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揚げパンとその中身

「父上、お話があります」


 シャドリューズ侯爵ことアーロン・シャトリューズが仕事を終え屋敷に戻ると、三男のマーベリックが待ち構えていた。


 その横には妻がおり、困ったような表情を浮かべている。

 マーベリック本人は貴族らしい怒りの笑顔。

 父の前でそれを隠す気もないようだった。


(はて? 何かあっただろうか? マーベリックを怒らせるような事をした記憶はないが……)


 どうにか過去の自分の行動を思い出し色々と考えてみるが全く記憶にない。


 腹がすいているので先に夕食をと言ってみたが許されない。


 末息子もすっかり騎士団長らしい圧が身についたものだと、物を言わせぬ凄みに笑いがもれる。


「父上、何をニタニタとされているのですか」


 と妻に似た冷ややかな顔で怒りの言葉を浴びせられるがそれも悪くはない。


 これまで表に感情を出さない 『良い子』 であったマーベリックの時より、今の息子の方がずっと良いと感じた。


(ハハハ、子供の頃のマーベリックの様だな)



 執務室に入り、お茶でもと思ったがマーベリックにすぐさま人払いをされてしまった。


 グーと腹が鳴るが、マーベリックは気にしてくれない。


 妻さえもアーロンの腹の虫などどうでもいい様だった。




「父上、ベルを見張らせていましたね!」


 マーベリックの言葉に (はて?) と首を傾げる。

 ベルとは誰だ? と最初に疑問が沸いたが、妻が「リックの良い人よ」とそっと教えてくれた。


 普段は書類上のイザベラ嬢の名の印象が強かったため、ベルと名を出されても分からなかった。


 愛称も覚えておくべきだったと反省をするが、イザベラならば愛称はベラの方がいいのでは? などとどうでもいいことを考えてしまう。


「父上、話を聞いていますか?」


 息子の言葉にハッとし、すまんすまんと笑って答える。

 どうやらそんな姿もダメだったらしい。

 息子の笑みは尚更冷たくなり。愛する妻は普段見せない大きなため息を吐いていた。


「あー……マーベリック、勘違いするな。私はイザ、いや、いざと言う時の為にベル嬢を遠くから見張っていただけだ。お前の想い人を守るための処置だ。決して怪しい気持ちがあった訳ではない」


 マーベリックに答えた言葉は本心で、他国の王太子の元婚約者であり、侯爵家の娘でもあり、その上この国の公爵家の義理の娘になるであろう令嬢をそのまま市井に放置することは出来なかった。


 それも大事な大事な息子の未来の婚約者だ。

 親として守る事は当然だろう。


 前半部分は語らず、マーベリックのいい人であるが故の処置だと話してみれば、マーベリックから冷たい笑顔は消えたが呆れたため息が落ちた。


 何故だ。

 解せぬ。

 だが、その姿も妻に似てなかなかに良いぞマーベリック。

 

 頬が緩んでいたのか、マーベリックの表情がまた冷たいものへと変わる。

 愛する妻まで残念なものを見る目に変わってアーロンを見ている。何故だ。


 二人の理不尽な態度にアーロンが疑問を浮かべていると、マーベリックが子供を諭すような声色で話しかけて来た。


「父上、宜しいですか、平民女性は警備される事になれていません。見知らぬ男達が四六時中店を見張っていれば恐怖を感じるのは当然です。ベルは夜も安心して眠れなかったと思いますよ」


 息子の言葉にいや彼女は貴族令嬢だろうとツッコみたくなったが、確かに今は平民のふりをしているはずだ。そこを暴露する訳にはいかない。仕方なく言い訳として、遠くから見張らせていただけだと答えたのが、マーベリックの片眉が上がる。怒っている時の妻そっくりでちょっとだけ背筋が冷えた。


 どうやら生活に支障がないように遠くから見張れと伝えていた部下達は、イザベラ嬢の作るパンの香りに誘われて客として店に足を運んでいたらしい。なんと大馬鹿者なのだろうか。


 毎日のようにやってくる男達が自分を見張っている。それも何をするでもなくひっそりと。


 味方であるはずの妻が「それは私でも怖いわ」とマーベリックを援護する。

 いやいや我が妻であればそんな男達は物理的に排除するだろうと言いかけたが、命が惜しいため賢く黙っておいた。妻にまで怒られたくは無いからな。


「ではイザ……行かんベル嬢の下へ!」


 部下達を連れベル嬢の下へ謝りに行くと宣言すれば、妻には私もと同意されたが、マーベリックにはまた睨まれた。


「侯爵が来たらベルが驚きます! それに店に迷惑が掛かります!」


 マーベリックよ。

 侯爵がダメで侯爵子息が店へ行く事を許されるのは何故だ。

 そうツッコミたかったがそこは笑顔を向けるだけでやめておく。何故なら息子の顔が真っ赤に染まっていたからだ。


「その、近々ベルを連れて参りますので、友人として……」


 マーベリックはそう言い残すと、一度頭を下げ赤い顔のまま部屋を出て行った。


 わざわざ友人だと強調するマーベリック。

 それに自分の言葉の矛盾も良く分かっていたようだ。


「マーベリックは初等科の学生レベルだなぁ」


 思わず出た言葉に妻がクスクスと笑う。


「宜しいではないですか。あの子はやっと恋を始めたのですよ。初等科の生徒でも充分。何もしないよりずっと宜しいですわ」

「ああ……確かにそうだなぁ」


 その夜妻と二人乾杯をした。

 マーベリックの遅い恋に乾杯だ。


 出来ればこのままイザベラ嬢と上手くいって欲しいが、あの様子だと告白自体難しい可能性もある。


 いっそ本当に店に押し掛け、イザベラ嬢に婚約の打診を我々がしてしまおうか、とそんな考えが浮かぶ。


「私たちは大人しく見守りましょう」


 妻の言葉に悪い考えは消して、ああと答えるにとどめた。







「「「申し訳ありませんでしたー!」」」


 ベルに相談された次の日。

 リックはベルを見張っていた父の部下達三人を連れ、麦の家へとやって来た。


 朝の忙しい時間を終え、ちょっと一息入れようかと思ったところに体格の良い男性が四人もやって来たのだ。客がそれ程いなくても急に店内が圧迫された感じがあった。


「宜しければ奥へどうぞ、リック様はお仕事は大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ。イーサンに任せて一時間ほど抜けてきた。とにかくこいつらに謝らせたくて、忙しい時間に来て済まなかったね、ベル」


 いいえと答えながらベルが従業員の休憩所兼応接室である場所へとリック達を連れて行く。


 お茶をどーぞとすっかり慣れた手つきとなったレオがリック達の前にお茶を出してくれた。

 そしてそこには先日見たばかりの揚げパンもだされていた。

 レオはとっても気が利く子に育っているようだ。


「揚げパンを宜しければどうぞ、まだ店には並んでいないものですし、昨日の揚げパンとはちょっと違う味ですよ」


 ニッコリ笑うベルはとても可愛い。

 ベルに勧められたら揚げパン10個は軽く食べられるだろう。


 遠慮なく手をつければ、今日の揚げパンには白いクリームが挟んであった。

 以前のクリームパンも甘くて美味しかったが、今日のもまた美味い。


「カロリーの暴力なので試食をするのも忍びないのですよねー」


 リックの横バクバクと勢い良く食べ出した三人を見てベルがそんな言葉を呟いた。


「リック様、どうでしょうか、美味しいですか?」


 口元にクリームが付いていたのか、ベルがハンカチで拭ってくれた。

 そしてチラリと三人にも視線を送っていたので、コイツらの口は自分で拭くので大丈夫だと目で訴える。

 そもそもベルを怖がらせたのだ、雑巾で拭くのも憚られる。

 クリームを付けて店を出ればいい宣伝になるだろう。迷惑をかけたのだ少しは役に立て。

 鼻息荒いリックを見て、ベルはクスリとまた笑った。


「リック様、私は怒っておりませんわ。皆様はお仕事だったんですもの、仕方がありません。それに私の店を見守って下さっていたのでしょう? 小さなパン屋を騎士様に見張って頂いたのですもの、こちらがお礼を言わなければならないぐらいですわ。皆様ありがとうございました」


 ベルの言葉に頬を染める三人を見てリックはイラッとしてしまう。


「パンが凄く美味しかったです」

「美味しいパンを食べられる幸せな仕事でした」

「どのパンもお気に入りです。これからも通わせて頂きます」


「まあ、ありがとうございます」


 三者三様にベルを喜ばす言葉を吐き尚更イライラが募る。

 ベルを喜ばせるのは自分でありたい。リックにはそんな欲が湧いていた。

 それは独占欲という名の欲なのだが、リック本人がその子供っぽい行動に気が付いていないようだった。




 シャドリューズ侯爵家の三人の騎士たちを追い出すように屋敷へ帰した後、リックはベルにもう一度頭を下げた。


「ベル、本当に怖い思いをさせて済まなかった。今後はこんな事がないようにするし、あいつらは二度と店に近付かせないようにするから」

「リック様、本当にもう気にしないでください。それにお客様が減っては困りますわ。騎士の方たちにもまたいらして下さいとお伝えくださいね」


「……分かった……嫌だけど、伝えておくよ」

「もうリック様ったら、子供みたいに虐めないで上げて下さいませ。可哀想ですわ」


 フフフと笑うベルが可愛い。

 この笑顔を一人占めしたいと思ってしまう。


 そっとベルの手に触れる。

 嫌がられないことがとても嬉しい。

 リックはその手に祈るように額を乗せた。


「ベル、君が我が家に遊びに来てくれる日を心待ちにしているから」


「はい、私も楽しみにしていますね」


 残念だが仕事に戻ると、リックはベルに別れを告げる。


 ベルとずっと一緒にいられたら……


 ベルの笑顔を一人占め出来たならば……


 自分は世界で一番の幸せ者になれるだろう。


 


 そんな想いが以前よりもずっと強くなったことを感じ、なんだか心がふわふわとした。

 不器用な恋心を抱えながら、リックはベルの笑顔を思い出し、緩む口元を押さえながら王城へと向かったのだった。


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