招待とチーズパン③
シャトリューズ侯爵家の厨房へ向かうと、料理人たちが笑顔でベルを出迎えてくれた。
「ようこそお越し下さいましたベルお嬢様、本日は新しいデザートを教えて下さるそうで、料理人一同感謝申し上げます」
「「「よろしくお願いいたします」」」
何だか大げさになってしまった気もするが、今さらやっぱりやめますとも断れない。
ベルは笑顔を保ちつつ「こちらこそ宜しくお願いします」と頭を下げた。
「あの、リック坊ちゃまも一緒に調理をされるのですか?」
ベルと一緒に厨房へ来たリックまでもがエプロンをつけだしたので、料理人達は戸惑っているようだ。
それも当然で、一般の貴族は料理などしない。それは高位貴族になればなる程そうだろう。
その上男性は尚更だと言える。
手伝いを申し出たリックを止めないシャトリューズ侯爵家の家族が異例なのだ。
「ああ、俺もベルの作るものに興味があるからね。それより坊ちゃんは止めてくれ……」
そういって困ったように笑ったリックは、エプロン姿も様になっている。
イケメンは何をやってもイケメンのようだ。
何をやっても悪い方に取られる悪役令嬢だったベルとしては、ちょっとだけ羨ましいと思ってしまう。
リックは今日、ベルとの自宅での時間をとても楽しみにしていた。ワクワクして前日は仕事が手に着かない程だったのでイーサンに呆れられた。
二人きりの時間が過ごせる……
そう思っていたのいだが、残念ながら違う方向へ進んでしまった。
そんな期待を裏切られた分、リックがベルの傍を離れるはずもない。
ベルの手作りお菓子。
それは絶対に自分が一番に食べよう! そんな下心が湧いていた。
「リック様、折角のお休みなんですからご家族とお過ごしください」
そんなベルの気遣いも勿論傍にいたいからという思いで断った。
それにいずれ自分で料理が作れるようになるのも悪くない。ベルに食べさせてあげられるからだ。
そんな思考に陥っているリックは、調理人たちから生暖かい目を向けられている事に気付かなかった。
(リック坊ちゃん頑張って!)と。
ベルの目の前の調理台には、お菓子作りに必要な様々な食材が揃えられていて、どれだけのデザートを作ると思われているのかと心が痛む。
簡単に作れるデザートをと思っていた分申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「あの、今日はあまり時間がないのでレアチーズケーキを作りたいと思います」
聞いたことのないデザート名を聞いて困惑気味の料理人たちと、ワクワク顔のリックを助手にベルは調理を進める。
「えーと、申し訳ないのですが私が手土産で持って来たビスケットを7、8枚ほど出して頂けますか?」
「は? はあ、かしこまりました」
お菓子作りに取り掛かろうとしているのに、手土産のビスケットを出せと言われ料理人達が困惑している。
今日ベルはシャドリューズ家の使用人達にとビスケットを焼いて持って来ていた。
手土産を返せと言っているようで申し訳ないが、長時間調理場を独占し、今からビスケットを焼く訳にもいかず、持ってきたビスケットをボールに入れ砕いていく。
「ベル、それは俺がやるよ。砕けば良いんだろう?」
力仕事は任せてとリックが手を上げてくれたのでお願いしたが、ちょっとだけボールも一緒に砕きそうで心配だ。
ベルはリックが立てる力強い音を気にしながらも、湯煎でバターとクリームチーズを軽く溶かしていく。そして溶かしたバターはリックが砕いたビスケットと混ぜ合わせ、クリームチーズは別のボールに入れ混ぜていく。
「それも俺が混ぜるよ。任せて」
「ありがとうございます」
頼もしいリックに混ぜるのをお願いし、砂糖、ヨーグルト、レモンの搾り汁をそこに入れていく。
(やっぱりバニラビーンズは侯爵家にもないのね)
今度ビクス商会に探してもらわないと、とそんな事を考えながらゼラチンも入れ混ぜていく。
「あとはこれを漉だけなんですけど……漉し器はありますか?」
「ベルお嬢様はお菓子に漉し器を使うのですか?」
「ええ、混ぜた材料を漉すと舌触りが滑らかになるんですよ」
またまた困惑している料理人だったが、素早く漉し器を出してくれたので遠慮なく使わせてもらう。
そして型の中にリックが作った下地、その上に混ぜ合わせたクリームチーズを乗せれば、後は冷やすだけだ。
「冷蔵保管庫で二、三時間冷やしたいのですが」
「かしこまりました」
洗い物や片付けは料理人達が行ってくれると言うので、ベルはその言葉に甘える事にした。
せっかく遊びに来ているのに料理に夢中ではリックに申し訳ない。
「ベル、良かったら菓子が出来上がるまで俺の部屋に行かないか?」
「はい、是非」
(リック坊ちゃん頑張って!)
料理人たちからはまた生暖かい目が向けられていた。
リックの誘いで自室に案内してもらう。
騎士団長のリックはシャトリューズ侯爵家と騎士舎を半分ずつぐらいの割合で生活しているらしい。
それでも麦の家の開店日には必ず来てくれているのだ。
リックが如何にベルのパンが好きかが分かって嬉しかった。
リックの部屋は薄い青色の壁紙に、紺に近いカーテンを使い、小物も青を基調にまとめられている。落ち着いた印象を持つ部屋で、リックのイメージにとても合っていた。
(リック様の香りがする……)
部屋の中はリックの香りがして何だか恥ずかしくなる。抱きしめられた時を思い出し、顔が赤くないか心配になった。
「ベル、俺の部屋からは小さくだけど城が見えるんだ」
リックは窓辺にベルを連れて行き、外を指さす。
街中から王城は見えるように建てられているのだが、リックの部屋から見える王城はとても近く迫力があり、窓枠が絵画のように見せていて美術館にでも来たような気持ちになった。
「とっても綺麗ですね」
「だろう。ちょっとだけ自慢なんだ」
ニヤリと笑うリックが子供のようで可愛い。
実家にいるせいか少しだけいつもより幼く見える。
「ここのテラスからは屋敷の中庭が見えるんだ」
リックに手を差しだされエスコートを受ける。
手を繋ぐことも不思議と当たり前のようになっていて、最初の頃のような緊張感はない。
それよりもリックといるとホッとする。
騎士団長だけあって安心感があるのかもしれない。
いつだってリックはベルの意思を尊重してくれる。
市場への視察だってベルの行きたいところを案内してくれて、デートの時だって公園を見たいというベルの我儘を嫌な顔をせずに聞いてくれた。
それに今日のデザート作りも、率先して手伝ってくれて、その上一緒に作るお菓子作りをとても楽しそうにしてくれた。
「今の時期はガーベラが見ごろなんだ、ほら」
テラスへ出てみれば色とりどりのガーベラの花が広がっていた。
それはとても美しく、ベルの心に染み渡る。
これまで色々な庭園を見て来た。
セルリアン王国の王城にも立派な庭は有る。
大叔母のウィスタリア公爵邸の庭だってとても立派だ。
だけどこんなにも花々が美しいと感じたことはあっただろうか。
リックが隣にいる。
ただそれだけで全てが輝いて見えるのだと、ベルはその事にやっと気が付いた。
「ベ、ベル? どうした? 具合が悪いのか?」
気が付けばポロリと一粒の涙がベルの頬を伝っていた。
知らず知らずのうちに涙が零れていたらしい。
これは嬉し涙だ。
心にポッと灯がともったようだった。
「驚かせてしまってすみません……お庭が、ガーベラがとても綺麗だったので……」
「そ、そうか……」
ベルの笑顔を見てホッとするリック。
それが凄く凄く愛おしい。
ああ……
私はリック様に恋をしているんだ。
自分(悪役令嬢)には恋など訪れないと、恋などしたくないと思っていたけれど、リックの傍にいる自分は幸せ。ベルは素直にそう思えた。
「大好きです」
「えっ……?」
「私、ガーベラが大好きですわ」
「そ、そうか……」
リックに自分の全てを話して見ようか。
自分の過去を包み隠さず伝えてみようか。
リックならば受け止めてくれるかもしれない。
ガーベラの花言葉は希望。
それは今のベルにピッタリな花言葉だった。