貴族名が分かるともいえるが、これまた有名な家名である。思わず内心ため息が出てしまう。
それにイーサン・ジグナルの深い赤い髪を見ると、ベルを追い詰めた弟を思い出してしまう。それとともに着ている高位の騎士服が、ベルの手を後ろ手に引っ張り力強く押さえ込んだ幼馴染を連想させ身が縮む。
ベルは明るい赤色の髪をしているが、弟のローマン・カーマインは父そっくりの濃い赤髪を持っていた。あの日のローマンはベルを冷たい目で睨んでいた。恥ずかしい姉だとその目が語っていた。
そしてベルを敵だと認識していたあの幼馴染は、女性だからと掴む手に手加減などしなかった。
負の感情がベルの中に溢れ出しそうになり、グッと堪える。
もう終わった事なのだ、引き摺っては負けだ。
エスコートされながら己を叱咤し、励ましていると、イーサンから声を掛けられた。
「ベル嬢、なんかいい匂いがするねー」
赤い髪に気を取られて気付かなかったが、イーサン・ジグナルは甘い顔を持つ大変ハンサムな男性だった。まさに攻略対象者に向いているとも言えて、ちょっとだけ口元が引きつりそうになった。
いやいや、ここはセルリアン王国ではない。
それにもう断罪劇は終わっている。
己にツッコミを入れながらベルは営業スマイルを浮かべ、イーサンに答えた。
「はい、リック様。いえ、シャトリューズ様には大変お世話になりましたので、本日はお土産を持って参りました」
そう言って手荷物の中の一つに視線を送る。
ベルの荷物は店まで迎えに来た騎士が持ってくれているため、イーサンと一緒に振り向く形となる。
土産を抱えていた騎士が少し籠を上げこれだとイーサンに目配せするとイーサンの顔に喜びが浮かぶ。
それにしても流石王城というべきか、流石ビリジアン王国の騎士たちというべきか、女性に重い物は持たせないと徹底しているようだ。平民のベルの荷物を当たり前のように持ってくれた。それはセルリアン王国の幼馴染たちにも見せたいスマートさだった。
「ねえ、それってさー俺の分もある? ベル嬢のパン、俺も好きなんだけど」
商売人としてこんなイケメンな客に気が付かないはずがないので、きっとイーサンはリックの買ったものを分けて貰っているのだろう。ベルは仲の良さそうな二人の関係に笑みを深めながら、小さく頷いた。
「はい、多く持って参りましたので大丈夫かと」
「マジか、やったー」
「フフッ、ですがシャトリューズ様へのお礼品ですのでシャトリューズ様から分けて貰う許可を取って下さいませね」
「げっ、それは難解な大事件じゃないか、乗り切れる自信がないよ」
「では、及ばずながらお力添えさせて頂きますわ。皆様でお召し上がりくださいと」
「ワオー、ベル嬢有難う! ヤル気が漲って来たヨ」
「いいえ。楽しみにして頂けて光栄ですわ」
後ろの騎士たちとも笑い合い、和気藹々と廊下を進む。
騎士団へ向かう廊下とあって人通りが少ないため、気軽な会話が出来た。おかげで弟と幼馴染のことは頭からすっかり消えていた。イーサンが緊張している様子のベルを見て気を利かせたのかもしれない。優しいことだ。
私はもう侯爵令嬢イザベラ・カーマインではない。
そうしっかりと心に刻み直し、前へ進んだベルだった。