招待とチーズパン
「ベル、緊張してる?」
「はい、少しだけ……」
「大丈夫、ウチの親は基本放任主義だし、友人に対しとやかく言う事は無いから安心して」
「はい、そうですね。リック様のご家族ですものね……でもやっぱり少しだけ緊張します」
「ハハハ、それもそうだね」
「はい」
ベルとリックは今馬車の中。
リックの実家であるシャトリューズ侯爵家へと向かっている。
勿論豪華な馬車はシャトリューズ侯爵家のもの。
今日も貴族の馬車が麦の家の前に停まったが、周辺住民はすっかり見慣れてしまったようで、『ああ、また麦の家に貴族が来ているのね』と知らんぷり。最初の頃に驚いていたことが微笑ましいぐらいだ。
「ベルさん、行ってらっしゃい、頑張ってくださいね」
「ベルさんご武運を、お祈りしています」
「ベルおねえちゃん、リックお兄ちゃんと仲良くねー。いってらっしゃーい」
と麦の家の従業員達に見送られ。
シャトリューズ侯爵家へと出発した。
ベルが緊張するのも仕方がない。
実は友人の家に遊びに行くことが、ベルには初めてのことだった。
これまで王太子の婚約者であったベルは、友人と心から呼べる存在自体居なかった。
王家が決めた友人とのお茶会はいつも王城での開催。
幼馴染たちとお茶をするとしても常に王城。
ベル自体が王城住まいだったのだ。
それも仕方がないことだった。
なので嬉しさからの緊張もあるのだが、それとともに平民であるベルが侯爵家へと向かう心配も緊張の一因だった。
(ビリジアン王国がいくら自由の国と言っても、貴族と庶民にまったく垣根が無いわけじゃないものね……)
リックを見ていれば、家族が平民に対し悪い印象を持っていないことはすぐわかる。
けれどベルは平民以前に異性である。
もしかしたら結婚相手にもなり得る可能性がゼロではない。
今のところリックから直接的な言葉で「付き合って欲しい」とは言われてはいないが、何となくそうかな? もしかしてそうなのかしら? と思うぐらいにはアプローチをされてきている。
先日も別れのハグとしてギュッと抱きしめられた。
これまでだってベルは異性と軽いハグをした経験がある。
だけどあんな風に抱きしめられたことは初めてだった。
リックの逞しい腕の中に包まれた時の温かさが思い出される。
ドキドキして恥ずかしいような緊張感、それでいて安心するような温もり。
また抱きしめて貰えたら。
そんな風に思ってしまった自分に驚いた。
それとともに、自分はリックには相応しくないのでは……と思ってしまう自分もいる。
だけどそれを決めるのはベルではない。
真実を知ってどうしたいのか決めるのはリックだろう。
そう行き着いた時、ベルの中で一つの答えが出ていたのだ。
「ベル、着いたよ。ここが俺の実家だ」
馬車がシャトリューズ侯爵家の門を通る。
有名な騎士が輩出される侯爵家とあって、質実剛健を表したような屋敷をイメージしていたが、ライトベージュに青い屋根と、可愛らしい雰囲気を持つお屋敷だった。
ただし、その大きさはベルの実家であるカーマイン侯爵家よりも大きい。
大国と小国の侯爵家を比べてはいけないが、そこは流石シャトリューズ侯爵家というべきだろう。
馬車はゆっくりと進み、玄関前のロータリーへと着いた。
そしてそこには平民のベルの出迎えるために、なんとシャトリューズ侯爵家の家族全員が揃っていた。
ベルの表情が思わず硬いものに変わる。
セルリアン王国で淑女教育を受けていなければ引きつっていたことだろう。
リックのエスコートを受けながら馬車を降りる。
平静を装っているがドキドキが止まらない。
これまでのどんな式典よりも緊張している自分がいた。
今日のベルの服装は大叔母から「これを着て行きなさい」と頂いた深緑色のドレスだ。
まるでリックの瞳の色の様だと思ったけれど、深い意味はない。そう思いたい。
平民のベルに合わせシンプルに仕上げているそのドレスは、見る人が見れば上質な生地を使っているのが分かる、高級品だ。
生まれは貴族令嬢であっても今は平民なのだ。
いくら侯爵家へ出かけると言っても華美過ぎるドレスはダメだろうと、大叔母が選んでくれた一品。
装飾品も胸元に小さなエメラルドのペンダントのみ。
ゆっくりと優雅にと、意識しながらタラップを降りる。
そしてベルはリックの家族に向け、カーテシーを行った。
「シャトリューズ家の皆様初めまして、麦の家を経営しておりますベルと申します。マーベリック様には普段から良くして頂いている上に、今日こうして友人としてお招きいただいたことに感謝申し上げます」
久し振りの貴族風挨拶を無事に出来たことにホッとする。
友人の家族への挨拶がこんなに緊張するだなんて。
国王陛下にお会いする方がずっと楽だと不敬な意見を持つ。
「……友人……?」
と誰かの囁く声がベルの耳に届いたが、ゴホンッという大きな咳ばらいが横から聞こえ、消えていった。
「ベル嬢良く来てくれた」
声を掛けられ顔を上げてみれば、そこには大柄なリックをもう一回り厚くしたような、見るからに頼もしそうな男性が立っていた。
「私がマーベリックの父、アーロン・シャトリューズだ。そして妻のビクトリア、その横が長男のカーソン、そして次男のエリアスだ。ベル嬢にはいつもマーベリックが世話になっているようで済まないね。この子は末っ子で甘やかして育ててしまったから、君に迷惑をかけていないかい?」
体の大きさからは想像できない程優しい声でアーロンは声を掛けてきた。
リックが隣で「甘やかすって……」と苦笑いになっている姿が、子供っぽくって微笑ましい。家族の前でだけで見せる姿を見ることが出来て嬉しいと思う。
家族の愛情に満たされて育ったからこそリックのような優しい人が育ったのだろう。
ちょっとだけ羨ましいと感じながらも、ベルは笑顔で答えた。
「迷惑なんて掛けられておりません。マーベリック様はとてもお優しくて、私が困っているといつも助けて下さる頼もしい騎士様です。それに私が作るパンも美味しいと言って気に入って下さって……友人でもありますが、何より素敵なお客様でもあるんですよ」
ベルの言葉に、シャトリューズ家の皆が一瞬固まった。
リックの兄が「……客……?」と呟いているが、小さな声でベルには聞き取れない。
もしかして何かやらかしたかしらと焦るベルだったが、リックのことを褒めたはずなので可笑しいことは言っていないはず、と自分の言葉を脳内で反芻してみる。
(友人以下? もしかして客としてしか見てもらえていないのか?)
というシャトリューズ家の心の声も勿論ベルに聞こえるはずもない。
家族から同情に近い視線を送られたリックが、皆に向け咳ばらいを行った。
「ゴホンッ。あー、父上、母上、取りあえず、ベルを中に案内したいんだけど」
リックの言葉でハッとするシャトリューズ家の面々。
末っ子の恋を応援しようと集まったはいいが、どうやらまだ恋の相手として認識さえしてもらえていないらしい。
そう感じたシャトリューズ侯爵家の団結は早かった。
好印象を持ってもらい少しでもマーベリックの恋を後押ししよう!
マーベリックに幸せを!
ベルの言葉を聞き、シャトリューズ家の面々が、ベルを攻略対象者だと決めた瞬間だった。




