襲撃とホットサンド②
「リック様、少し私の話をしたいのですが……」
ベルがリックの胸元でそうささやいた。
ぎゅっときつく抱きしめた胸の中、上目遣いのお願いは今のリックには衝撃が強すぎる。
名残惜しいがすぐに離れた。
リックとベルはブランコの少し先にあるベンチへと腰かけた。
二人手をつないだままのその距離は以前よりもずっと近い。
ベルは湖を見つめ、不安を消し去るように小さく息を吐いた。
きっと大丈夫。
リック様ならば受け止めてくれる。
自分から好きになった人。
その人を信じよう……
そんな願いを美しい湖に込めた。
「リック様、私の本当の名はイザベラ・カーマインと申します。セルリアン王国の侯爵家の娘で、セルリアン王国の王太子の婚約者でもありました」
ベルは湖に視線を向けたまま、これまでの経緯をリックに伝えた。
幼い頃に王太子の婚約者となり、セルリアン王国の王城にて生活をし、王太子を支えるべく育ってきたこと。
そして王太子の側近たち。
自分の弟を含め、彼らとは皆幼馴染であったこと。
王太子と幼馴染たちが聖女を呼び出し、彼らにとってベルは必要なくなったこと。
そして断罪。
無実の罪を着せられたベルは、セルリアン王国の王城から追い出された。
以前からそうなるだろうと予測していたベルは、付き合いのあるビスク商会の手を借りてセルリアン王国から逃げ出したこと。
そして今は大叔母であるウィスタリア公爵夫人の手を借りて麦の家を経営していること。
畳み掛けるように、吐き出すように、これまで黙っていたことをベルは話し続けた。
たまにリックの「うん……」という相槌が聞こえたが、リックの顔を見るとそこから何も言えなくなるような気がして、ベルは只々自分の過去を喋り続けた。
好きになったリックにだけは本当の自分を知って欲しい。
そんな想いからリックに全てを話し切った。
「こんな私でもリック様のお傍にいても良いでしょうか? 私がリック様の隣にいても宜しいですか?」
そう問いかけて初めてリックの方へと視線を送った。
ベルの視線の先にいるリックは何故か泣きそうな顔になっていた。
「ベル!」
リックがベルをギュッと抱きしめる。
これまでにないほどの強い力でベルを抱きしめるリックからは愛情を感じる。
痛いぐらい抱きしめられて、ベルは今自分がここで生きている事を感じた。
そして同じぐらいの想いを込めてベルもリックを抱きしめ返した。
(なんだかリック様が泣いているみたい……)
涙を流してはいないが、リックの心の痛みを感じる。
よしよしと子犬を撫でるようにリックの背を撫でれば、リックはもう一段きつくベルを抱きしめた。
「ベルごめん! 本当に済まない! 俺は自分が情けない!」
「リック様、どうしてリック様が謝られるのですか?」
何もしていないのに。
もしや話を聞いてやっぱりベルの想いは受け入れられないという謝罪だろうか?
そんな悪い考えが浮かんでいると、リックがまた「ごめん」と謝って来た。
「俺は、君が貴族の令嬢ではないかと……そうだろうと勘づいていたんだ」
そうなのかと、ベルはリックの胸の中で頷く。
謝りの言葉が断りではなかったことにホッともする。
大叔母からベルは目立つと言われていたため、リックに気づかれていたとしても何の不思議もない。
「そうなのですね」と納得して答えてみたが、リックの謝罪は続いた。
「それに俺はセルリアン王国の王太子の愚行も情報として知っていた。あの夜会にはこの国の第二王子も出席していたから情報を持っていたんだ、それなのに俺はーー」
そこまで言いかけると抱きしめていたベルを離し、リックはベルの瞳を見つめる。
ベルが泣いていないか、苦しんでいないか。
そう心配する瞳は優しいものだった。
「セルリアン王国の王太子の件も知っていた、それが君なのかもしれないと、何となくだが気が付いていた」
「リック様……」
「なのに俺は君に辛いことを話させた。思い出したくないことを思い出させた。君の話が聞きたくて、君の口から聞きたくて、黙っていた。そんな卑怯な俺の気持ちが君を傷付けた。ごめん、本当にごめん。自分が情けなくって嫌になるよ」
「リック様……」
リックの言葉に目頭が熱くなる。
これは辛い涙では無くて嬉しい涙だと、ベルの心がそう感じる。
「俺がその場にいたらベルを苦しめたやつらを全員八つ裂きにして君を救えたのに、なんであの夜会に出席した第二王子について行かなかったのかと悔やまれてならないよ」
憎しみを込めたようなリックの言いように、零れかけていた涙が引いて行く。
他国の騎士団長が夜会で王太子とその側近を八つ裂きにする。
そんな事が有ればすぐに戦争だ。
リックだけの責任では済まないだろう。
それに王族の守りは第一騎士団である近衛の役目。
例え第三騎士団長であっても他国の夜会にリックが出席するのは無理だと言える。
それにそもそもその時リックはベルと顔を会わせたこともないのだ。
それでも君を救えたと、救いたいと、そう言ってくれたリックの言葉にベルは救われたような気がした。
「フフフ、リック様ってば、フフフ……」
「ベル、ベル、何で笑うんだ。俺はかなり本気なんだけど!」
困惑するリックが可愛い。
この人はなんて優しくって愛おしい人なのだろうか。
「ウフフフ、リック様、もう、そのお気持ちだけで十分です、ありがとうございます」
「ベル~」
「私は今とても幸せですから」
そう言って笑ったベルの顔には、もう暗い影など落ちてはいなかった。
ヒュッと風を切るような音がしたと思った瞬間「ベル!」と叫ばれ地面へと押し倒された。
カッ! と険しい音がして、今までベルとリックが座っていたベンチに矢が刺さる。
「ベル、襲撃だ!」
「リック様、逃げてください!」
二人の声が揃う横、ドシュッと鈍い音がして今度は地面に矢が刺さった。
「「お守りいたします!」」
お互いに相手をどうにかして逃がそうと考えていたところで、ベルたちが座っていたベンチ背後の草むらから二人の男が飛び出してきた。
「シャトリューズ様、イザベラ様をお守りください!」
顔にはフードを付け人相の分からない男たちがベルとリックの前に立つ。
ヒュッヒュッとまた矢を射る音がすると、二人の男が剣で矢を薙ぎ払う。
その間にリックはベルの手を引っ張り立ち上がらせた。
「襲撃はあそこからだ!」
仮面の男の一人がそう叫ぶと、ブランコのあった木の上からまた二人の男が飛び出してきた。
そして指示された方向へと走って行き、あっと言う間に姿が見えなくなった。
「我々も向かいます。シャトリューズ様、こちらをお使いください」
休日で剣を持たないリックに仮面の男の一人が剣を差し出してきた。
そして「では」と小さく会釈をすると二人の男も襲撃先へと駆けていく。
リックはベルの手を掴み彼らとは反対方向に走り出す。
今日、ベルとリックは湖までリックの愛馬でやってきた。
こんなことになるのなら馬車で来れば良かったと悔やまれて仕方がない。
「あの方たちは多分大叔母の家の者ですわ」
走りながらそう呟いたベルにリックは頷き返す。
ただ二人の様子をいつから見られていたのか、そして騎士である自分が見られていたことに気付かなかったなんてと、そんな悔しさは胸にしまう。
ベルに夢中だったのだ仕方がないとリックは己に言い聞かせた。
それに彼らはあの悪魔公爵と名高いウィスタリア公爵の手の者だ。
優秀であって当然。休日を満喫中のリックが気づかないのも仕方がない。
荒い息を吐き、駆けるリックとベル。
もうすぐ馬場の前だそう思った瞬間、そこには見慣れた人物達の姿が目に入ったのだった。