シャトリューズ侯爵家とロールパン②
「……だ……い」
「えっ?」
「まだ告白は……ない」
「はっ?」
「だから! まだ告白はしていないって言ったんだよ!」
「はああああ?! 何やってんのさリックー! 気合を入れたデートは何だったんだよー!」
騎士塔に響くような大声を上げ驚くイーサンを、リックはギロリと睨んだ。
ふがいないことは自分でも分かっているが、仕方がない、いろいろとあったんだと言い訳を溢す。
告白したくてもタイミングが悪かった。
先日のデートは雨が降ってきたし、突然の家庭訪問に動揺もしてしまった。
いや、すべては情けない自分を弁護する言葉だ。
告白しようと思うならばいつでもいいのだ。それこそベルの仕事中にだって「好きだ」と囁くことは出来るだろう。
でも最低限の雰囲気は欲しい。
もし成功したらリックとベルの記念日となるのだ。想い出に相応しい場所で告白したい。そう思う事は何も不思議でないだろう。
それにベルのことを思うと、一歩踏み切れない自分がいた。
ベルは傷ついている。
時折見せる表情を思い出せば、気軽に告白など出来るはずがなかった。
「なあ、イーサン、ベルは何者なんだろうな……どう見ても一般的な平民とは思えないだろう?」
リックの問いにイーサンは呆れ顔だ。
いまさら何を言っているんだこいつはと、その顔に書いてある。
バカな奴だと睨まれたのは、今度はリックのほうだった。
「あのさー、ベル嬢が平民でないことはどう見たってわかることでしょう? ねえ?」
「はい、その通りです」
「そんでも彼女と付き合いたいってリックはそう思ったんでしょう? ねえ?」
「はい、その通りです」
「そんなの侯爵様が気づかないはずがないって分かってるよね? リックってただでさえ顔に出るし、ここんとこ浮かれてんのまるわかりだったしさー」
「そんなことは……」
ないとは言えないらしい。
イーサンの目にぐっと力が入るのを見て、言い訳を呑み込んだ。
「もう、ほんとっ、遅いぐらいなんだけど、ベル嬢に告白したいって思うんならさー、貴族ならば先にやることがあるよねー? リック分かってるー?」
はてな? と考え込むダメ生徒を、鬼教師であるイーサンは困った顔で見つめてくる。
「初等科からやりなおしたら?」そんなイーサンの心の声が聞こえた気がした。
「リックー、根回しはどんな相手にも必要だよ。それは庶民相手だって当然、相手のこと困らせるのは嫌でしょう?」
庶民と貴族、愛人にするにしても結婚するにしても何の根回しもなく思い通りにはいかない。
ベルのように素性を隠しているのならば尚更、告白を前にすることがあるとイーサンは言った。
「今のまんま告白したらリック絶対に断られるよねー」
「えっ?」
「だってベル嬢は庶民になった気でいるんでしょう? リック(貴族)に告白されても困るんじゃない? 店もあるしさー」
その場合自分が平民になろうと思っていたが、親が許すか、ベル嬢が責められないか、とイーサンに問いかけられればぐうの音も出ない。
告白して受け入れてもらえればすべて上手くいくと、簡単に考えていた甘い自分を恥じ入る。
彼女の意見を聞き自分がそれに合わせれば、そんな軽い気持ちでいたのだ。
でもそれではベルに負い目を持たせる形になる。
騎士をやめた自分がいずれ後悔するのではないかと、ベルに思わせてしまうかもしれない。
それにベルを貴族に戻したら、彼女の笑顔が消える可能性もあった。
ベルを守りたい、そう思っていたのに、何の準備も出来ていなかった。自分は何と情けない男だろう。
告白する権利もない。イーサンにそう注意された気がした。
「もうさー、俺さー、てっきり二人はそーゆーこと話し合っているのかと思ってたのー、あんなに仲良かったからね」
それなのに……と頭を抱えて愚痴るイーサンの言葉に思わず「うっ……」と声が漏れる。
恋愛事から逃げてきた代償が、自分だけでなくどうやら親友にまで降りかかってしまったようだ。申し訳ない。ロールパンをもう2つやろう。
リックは無言でロールパンを差し出した。
「そんでさー告白? 結論を決める告白みたいなやつー? それをして二人の未来を侯爵様に報告? みたいな感じのこと? それをすんのかと俺は思ってたんだけどー、もうそれ以前だったわ。絶対侯爵様心配してるよねー。あの保証人様が相手だよー、侯爵様心労で寝込むかもしれないよー。ってか俺もどうすんの、このままじゃ大ぼら吹きになっちゃうじゃん!」
「保証人様?」
「そう、ベル嬢の保証人様。非公開にできるほどの人物だよー。絶対に力がある人物だって分かるでしょう? もう、ほんと、リックぼんやりしすぎー。しっかりしてよ、ベル嬢を守りたいんでしょう?」
確かに、商業ギルドだけでなく王城にも非公開にできる保証人となれば限られてくる。
王家に対しそれだけの力がある。もしくは公開されると王家が困る。そんな人物は一握りしかいないだろう。
そう考えれば、父である侯爵が話をしたいといったのも頷ける。
きっとリックの心を、考えを、詳しく知りたかったのだろう。
自分の考えは顔に出るとイーサンに言われているのだ、今更かもしれないが……
「分かった。俺は今日きちんと家族に話すよ。自分の気持ちを……」
ちょっとだけ心配気な様子のイーサンにそう決意を伝える。頼むからため息を吐かないでくれ。ロールパンをもう一つやるから。
ベルのことを大切に思う気持ちをまずは家族に話そう。それから自分の想いを彼女に伝えよう。
受け入れて貰えるかは分からない。
けれど自分はベルの傍にいたい。
ならばやることは一つだとリックは気合を入れた。
リックは仕事を終えると、すぐに麦の家に向かった。
家族にもベルのパンを食べてもらいたい、そう思ったからだ。
「リック様、どうしたのですか?」
夕暮れ時、閉店前の店に飛び込んできたリックを見てベルが驚く。
パンを買いに来たと伝えれば、困った顔になった。
麦の家はこの街一番の人気店だといえる。
閉店時間間際にパンが残っているはずもなく、棚の上はガラガラだった。
「家族にもベルのパンを食べてもらいたかったんだが……またの機会にするよ」
リックがそう呟けば、ベルは「ちょっとだけ待っていてくださいね」といって店の中へと入って行った。少し待てば居住区へと行っていたのか、パタパタと階段を下りる音がした。
そして差し出された篭にはまだ温かなロールパンが入っていた。
「私たちの夕食にと準備していたパンなんですけど、よかったらどうぞ。リック様はロールパンがお好きでしょう?」
そう言って優しく微笑むベルが愛おしい。
だがこれはベルたちの夕食だ。受け取れないと断れば、私たちはグラタンがあるので大丈夫ですと笑顔を向けられる。
それに足りなければ冷凍の食パンもあるんですよ、最近はルカとミアが沢山パンを焼くのでとそう言われ、遠慮なく受け取ることにした。
「それに私もリック様のご家族にパンを食べていただきたいですし……」
そう言って頬を染めるベルが可愛い。
ぎゅっと抱きしめたい衝動に駆られるが、今のリックにその立場はない。
「ありがとう」
ベルにお礼を言いリックは自宅へと向かう。
きっと今頃家族はリックの帰宅を待ち構えているだろう。
屋敷に戻ると、調理場へ行きベルの作ったロールパンを使用人に渡す。
夕食に出してほしいと頼むと、リックは自室へと戻り着替えを済ませた。
ベルのことを家族に伝えよう。
どんな素敵な女性かも洗いざらい伝えよう。
いつまでも心配をかける末っ子を、今日こそ卒業すると決意を固めたリックだった。