チーズパンとその中身
「想像以上に素晴らしい……いや、凄いご令嬢だったな……」
ベルが去ったシャトリューズ侯爵家。
マーベリックは夕食の後ベルを送ると言って、足が地に着かないそんな様子で彼女を送っていった。
ふわふわした様子から少しは進展があったのかと期待したいところだが、何せ見た目は大人中身は子供なところがあるマーベリックだ。あまり期待しないほうがいいだろう。
そう思いつつ残された家族達は夕食の席で出たデザートを思い出していた。
「時間が無かったので一番簡単なレシピで作ったデザートですが……」
そう言って目の前に置かれたケーキを見て皆が息を呑んだ。
今までケーキといえば焼き菓子が基本。
それもこの世界ではドライフルーツが入ったパウンドケーキが主流。
だがベルの出したレアチーズケーキはそんな彼らの常識を覆すものだった。
美しい白色に、ひんやりと冷たいデザート。
そんなものを誰が想像できただろうか。
国王でも食べたことがない。
それほど驚いたのが正直な気持ち。
「濃厚なチーズの味がする」
「下の生地も美味いね。これはクッキーなのかな?」
「添えてあるソースをかけるとまた味が変わりますね」
「しっとりとしてとても美味しいわ、毎日食べたいぐらいよ」
良かったです。と微笑むベルを見て危うさを感じる。
公爵夫人の守護が無ければ、きっと自分達がベルを守ると名乗り出ていただろう。
「チーズケーキには焼いて作るものもありますし、蒸したものもあるんですよ」
パンだけでなく、お菓子作りにも詳しいご令嬢。
それも彼女はセルリアン王国の王太子の元婚約者だった。
あの国は自由度が高いビリジアン王国の者から見れば歪だ。
王が全てであり、その意向に従ってこその貴族、そんな古い考えを持つ国。
そんな中で厳しく育ったはずのご令嬢が料理を嗜む。
ただ自分が食べるものを作るだけならまだしも、商売に出来るほどの腕前。いやベルはそれ以上に価値のあるものを作り出していた。それも短時間で。
「ベルがチーズケーキやチーズパンのレシピをシャトリューズ侯爵家で使ってもいいって言ってくれているんだ」
甘い顔を浮かべベルを見つめる三男坊の頭を殴りたくなる。
第三騎士団の団長でありながら危機管理能力が足りなすぎると感じる。
いや、目の前の美女に夢中になり過ぎて現実が見えないのか、残念過ぎる。
これ程の才能を持つご令嬢を、世間が放っておくはずもない。
直ぐにでも保護しなければあのセルリアン王国が取り返しに来るだろう。
(マーベリックはまだ、彼女の過去を知らされていないのか……)
マーベリックの友人であり副団長であるイーサンならば、ベルの深い情報は掴んでいるはずだ。
それをマーベリックに伝えていないのは、きっと意図してのものなのだろう。
自分たち(シャトリューズ家)も彼女の情報は掴んでいる。
だからこそというべきか。
ベルとマーベリック、二人の過去を知っているからこそなのか。
この二人の様子を見れば、このままゆっくりと進めてあげたい、そう思ってしまうのだ。
「ベルさん、これだけのレシピをはいそうですかと無料で使わせて頂くことは出来ないわ。貴女に対してきちんと対価を払わないと」
母ビクトリアの言葉に皆で頷く。
ただマーベリックだけは夢の中にでもいるのか、今頃「それもそうか」と驚いている様で情けない。
「でしたら……私の店、麦の家で、シャトリューズ侯爵領のチーズを使う許可を頂けませんでしょうか? もし叶うのでしたら、私と付き合いのあるビスク商会との取引もお願いできたらと思っております」
自分の意見をしっかりと述べるベルに感心をする。
それとともにあのビスク商会とも取引があるのかと驚かされる。
経った数年で男爵位を持つほどの切れ者な商人。
そう言えば彼もセルリアン王国の出身だったと思い出し、改めてベルの底の深さを実感する。
「シャトリューズ侯爵家としては構わない。ビスク商会との取引も前向きに検討したいと思う」
「シャトリューズ侯爵様、ありがとうございます」
「父上、ありがとうございます」
何故お前がそちら側で礼を言う。
感謝するのはベル嬢に対してだろう。
アーロンも他の家族皆も、マーベリックに対しそう突っ込みたくなったが、見つめ合い喜ぶ二人を見てその言葉を飲み込んだ。
そこにいるのは仲の良い恋人同士にしか見えなかったからだ。
「マーベリックは彼女に何か言ったか? 今日こそは進展があったか?」
後ろに控える執事に声を掛ける。
マーベリックとベルが自室で過ごしている間、アーロンは信頼する執事に二人を見張らせていた。
屋敷に呼んだのだ、今日こそ愛の告白をするだろうと、誰もがそんな期待を持っていた。
マーベリックを幼き頃から知っている庭師達は「リック坊ちゃんの為!」と、数日前から庭の手入れにいつも以上の気合を入れて居たぐらいだ。
料理人たちだってリックの想い人が来ると聞いて張り切っていた。
少しでも気に入ってもらえるようにと、全員でベルの作業を見守ったほどだった。
「……残念ながら……」
執事の言葉を聞き「はあー」とため息を吐いたのは誰だろうか。
使用人含め、シャトリューズ侯爵家の全員がため息をついた可能性は高い。
長男次男に至っては「幼児かよ」と呆れ切った言葉まで吐いている。
「育て方を間違ったかしら……」
辛辣なビクトリアの言葉にまた皆で頷いてしまう。
女性の扱いに対しては侯爵家としてしっかりと教育してきたはずだった。だがマーベリックだけは恋愛の進め方だけは落第点だったようだ。
マーベリック本人も恋愛事から逃げていたし、家族もあの頃のマーベリックに恋愛について語ることは出来なかった。友人のイーサンもきっと同じだろう。
マーベリックは幼い心のまま成長していないのだ。
「ですがベルお嬢様の方が」
「「「ベル嬢が?!」」」
「大好きだと仰っておられました……その、花を見てですが」
「花か……」
「花なのか……」
「マーベリック……お前というやつは……」
「はあ……まあなるようにしかなりませんわ……マーベリックに任せましょう……」
何度目かのため息を吐いた後、シャトリューズ侯爵家の面々は渋々頷くしかないのだった。
「リック様、今日はありがとうございました。とても楽しかったです。ご家族の皆様にも宜しくお伝えください」
「ああ、ベル、こちらこそ今日はありがとう。レシピも、家族も喜んでいたよ」
シャトリューズ侯爵家の馬車でベルを麦の家まで送った。
家族に引き留められベルを夕食の時間まで誘ってしまったが、ベルの「楽しかった」のたった一言に心が救われる。
自分の家が、家族が、ベルに嫌われなくて良かった。リックはベルの笑顔にそう安心をした。
それに……
「大好きです」
ガーベラに向けた言葉だったけれど、自分を見てベルはそう言ってくれた。
その言葉がズンと胸に刺さった。
もしかしたら……とそんな希望が湧いた。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。また明日店に来るから」
「はい、美味しいロールパンを焼いてお待ちしていますね、リック様」
別れの挨拶をしてベルをそっと抱きしめる。
別れのハグに下心は無い……とは言えないが、許可もなくこれ以上のことを彼女にするつもりはない。これは挨拶だ。
「リック様に抱きしめられるとホッとしますね」
「えっ……?」
ベルが自分をギュッと抱きしめ返す。
胸元に頬を添え息を吐いているのを感じた。
「それじゃあ、おやすみなさい。リック様、また明日」
頬を染めたベルが自分から離れる。
何という衝撃。
このまま家に連れて帰りたい、そう思ってしまった。
「ああ……そのお休み。また明日」
情けないことに同じ言葉しか口から出ない。
それでもベルは微笑んでくれて、それがまた可愛かった。
手を振るベルを馬車の中から見つめる。
危ないから早く家に入って欲しいという思いと、ずっと見ていたいという思いがぶつかる。
「もしかして……ベルも俺を好き……? いやいやいやいや」
シャトリューズ侯爵家の馬車の中、少年の心を持つ立派な青年は一人身悶えるのだった。