フランスパンとその中身
「母上も人が悪い……あんなに揶揄ったらイザベラがかわいそうだ、顔を真っ赤にしてたじゃないか」
「あら、ロナルド、帰っていたの? 私、貴方にだけは人が悪いだなんて言われたくはないわ。女の密談を盗聴するだなんて、そっちのほうがよっぽど人が悪いじゃないの」
「ハハハ、盗聴だなんて、自分のかわいい息子に酷い言い方だなー。聞き耳を立てていたわけじゃないですよ。話が勝手に耳に入ってきただけです。お母上のあんなに楽しそうな笑い声は久しぶりだったからねー」
「まあ、ああ言えばこう言う子ね。いったい誰に似たのかしら」
「ハハハ、父親似ではないことは確かですね」
「まあ、本当に憎たらしい子」
「それはそれは、私にとっての最高の誉め言葉ですよ。母上様」
「まあ!」
ウィスタリア公爵家の似たもの親子の会話はいつもこんなものだ。
長男ロナルドは昨年ウィスタリア公爵家を継ぎ、たった一年で『実力も財力をも持つ公爵閣下』だと貴族たちから羨望の目を向けられている。
前公爵はその人柄から、温厚な公爵だと親しまれていたが、母親に良く似たロナルドは敵には容赦ないその姿から、優し気な微笑みを浮かべた『微笑の冷徹公爵』とひそかに呼ばれていた。
「母上はイザベラを本当はチャーリーの妻にしたかったんじゃないのですか?」
チャーリーはウィスタリア公爵家の次男坊。
父親によく似た朗らかな青年で、昨年兄の爵位継承を受け結婚したばかり。
あと一年イザベラの断罪が早ければ、イザベラをチャーリーの妻にし本当の娘にしただろうとロナルドはそう思ったのだ。
「何を言っているの、チャーリーではイザベラを守り切れないわ。あの子は素直すぎるもの。かといってあなたが相手じゃイザベラが可哀想ですからねー……」
「ハハハハハ、言い得て妙だけど流石に酷いなー。私だってあなたの可愛い息子なのに」
「まあ、三十にもなって何を言っているの、息子が可愛い時期だなんてとっくに過ぎたわよ。今は憎たらしいだけ、素直なチャーリーは別だけど」
「ハハハ、まあ確かに。母上に可愛がられても気持ち悪いですからねー」
「はあー、ロナルド。そういうところよ。少しは直しなさい。妻に出ていかれるわよ」
「大丈夫ですよ。私は人を選んで話をしますからね」
「まあ!」
二人は似ているだけあって遠慮なく毒を吐くが、誰に対してでもこうではない。
もう一人の息子チャーリーがいれば、ここまでの応酬はしたりはしない。もちろん前公爵が生前中も彼の前では猫を上手くかぶっていた二人だ。本当によく似ていた。
そんな二人が向かい合う。
話は当然未来の妹であり娘になるベルの話。
頭のいいベルのことだ、今日のマティルダの話を聞いて養子の話を受けるだろうと二人はそう確信していた。
ならばこの先のこと。
ここからは前公爵夫人と現公爵の話し合い。
ベルの父カーマイン侯爵からの手紙と、ロナルドが城から持参したセルリアン王国からの手紙を開く。
そこには同じような内容が書かれていて。行方不明の侯爵令嬢を探しているというあり得ない内容だった。
それを見てロナルドは鼻で笑う。
自分たちでイザベラを追い出しておいて、今更探しているとは馬鹿げている。
それも侯爵令嬢が行方不明だと大々的に発表しているのだ、セルリアン王国とカーマイン侯爵家の恥でしかない。
あの夜会の件はとっくに他国にも知れ渡っている。自分たちの愚かさを披露しているような物だった。
ロナルドは叔父である国王にイザベラの話をし、この手紙を母に持参した。
マティルダがイザベラを保護していることは国王も周知の事実。
弟の妻であり、元セルリアン王国王女であったマティルダの母国での扱いは国王も知る所だった。
そんなマティルダの姪が、また同じような扱いをセルリアン王国でされていた。
弟と仲が良かった国王が、義妹であるマティルダに「自由にしていい」と手紙を委ねるのも当然のことだった。
「さて、どうしてやりましょうかね。徹底的に懲らしめたいが、イザベラが逆恨みされても困る。とりあえず養子の話だけは進めますか?」
「ええ、そうね、そうして頂戴。何か有ってもイザベラはこの公爵家が守る、私はそう決めているわ。それに今やあの愚か者が国王になった残念な国ですもの、追い詰められて何をするか分からないわ。それにその息子はもっと愚かなようだし、私たちが何もしなくても勝手に落ちぶれていくでしょうね。今やあの子がセルリアン王国にはいないのですもの、時間の問題でしょう。王を諫める忠臣もいない、そんな国、勝手に滅びていけばいいのよ」
マティルダには今更母国に思い入れなどいない。
元婚約者のことだって良い話のように記録されているようだが、実際王妃(母)が決めた元婚約者をマティルダが好きだったことなど一度もない。そう見えるようにしていただけだ。
正直婚約解消できてホッとしたぐらいだった。
もちろん当時の王妃(母)が喜ぶため顔には出さなかったが、ビリジアン王国に嫁ぐ話は心底嬉しかった。
赤い髪の娘を嫌う王妃(母)と離れられる。マティルダはその事が何よりも嬉しかった。
「それからシャトリューズ侯爵家のことですが」
「あら、イザベラのお相手のことね。いい打診はあったのかしら?」
「ええ、元々マーベリックの相手には爵位や生まれを気にしてはいなかったようですよ。平民でも構わないし、相手を何処かに養子に出せばいいだろう、そう思っていたそうです。それで付き合っていると噂のあるイザベラのことを探っていたようです」
「まあ、ウフフ……そうしたら思わぬ蛇を起こしてしまったわけね。シャトリューズ侯爵は驚いたでしょうねー」
「ハハハ、蛇とは人が悪い。私は妹に何か用かとシャトリューズ侯爵に答えただけですよ。毒蛇だと思われたのは母上だけではないですか?」
「はあー、まったく貴方は……口から生まれたのではないの? 毒しか吐かないわ」
「ハハハ、そうですね。母上の美しい口から生まれたからこうなったのでしょうね、きっと」
「まあ!」
リックの実家であるシャトリューズ侯爵家は、代々実力のある騎士を輩出する家柄だ。
家族そろって体格も良く、皆剣技に優れている。
その分策略には向かない家系だが、隠密が得意であるジグナル家(イーサン実家)とは仲が良いので安心な家柄でもある。イザベラが嫁いでも何の問題もない。二人はそう思っている。
「ジグナル家の息子が非公開の保証人にたどり着きましたよ。イーサン・ジグナルはなかなか優秀なようですね。私からも妹を頼むねとお願いしておきましたよ」
「そう、相手は震えていなかった? 大丈夫かしら?」
「ええ、絶対に二人をくっつけますと宣言してましたよ。なかなか頼もしい青年でした。我が家に欲しいくらいでしたよ」
「そう、なら二人の仲も上手くいきそうね。安心できそうだわ」
「まあ、それもイザベラの気持ち次第でしょうが……」
リックの名を出した時のベルの姿を思い出し、マティルダにもロナルドにも笑みがこぼれる。
どう見てもすでに恋に落ちているようだが、色々あってイザベラはまだそれを消化できていないようだ。
あんなことがあったのだそれもしょうがない。
こればかりは時間が解決してくれることを待つしかないだろう。
けれどイザベラの未来が明るいと思えばマティルダとロナルドの笑みは深まった。
「イザベラがマーベリック・シャトリューズを選んでくれてホッとしたわ。あの子はまっすぐそうな子だものイザベラの傷を優しく癒してくれるはずよ、私の夫のようにね」
「ハハハ、母上、今度はのろけですか? まったくいつまでたっても父上と母上はおアツいですねー、こちらが恥ずかしくなりますよ」
「当然でしょう。あんなにもかわいい人を私は知らないわ。あの人は私の天使よ。幾つになってもね」
「はいはい、ご馳走様です。チャーリーが父上に似ていて良かったですね。私は周りから悪魔と言われていますから」
「そうね。あなたは見た目だけしかあの人に似ていないもの、年々憎たらしくなっているものねー」
「ええ、残念ながら中身は母親似らしいですよ。憎たらしいところなんてそっくりです」
「まあ、酷い!」
クスクスと笑い合いながら二人は話を詰めていく。こんな会話も二人にとってはコミュニケーションの一つだ喧嘩ではない。
イザベラを守る。
鉄壁の守りに護衛されていることにイザベラ本人はどこまで気付いているのか。
夜が更けるまで二人の話し合いは盛り上がっていた。
マティルダは母国では実母(王妃)に虐待を受けていました。赤い髪が嫌われていました。父(国王)は知らんぷりです。