シャトリューズ侯爵家とロールパン③
「家族全員がそろう晩餐は久しぶりだな」
シャトリューズ侯爵家の晩餐は、父であるシャトリューズ侯爵の言葉と共に和やかに始まった。
出勤時に父から話があると言われ、決意を固めていたリックは拍子抜けだ。
絶対に開口一番ベルの事を聞かれるだろう、そう身構えていただけに、和気藹々と話が弾む楽し気な家族を前に、リックだけが戦場にいるような気持ちだった。
「たまにはこういう時間も作ってもいいわね。皆の元気な顔も見たいもの」
母が和やかにそう言って笑う。
昨年結婚した次兄エリアスは婿養子のため実家に帰ることも少なくなり。
3年前に結婚した長兄夫婦は新婚気分を味わうためにと、今は別の屋敷に住んでいるので、こうやって家族全員がそろうことは本当に久しぶりで、嬉しそうな母の言葉には皆が頷いた。
「母上、あと半年もすればもっと賑やかになりますから、楽しみにしていてくださいね」
長兄カーソンがそんなことを言う。
長兄のところは妻が妊娠し、あと半年で出産を迎える。
初孫を楽しみにしている母は長兄からの声掛けに頬が自然と緩む。
男女どちらでもいいから健康に。
長兄に会えばいつもいうセリフを今日も吐いている。
「私はリックとはよく会いますよ。まあ、会議でですが」
そう言って次兄エリアスが笑いをとる。
確かに次兄とは騎士団の会議でよく顔を合わせる。
次兄が婿養子で入った家は、馬具を扱う有名な伯爵家。
武具の会議では義理父と必ず出席し、リックとは意見を言い合う仲でもある。
ただその時は「兄上」とはとても呼べないので、会ったうちに入るかと言われればどうだろうかと悩む。
「ゴホンッ、あー……ところで、今日のパンはとてもおいしそうだなー。リックの土産なんだってー?」
演技が下手な父の精一杯のパフォーマンスだろう言葉に、口に入れかけたロールパンの破片を飲み込んでしまう。
ワインで飲み込もうとしたがそれは悪手だったようで、リックはかえって咽てしまった。
「あなた……」
ゲホゲホと咳き込む自分の声とともに、母の呆れる声が聞こえる。
会議の話から急にロールパンの話になったのだ、言葉を失うのも当然だろう。
「父上……」
兄たちの呟きも聞こえ、涙目になりながら食卓を見てみれば、父を見る兄たちの冷え切った顔が目に入り同感する。
父よ是非前振りというものを覚えてくれ!
昼間自分を見つめる幼馴染の呆れた顔を思い出し、父似な自分を実感し少し落ち込んだリックだった。
「あの、このロールパンは王都の北区に新しくできた【麦の家】という名のパン屋のロールパンです。私のお気に入りなので是非食べてみて下さい」
リックがそう声をかければ、待っていたかのように皆がロールパンに手を伸ばす。
柔らかい。食べる前から兄がそう呟く。
いい香りだ。ニンマリとした顔で父が呟く。
ベルを褒められれば嬉しくって、頬が緩み、胸を張りたくなる。
麦の家ほど柔らかいパンをつくる店を他には知らない。
ベルの作るパンは世界一だと言っても過言では無いだろう。
家族皆の「美味しい」と喜ぶ顔を見れば、自分のことのように嬉しくなった。
『リック様のご家族にも食べていただきたいので……』
ベルのそんな言葉を思い出し、思わず頬が緩んでしまう。
ごまかすようにベルのパンを口に含む。
家族が丁度揃っている。
そして今美味しい物を食べ上機嫌だ。
せっかくベルの話が出たのだ、このタイミングで全てを話してしまおう。
リックはそう思った。
「父上、母上、兄上、お話があります」
カトラリーを置き、家族へ向き合えば、皆も手を止めこちらを向いてくれた。
父が「なんだ」と答える中、母や兄たちは無言で様子を伺っている。
リックは緊張からフーと深く息を吐くと、自分の思いを家族に伝えた。
「私には今、想う人がいます!」
「う、うむ……」
「その女性と生涯を共に出来たらと、私はそう考えています!」
「う、うむ……」
「ただその女性は平民であります。ですが全く平民には見えず……」
そこまで言って、ベルをどう表現していいかとリックは悩む。
平民には見えないが素晴らしい女性。
そう言えばいいのかもしれないが、でも平民は平民だろうと言われたらおしまいだ。ベルを上手く紹介する語録が浮かんでこない。
言いよどむリックに見かねた母が助け舟を出した。
流石母親だ、息子の危機には敏感なようだった。
「リック、その方がこのパンを作った方なのね?」
母の言葉に頷く。
リックの元婚約者を選んだのは母だったので、いろいろな思いがあったのか少し涙ぐんでいるようにも見えた。
「あなたが愛している女性ならば、私たちはそれでいいのよ……」
「母上……」
その言葉に心が救われる。
ベルが平民でも構わない。
貴方が選んだのだからと、母はリックを信じてくれた。それが無性に嬉しかった。
「それでリック、その女性とはいつ結婚するんだ。いや、まずは正式な婚約からかな?」
父の言葉を聞き、次兄が「うちの養子になってもいいですよ」とベルの養子の件を出してくれ、貴族として迎えると言い出した。
「教育はうちの家で行いましょう」
長兄がそんな声掛けをする。
妻の幼いころの家庭教師に空きがあるのだと、ベルを知らない長兄は平民であるベルに最低限の教育を受けさせようとそんな提案をしてくれる。
嬉しいが、はっきり言ってベルには幼い子専用の教育者は必要ないだろう。
どちらかと言うと平民になるための教育者が必要だったのでは? と言いたいぐらいだ。
それにイーサンが怯えるほどの保証人がベルにはついている。
次兄の養子先に養子に入る。それは現実的には無理なような気がした。
「リックのお相手には教育は必要ないんじゃないかしら……我が家に慣れてくれさえすれば……」
ねえあなたと、母が何やら目くばせの様な瞳を向け父にそう問いかける。
だが父が答える前に、兄たちが「平民の女性は字も書けない者が多いのですよ」と話し出す。
いや、ベルは字も綺麗だ。
それに声も美しい。
計算だって速いし。
運動神経だって良さそうだ。
いやいや、そうではない、そうじゃないんだ。
皆、なにやら勘違いをしている。先ずは誤解を解かなければ。
リックは盛り上がる家族の前に手を上げた。
「あの! 実はまだ彼女には想いを伝えていなくて」
そう告白したリックを家族皆が驚きの顔で見た後、何故か昼間のイーサンの様な顔でリックを見つめてきた。ああ、ここでもか。
情けなさにガックリと肩が落ちる。
パンの味ももう分からない。
「リック、まずは彼女を連れていらっしゃいな」
食後に母がそんな言葉をかけてきた。
皆に呆れられた後、もう両想いなのだと思っていたと、イーサンと同じことを家族に言われてしまった。
どうやらリックとベルは街でかなり噂になっていたらしい。
平民女性に夢中になっている騎士団長。そんな噂だ。
それを聞けば両親が心配するのも当然だった。
過保護な家族だ、騙されているのではないか。きっとそう思ったことだろう。
「彼女に会っていただきたいので、必ず連れてまいります」
母にそう答えたリックの顔には、ホッとした安堵の表情が浮かんでいた。
シャトリューズ家の男はどちらかというと脳筋です。