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公爵夫人とフランスパン③

「フフフ……昔話はここまでにしましょうか……」


 そう言って大叔母は優雅に微笑む。

 大国の公爵夫人。

 それはまさにそのさまを体現したような笑みだった。




「ウィスタリア公爵家はもう息子が継いでいるし、イザベラに無理を強いることは無いわ。そうね……私の希望は三つ。まず店は基本誰かに任せイザベラは裏方に回る事、それからもう数店舗店を持ち、ウィスタリア公爵家の事業として規模を大きくする事、それと貴族夫人が好みそうなパンを作り最低限のお茶会や夜会に出席すること、これぐらいかしら?」

「叔母様それは……」


 どう考えてもベルに都合がよすぎる提案だ。


 店を誰かに任せると言ってはいるが、パンを作ることを止めろとは言っていないし、店を増やせということはベルにこのまま経営を任せると言っているも同然だ。


 それもウィスタリア公爵家の事業とする。

 つまりはウィスタリア家の支援を受けて店を大きくする。そう言う事だろう。


 イザベラは庶民の誰もがベルの作る柔らかいパンを食べられるようになればと思っている。大叔母はその手助けをしてくれるとそう間接的に伝えてくれた。


 そして最低限の社交と貴族女性への商品。

 今まで王太子の婚約者として過ごしてきたベルからすれば、多少の夜会や茶会への出席などは何の問題も無いだろう。

 そしてその場で商品を宣伝する。ベルの評価や評判も上がるだろうし、付き合いのあるビスク商会の評判も上がることは間違いなかった。


 そして何より。

 大国の公爵家の養子となれば、カーマイン侯爵家もセルリアン王国でさえも手が出せないだろう。


 大叔母の要望はベルの幸せしか考えていない、そのように感じた。




「イザベラ、貴女は幼いころから王太子の面倒を見て来た……そうでしょう?」


 まるでベルの過去を見て来たような大叔母の言葉に、ベルはこくんと子供のように頷く。

 肯定したベルを見て大叔母はフンッと鼻で笑った。


「そもそもそれが間違いなのよ」


「えっ……?」


「王太子の教育は親である王と王妃の役目であって婚約者が請け負うものではないわ。まあ、幼い頃は乳母の責任でもあるし、教育係の責任でもあるでしょうね」


 と大叔母は苦い顔をしてそのまま言葉を続けた。


 王太子の婚約者となったベルは王城で暮らし、カーマイン家へ帰ることは許されなかった。

 常に王太子と一緒に行動し、教育も一緒に受けさせられ、王太子が理解していなければベルが責められるそんな生活。


 王や王妃からの期待も重かった。

 婚約者として王子を立派な王太子になるように支えろと、何度も言われた。


 そして実家からも、王太子をきちんと支えているか、カーマイン家の名を汚さないようにと何度も言われ心が折れそうだった。


 大叔母はそもそもそれが間違いだとそう言っているのだ。



「職務怠慢もいいところだわ。一体何のために側近がいるのよ? ただの婚約者に全て押し付けるだなんて、あの国は何も変わっていないわ。王家が腐っているのよ」


 フンッとまた鼻で嘲笑う大叔母は、そんな姿も何故か優雅で美しい。


 これまでイザベラが辛い思いをする事は悪役令嬢なのだから当然だと、そう思っていた。

 けれど大叔母はそれを全て否定した。

 イザベラは良くやっていた。

 間違っているのは周りだと。


「イザベラは優秀過ぎたのね。だから周りの期待も大きくなりすぎた。そして我儘に育ったあの大馬鹿者の王子は間違いを犯した。自分の無能さを棚に上げてね……」


 周りがイザベラを見下す中、どんなに言葉を尽くしても王子に忠告が届くはずもない。


 イザベラが何を言っても聞き入れず、それも全てイザベラの怠慢だと罵られた。



「貴女はよく頑張ったわ……イザベラ。もう楽になってもいいのよ」

「……叔母様……」


 気が付けばベルの目からは涙が流れていた。

 同じ様な経験をした大叔母の言葉だからこそ、ベルの心に良く響いた。


 もう楽になっても良い。


 その言葉に心が救われる。


 それに大叔母はベルを絶対に守ろうとしてくれている。

 どんな事が有っても自分の子として守る。

 養女になれというのはそう言ってくれているのと同義だ。それが何よりも嬉しかった。






 ベルが泣き止むと、大叔母自ら新しいお茶を入れてくれた。

 ちょっとだけ渋いそのお茶は、ベルの心を温めた。


 本当の家族よりも自分を愛してくれる人。

 マティルダの深く優しい愛に、凍っていたベルの心はゆっくりと溶かされ始めていた。



「ところでベル。マーベリック・シャトリューズとはどういう関係なの? お付き合いしているのかしら?」


 大叔母の思わぬ質問に飲みかけていたお茶を勢い良く飲んでしまい咳が出る。


 ゴホゴホとむせているベルの前、大叔母は「あらまあ」と楽しそうな笑みだ。


「二人で仲良く市場を回っていたそうね。楽しそうだったと報告を受けているわ。それにマーベリック・シャトリューズはあなたの店に足繫く通っているそうじゃないの。ご執心だと聞いているけど。貴女はどう思っているの? 結婚を考えているのかしら?」


 ウフフと楽し気に笑う大叔母の姿を見て、やっぱりいろいろと知られていたのだと納得をする。

 前公爵夫人だ。情報に疎いわけがない。

 きっと商人ギルドでの一件も知られているだろう。あの職員が無事であることを祈るばかりだ。


「あの、叔母様、リック様と私はそんな関係ではなくて……」

「あらあらまあまあ、うふふふふ。リック様と呼んでいるの? 仲良しさんね。でもまだ様付けなのね。ウフフ……なんだか懐かしいわー。あの人と出会った頃を思いだすようよ。それにしてもマーベリック・シャトリューズはあんな見た目で意外と初心なのね。もっとぐいぐい行くタイプだと思っていたわー。残念ねー」

「叔母様……」


 確かにリックは交際に積極的なタイプではないのかもしれない。

 けれどそれはベルのペースに合わせてくれているというか、決して奥手なわけではない気がする。


 それにリックはベルを平民だと思っている。

 貴族男性なので、そんなところも考慮しているのだろう。

 凄く優しい人なのだ。


 恥ずかしくて熱くなった頬を押さえるベルを見て、マティルダは満足そうに笑っていた。




 そろそろお暇をと思ったところで、大叔母から「ああ、もう一つ話があったわ」と声をかけられた。

 

「エクル男爵家といえばわかるかしら?」


 その名を聞いて過分な詫びをよこしてきた男爵家を思い出す。


 エクル男爵家の自称執事が麦の家で騒ぎを起こしたのは先月のこと。

 やはり大叔母が手をまわしてくれていたのだと「はい」と答えたベルの顔には苦笑いが浮かんでいた。叔母様少しやり過ぎですよと、そんな気持ちが出た顔だ。


「私の娘に迷惑をかけないでと義兄に忠告して貰っておいたわ。少しはお灸が効いたと思うのだけど……」


 さすがに叔母様だ、まさか陛下を使うとは……

 注意を受けたエクル男爵には同情する。きっと気を失うほどの思いをしたことだろう。可愛そうに。


「叔母様、娘だなんて言ってもよろしかったのですか? 私はただの姪でしかありませんのに……」

 

 それもベルは本来姪とも呼べないほどの間柄だ。遠い親戚、そう言われても仕方がないだろう。


 なのに市井に元公爵夫人の娘がいる。

 そんな噂が流れるのではと心配してみたが、大叔母はカラカラと楽しそうに笑うだけだった。


「私に喧嘩を売るような気概がある人間はこの国にはいないわ。それにイザベラが娘だと私が義兄に自慢したかったのよ。いいでしょう? 娘が出来て嬉しかったのだもの」

「叔母様……」


「さて、ここからが本題よ。イザベラ、あなたは自分の価値が分かっていて? あなたはとても美しく聡明で困難に立ち向かう力もあるし、何よりも人を引き付ける魅力があるのよ? 分かる?」

「ええ、はい、それは……」


 自分は悪役令嬢だったのだ。

 見た目は十分に奇麗だし、王太子妃教育を受けてきていたので教養もあると理解している。


 けれど大叔母はベルの答えに首をふる。

 あなたは本当の意味で自分の魅力を理解していない。そう言われた気がした。


「イザベラ、あなたはね、野に咲く薔薇なの、わかる?」

「……いえ……」

「そこにいるだけで目立ってしまうそんな存在。誰もが欲しくなる黄金の様な女性、それがあなたよ」


 流石にそれは言い過ぎではとベルは思ったが、エクル男爵の名を出した時点で、大叔母はその答えに誤りがあると分かっていたのだろう。

 平民になれば何の問題も起きないと思っていたが、ベルの考えが甘いことを叔母は諭してくれた。


「商業ギルドに王女が来たって噂になっていたわ。それは貴女よね?」

「それは……」


 あの時ルカを守る為、ベルは自分を大きく見せようと気位高い女性を演じていた。

 どうやら少しやり過ぎてしまった様だ。街の噂になる程とは思ってもいなかった。


「それにマーベリック・シャトリューズはね、色々あって女嫌いだと噂になっていたわ。両親でさえ結婚をあきらめるぐらいの女性嫌い。知っていた? それなのに今やすっかり貴女に骨抜きにされている。市井では騎士団長が恋人に夢中だって騒がれているのよ。そんな噂を聞いてこの私だって驚いたわ。ベルは一体どんな魔法をマーベリック・シャトリューズに使ったのかしらってね」


 リックが女嫌い。


 ベルのほうこそその情報に驚く。


 リックはいつだって紳士で、女性に優しくて、ベルの前では常に笑っている。そんな人だ。


 それは何かの間違いではと思ったが「あなただけが特別なのよ」と言われれば反論はできない。


 どうやら自分は無意識のうちに色々と目立っていたらしい。

 反省するベルに大叔母は容赦なかった。


「あなたが平民として生きていきたい気持ちはよくわかるわ。けれどね、それは周りにも影響を及ぼすの、そのことをよく理解して私の提案を考慮して頂戴。わかるわよね?」

「はい、叔母様、ありがとうございます……良く分かりました」


 ベルがいなければ、エクル男爵家の自称執事は事件を起こしていなかったかもしれない。

 商業ギルドの男性も、ベルでなければ反論しなかったかもしれない。


 勿論平気で噓をつくような男たちだったのだ、ベルが何もしなくても何かしら問題は起こしていた可能性もあるだろう。


 けれど、目立たないようにと平民の中にまぎれたことで、ベルはかえって目立ってしまった。だからこそ絡まれるのだ。


 父からの手紙も。


 きっと今のままでは逃げ切ることはできないだろう。


 そう考えれば答えは一つしかない。


 ベルは叔母からの提案を、前向きに検討しようとそう思っていた。

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