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ご令嬢とジャムサンド③

「お父さんは……お父さんは……」


 アリアの目に、見る見る涙が溜まっていく。

 エナの方は心配ともらい泣き。

「アリア様……」と呟きながら既に涙を流している。


 ベルはハンカチを二人の前に置いた。本当は涙を拭ってあげたかったが庶民であるベルが気安く貴族令嬢に触れる訳にはいかない。


 二人はハンカチを受け取ると、涙を拭きチーンと良い音をたてながら鼻をかんだ。


 ハンカチは初めてのお買い物の記念に差し上げよう。ベルがそんな事を思っていると、気持ちを落ち着かせたアリアが涙の訳を話してくれた。


「あたしの家は田舎にある平凡な男爵家でした……」


 エクル男爵家の領地は山や川に恵まれた自然溢れる豊かな領地。規模はそれ程大きくもなく、名物もあるわけでもないが、平和で目立った危険もなく領民とともに穏やか過ごせていた。


 アリアは貴族令嬢とは名ばかりで、領の子供達とは仲良く遊び、幼いころから元気いっぱいに過ごしていた。

 一人娘で大事にされてはいたが、過保護ではなく最低限の令嬢としての振る舞いが出来ればいいと、両親からは緩やかに育てられた。


 だが、それが突然変わる。

 エクル領に鉱山が発見された。

 それも金鉱。

 エクル男爵領は一気に裕福になり、王都で持て囃されるようになってしまった。


「お母さんが亡くなったのもダメだったんです。お父さんは人が変わったみたいになっちゃって」


 愛妻家だったエクル男爵。

 妻の死は彼の性格まで変えてしまった。


 田舎でのんびりと過ごしていたアリアは、王都のタウンハウスに住まわされ厳しい淑女教育を受ける事になった。


 父の新しい友人という名の貴族家から、アリアの婿候補を呼び寄せ相手をさせる日々。


「あたしは貴族令嬢だからお見合いだって仕方ないって思ってます。だけど沢山の男の人達をウチに呼んであたしのご機嫌をとらせるのは違うと思うの」


 そんな時アリアの婚約者候補の一人であり、下男として働いていた男が問題を起こした。


 エクル男爵は最初は取り合わなかったらしい。

 平民相手の事件だ。それも下男といえど一応は貴族家の子息の問題。大したことではない。エクル男爵はそう思った。


 友人たちからも平民など構う必要はない、そう助言されたらしい。



 だが聞いてみれば街を守る第三騎士団からの厳しい追求。それとともに王家からの注意まであったらしい。


(叔母さま……陛下を使うだなんて……リック様まで、職権濫用ではないの……)


 そんな事があり、エクル男爵はベルに過分な謝罪金をよこしたようだ。

 取りあえず金で解決しよう。

 エクル男爵の対応は貴族として何も問題はないが、アリアは納得出来なかった。


「あたし、お店に謝りに行こうってお父さんに言ったの、だけどそんなの必要ないって、平民なんてほっておけって、前のお父さんなら絶対謝りに行ったのに……あんなのお母さんが好きだったお父さんじゃない。今のお父さんなんか大っ嫌いよっ!」


 アリアの目にまた涙が浮かんでくる。

 母を亡くして辛かった時に、頼りたかった父は別人のようになってしまった。年ごろの女の子だそれはとても苦しかっただろう。


 けれどエクル男爵がベルに謝る事はないだろう。必要ないからだ。

 それが貴族の常識。

 自分の家の下男が起こした事件であっても、金を払った時点でエクル男爵にはもう終わった話。


 彼はきっと周りについていこうと必死なのだ。

 田舎の出の男爵が、急に注目を浴びそれに応えようとしている。


 舐められないように。

 侮られないように。


 だが、そのせいで本来守るべき自分の娘を傷つけている。

 その事にエクル男爵は気付いていないようだった。



「それにお父さんが付き合ってる女の人もお友達も大っ嫌いよ。あの人たち、お父さんの前では良いことばかり言うけど、影でお父さんのことを田舎者だって馬鹿にしてるんだもの。それにあの女の人、あたしの家庭教師だったけどいつも鞭でぶつ酷い人だったの。お父さんはそんな人に夢中になってるの、お母さんとは全然違うのに!」

「本当ですよ、あの女は最低ですぅ!」


 これにはアリアよりエナの方が憤る。

 大事なお嬢様が傷つけられたのだ、侍女として怒るのは当然だった。


 エクル男爵家の乗っ取り。


 ベルの頭にはそんな危険な言葉が浮かぶ。


 鉱山が出て急に富んだ男爵家だ、他家から目をつけられるのは当然だろう。


 一番手っ取りばやいのが婚姻。

 アリアのもとに息子達を送り込むのも、エクル男爵のもとに女性を送り込むのも、それが理由のような気がした。


「だからあたしが、お父さんの代わりに店長さんに謝りにきました。お父さんは女店主が先に誘ったんだ、良い顔をして騙したんだって言ってたけど、ベルさんを見て違うって分かった。やっぱりお父さんは間違ってる。あたしの意見だって全然聞いてくれないし……」


 アリアは良い子だ。

 真っ直ぐで素直で純粋に育っていて、貴族令嬢としては劣等生かもしれないけれど、保身の為簡単に嘘を吐くイザベラの取り巻きだった少女たちより、ずっと素敵だとそう思えた。


「アリア様、謝って戴いてありがとうございます。あの事件の事、許します。ですのでもう気にしないでください。私は気にしていませんよ」


 アリアの涙は崩壊した。

 ポロポロ溢れる涙を、ベルは今度は戸惑う事なく新しいハンカチで拭ってあげた。今の彼女にはそんな優しさが必要だとそう感じたからだ。


 二人にはお茶のお代わりを入れて上げる。温かいお茶は心を安らかにしてくれる。

 ついでにお茶請けのお代わりも。きっと彼女達には一番の癒しだろう。

 案の定二人には笑顔が戻った。




 ベルは応接室から少し席を外し、1通の手紙を書いた。

 そして救急箱から薬を取り出し、アリアとエマの下へと急いでもどる。


「アリア様、こちらの手紙をエクル男爵にお渡しください。それと、これは傷薬です」

「手紙と、傷薬?」

「はい。エクル男爵に今必要なのは庇護して下さる大きな相手でしょう。そのお相手について手紙を書きました。きっとお父様のお役に立てるはずですわ」

「ベルお姉様……」


 アリアの呼び方が変わっているが、ベルは気にせず話に戻る。

 傷薬の蓋を開け、今朝オーブンの鉄板で少し火傷した赤い部分に塗ってみせた。

 みるみる傷が癒えていくのを見てアリアとエナが息を呑む。


「この薬で鞭打ちの痕を消してください。勿論お父様にしっかりと現実を見せたあとに……」


 年頃の少女だ、目立たない箇所を他人に見せるのは勇気がいる事だろう。

 例え父親であっても見せたくはない。ベルにはその気持ちが良くわかった。けれどエクル男爵は現実を見て受け入れるべきなのだ。


 そして、本当に守るべきものが何か気付くべきなのだ。





「ベルお姉様、ありがとうございました。パンもクッキーもとても美味しかったし、お薬も、それにお手紙も、とっても嬉しかったです。ありがとう」


 辻馬車へ乗り込むアリアとエマには笑顔が浮かんでいる。色々な想いを吐き出せてスッキリしたのだろう良い笑顔だ。


「アリア様、エマさん、お気をつけて。今度は内緒で出てきてはダメですよ。ちゃんと家の方に、お父様にお話してから来て下さいね」


 次があると聞いてアリアとエマの目にまた涙が浮かぶ。

 でも二人は今度は泣かなかった。その代わり今日一番の笑顔を見せてくれた。


「ベルお姉様、絶対にまたきますね!」

「あたしもアリア様と一緒に来ます!」


 二人を乗せた馬車は走り出す。

 それを見送り、ベルは呟いた。


「さて、叔母さまにお願いに上がらないと、あとビクス商会にも連絡が必要かしら」


 金鉱が出ても販路がなければエクル男爵も困るだろう。

 アリアの話を聞く限り、今は友人たちに搾取されている気がした。


 アリアの姿に昔の自分が重なった。

 だけどベルは相手の説得を諦めた。

 悪役令嬢だからと割り切ったからだ。


 どうか幸せになって欲しい。


 その想いは、ベルが自分自身にも掛ける祈りのようなものだった。

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