相談と揚げパン
「お買い上げありがとうございました。またお越しくださいませー」
ベルは一人の客を見送った後、ふうと小さなため息をついた。
「あの人今日も来たんですかぁ?」
ベルの様子を見てミアが眉根を寄せる。
「きっとうちの店のパンを気にいって下さったのよ。さあ、仕事に戻りましょう」
でもと渋るミアには大丈夫と気丈に答えたが、ベルは先ほどの男性客のことがずっと気になっている。
ここ数日あの客はずっと麦の家に通ってくれている。
そんな常連客はたくさんいるし、新規常連客は大歓迎。
従業員も増えたので客が多すぎて困ることは全くない。
最初にあの男性に違和感を覚えたのはいつだろうか。
お昼時の忙しさを終え、ふと視線を外に向けた時だった。
向かい側の店の端にあの男性客がいたのだ。まるで麦の家を見張っているかのように。
ベルの視線に気が付いたのか、男は何でもない風を装うとどこかへ歩いて行った。
たまたま店の前を通りかかったのだろう。
つい良くない方へ考えるのはベルの悪い癖だ。
そう思っていたのだが、翌日別の場所からあの男性客が麦の家を見ていることに気が付き、これはたまたまではないと悟った。
ハンティング帽を少し目深にかぶった、どこにでもいるかのような冒険者に見えるその男性客。
けれどその男の靴は、とても冒険に出向いたようには見えないし、服も常に清潔だ。
もちろんベルの店に来る冒険者たちが皆不潔なわけではない。
だが仕事に出れば多少なりとも汚れてしまうもの、特に靴は毎日履くものだ、どうしたって一番汚れが目立つ。ベルだってそうなのだから冒険者は尚更だろう。
街から出る冒険者の靴があれほど奇麗なはずがない。その違和感にベルは気づき、見張られている事を悟った。
そしてよくよく周りを見てみれば、ベルの店に通う怪しげな男は三人もいた。
一人は商人風の男性。せわしない商人にしてはゆったりと店内で過ごし、まるでベルたちの仕事を見張るかのように三日に一度の割合で半日ほど店内で時間をつぶし、必ず今月のパンを食べている。もちろん彼も帽子付きだ。
そしてもう一人はまだルカと変わらないぐらいの青年だった。
彼はどこかの店の見習いの様な服装だ。けれどがっしりとしていて一般人には見えない。
たまに麦の家に来ては店内の常連客に声をかけ話をしていく。まるで麦の家の情報を集めているかのようなその行動には違和感しか無かった。
店を見張る者。
新商品を探る者。
そして情報を集める者。
(もしかしてセルリアン王国の手の者かしら……)
一瞬そんな考えが浮かんだが、いやいやと首を振る。
もしあの人たちが来るとしたらベルのことをジッと見張っているはずがない。自分の意見が正しいと思う人たちなのだ。ベルを見つけたら即連れて帰るか始末しているだろう。
(だとしたら、大叔母様の手の者だろうか?)
そう思ったが、ウィスタリア公爵家の諜報員たちがベルに気が付かれるような失態を犯すはずがない。
これまでだってずっと見張られていたと思うが、それに気が付くことはなかった。
ならば一体誰がベルを見張っているのか。
(まるで気付かれても問題無いといっているような行動ね。もしかして私を守っているつもり?)
それならば大叔母の可能性も捨てがたい。
彼方の国から手紙が来たことでわざと護衛が姿を見せている、その可能性は捨てがたい。
だけど大叔母がベルに一言も報告をしないはずがない。会った時に一言ぐらい声を掛けられるはずだ。
だからと言って大叔母に 「最近私を見張ってますか?」 とこちらから聞いて、もし違った場合、あの三人の男性がこの世から消される可能性がある為、恐ろし過ぎてうかつに聞くに聞けないのだ。
(さて、どうしましょう)
最近のベルの悩みはそんな事だった。
「ベルさん、リック様に相談してみたらどうですか?」
奥から出てきたルカの言葉にそうねとベルも頷いて見せる。
ベルはこれまで誰かに頼ることが苦手だった。
だからどうしてもリックに頼むことを戸惑っていたのだが、今はそうも言っていられない。
守るべき従業員がいるのだ。遠慮している場合ではないだろう。
「ベルお姉ちゃんは僕が守るんだー」
レオのそんな言葉に嬉しくはなるが、絶対にダメよと嗜める。
もしもあの者達が他店の偵察や、大叔母の監視だったのならば構わない。
けれどもしセルリアン王国のものだとしたら。
そう思うだけでゾッとする。
絶対にミアやルカ、レオに手を出されたくはない。
「そうね。明日にでもリック様に相談してみましょう」
決意を固めベルがそう三人に声をかけると、心配するのではなくなぜかいい笑顔を向けられてしまった。どうやらリックは名前だけで安心感を与える様だ。
流石リック様ね、とベルはまた明後日の方向に考えを持っていくのだった。
「リック様、お時間があるときにちょっと相談に乗って頂きたい事が有るのですが? その、店のことで……」
いつもの時間、いつものようにロールパンと今月のパンを手に会計カウンターへとやってきたリックに、ベルはひっそりと声をかけた。
リックは一瞬目を見張ったものの、すぐに何かを察してくれたらしく。
ベルにだけ分かるようにウインクをして目くばせをすると「そうだ」とちょっとだけ大げさな声を上げた。
「ベル、お願いがあるんだけど、美味しいパンを第三騎士団まで届けてくれないかな。この前のカレーパンの話を聞いた仲間たちが羨ましがっていて、俺を責めてくるんだよ」
「かしこまりました。リック様、どのようなパンが宜しいですか? 今日中にお届けしたほうが宜しいでしょうか?」
「ああ、そうだね、お昼は各自食堂で食べているから、できれば小腹がすいたときに食べられるようなちょっとした甘いものを今日にでも持ってきてくれると助かるなー」
「かしこまりました。午後にでもお持ちいたしますね」
「ありがとう。ではこれで支払いを、じゃあ、届くのを楽しみにしているよ」
「はい、ご注文ありがとうございました。リック様、お気をつけて」
リックはベルにまたウインクをすると「ベル、また後でね」と耳打ちをして店を出て行った。
あの怪しい三人の男性は不思議とリックが来る時間だけは避けている。
きっと街を守る第三騎士団団長の顔を知っているのだろう。
尚更怪しく感じてしまう。
「ベルさん、リック様が話を受けてくださって良かったですねー」
朝の人出の多い時間のため、ぼそりとミアが呟いてくる。顔だけは営業スマイルなのは流石と言えるだろう。
(ミアってば店を心配するよりも、なんだかリック様が話を聞いてくれることのほうが嬉しいような顔をしているわね)
調理場を見て見れば、ルカやレオまで嬉しそうで、それだけリックは街の皆から頼りにされる騎士団長なのだなとベルは改めて尊敬の念を抱いた。
あの男性達はいったい何者なのか。
ただの杞憂であれば笑い話で済むが、ベルだけでなくミアもルカも違和感を感じているのだ。気のせいでは無いだろう。
もし前回のエクル男爵家の事件の時のように貴族関係の問題だったとしたら。
大叔母は絶対に相手を許さないし、徹底的に追い詰めるだろう。それも容赦なくだ。
「ハアー、その時は血の雨が降るわね……」
商品を並べながら大叔母の笑顔を思い出し、そんな言葉を呟いてしまう。
常連客の一人が「ベルちゃん今日は晴れだから心配はいらないよ」との言葉に曖昧に頷く。
(叔母様のことだからもう気づかれているかもしれないけれど……)
自分からはこの問題を絶対に大叔母には話さないでいようと、ベルはそう決めていた。