ご令嬢とジャムサンド
ある日の麦の家。
目立つ少女が二人、店にやって来た。
一人の少女は貴族の娘だろう。
帽子を被りどうにか平民に見せようとしているようだが、ごてごてしたそのワンピースは悪い意味で人目を惹きつけている。
年齢にそぐわない重そうな装飾品も着けているのでどう見ても平民には見えない。可哀そうだが変装は失敗だ。後で声をかけようベルはそう思った。
もう一人の少女は少しマシだった。
装飾品は無いし、ワンピースもごてごてしていない。平民だと言われればどうにかそう見える。
ただし服の色が悪い。真っ赤なワンピース。その色だけで目立つし普段着には向いていない。
生地を赤色に染める。それは裕福でなければできないことだった。
ベルと一緒にカウンターに立つミアも少女たちに気づいたのだろう、何か言いたげな視線をベルに向けてきた。
この店までよく無事できた。
街の平和を守る第三騎士団とその団長のリックを褒め称えたい心境だった。
「アリア様ぁ、何にしますか? どれも美味しそうですねー」
「エナ、あたしに聞かないで、決められないのー。ここにあるパン全~部食べたいぐらいだわ」
「それいいですね。全部買っちゃいますかぁ?」
「でもお父さんに見つかったら怒られるわよ……」
ひそひそと相談する二人の少女。可愛さよりも危うさが際立っている。
朝の一番忙しい時間が終わった後の麦の家では、その声がよく響く。
パートの女性二人は休憩に入ったところ、この場にいなくてよかったかもしれない。いたら確実に顔に出ていたことだろう。お互い気まずい雰囲気になったはずだ。
少女たちは父親に怒られることを心配しているようだが、すでにこの店にお忍びで来ているだけでダメではないかと益々心配が募る。
外を見渡してみるが、お忍び付きの護衛もいないようだ。
残念ながらシャトリューズ侯爵家の騎士たちもおらず、今日だけは見張っていてほしかったとそんな考えが浮かぶ。
(叔母様の護衛に期待したいところだけど……)
ベルの大叔母であるウィスタリア公爵家の護衛はいつも麦の家を見張っている……らしい。
ベルは誰がその護衛なのかまったくわからないが、麦の家で起こったことは大叔母に筒抜けだ。キッチリ今日のことも伝わることだろう。
(でも彼女たちを守ることはしないでしょうね)
そこは公爵家の護衛。仕事は徹底している。自分たちの仕事はベルの店を見張ること。それ以外のことを彼らが進んで行うはずがない。護衛対象者期間が長かったベルは、彼らの動きも良く分かっていた。
そんなベルの心配をよそに、少女二人は取り盆にたっぷりとパンを載せ、精算カウンターへとやってきた。満足そうな笑顔付きでベルとミアのいる前にパンを差し出す。
「あの、お店の中でパンを食べられるって聞いたんですけど」
ごてごて服を着た少女がそんなことを聞いてきた。
この子たちはお店でパンを食べるのね、と分かると少しホッとする。
その間に辻馬車を呼んで、ルカに護衛をお願いして屋敷まで送り届けましょうと算段した。
「お店のパンは窓際のイートインスペースか外のベンチで食べられますよ」
ベルがそう声を掛ければ、二人の少女は安堵の笑みをこぼす。
パン屋の店内で食事が出来る店は殆どない。いやベルの店だけと言っても過言では無いだろう。
「お会計は三銀貨と五銅貨になります」
いくら安いパンの店と言っても、沢山買いこめばそれなりの値段になる。
庶民向けの麦の家。一つのパンは一銅貨から高くても二銅貨ぐらいだが、少女達は何人分ですか? と聞きたくなる程買い込んだので、銀貨が必要になる値段となった。
「じゃあこれでお願いします」
赤いワンピースの少女の方がポシェットからお金を取り出した。そしてごてごて服の少女がそれをコイントレイに載せドヤ顔を浮かべる。
ベルとミアの前にはキラキラと輝く金貨が置かれ二人して苦笑いとなった。
ベルの感覚で金貨は一万円ぐらいだ。前世を考えればそんなに高価なものとは思えないかもしれない。ただし今世では感覚が少し違う。庶民が金貨を持つことは殆どない。なので屋台や庶民向けの店で金貨を使う者はほぼいないし、金貨を持っているイコールお金持ちとみられてしまう為、皆銅貨か銀貨で生活しているのだ。
なのでこの少女達が如何に危険かが分かる。二人はお金持ちだと自ら言って歩いているような物だった。
「こちらがお釣りです」
ベルが差し出したお釣りに「きゃっ」と可愛く歓声を上げる。
「エナ、初めてのお買い物よ」
「はい、アリア様、ご立派ですわぁ」
そんなやり取りを聞き、ベルとミアには張り付いた笑顔しかない。
「お客様、イートインスペースでどのパンを食べられますか? 残りは紙袋にお入れ致しますね」
少しでも時間を稼ごうと、ベルはゆっくりと接客をする。
その間にミアには辻馬車を呼んできてもらい、その後ルカとの打ち合わせもお願いした。
「あたしは、この赤いのと白いのが挟まったパンが良いわ、エナは?」
「あたしもアリア様と同じにしますぅ。これきっとイチゴジャムですよぉ。甘くって美味しいってサムさんが言ってましたからぁ」
取り盆に二人が選んだジャムサンドを載せる。
心配なのでベルがカウンターのイートインスペースまでその盆を運び、麦茶を出して上げた。
「あたしたちお茶は頼んでいないですよ」
「ええ、店内でパンをお召し上がりになる方にはサービスで麦茶をお出ししているので良かったらどうぞ」
この世界生水はちょっとだけ怖い。なのでベルはいつも店では麦茶を出している。
休憩中の従業員にも勿論麦茶や紅茶。それにベルお手製の葡萄ジュースかリンゴジュースを出していた。
彼女たちが選んだパンはイチゴジャムと生クリームが挟んであるジャムサンド。
なので甘くない麦茶を出したのだが、貴族女性ならば紅茶の方が良かっただろう。
勿論気を利かせて紅茶も準備出来たが、そこは二人がお忍びという事で庶民の味の麦茶を出させて貰った。
二人は「美味しい美味しい」と声を上げ楽しそうにジャムサンドを食べている。
その姿は可愛いが、今頃屋敷で大騒ぎになっているのではないかと思うと、ベルの胃は痛みを感じた。
「エナ、他のパンも食べてみましょうか」
「はい、アリア様ぁ、食べてみましょうぉ」
そんなベルの気持ちも知らず、呑気な二人の少女の楽し気な声が麦の家の中に響いたのだった。