商会とコーヒーロール
「イザベラ様、お待ちしておりました。今日はわざわざ当商会へお越しいただきありがとうございます」
「ごきげんよう、ダニエル。お変わりはないかしら? 本当にお久しぶりね。仕事がお忙しいようで何よりだわ」
「はい、我が店が繁盛しているのも全て商売の女神であるイザベラ様のお陰でございます」
「まあ、お上手ね。でもそんな事を言っては奥様に怒られますわよ。ダニエルは新婚さんなんですから」
「ハハハ、確かに新婚ではありますが、妻も私の意見に賛同すると思いますよ」
「もう、夫婦そろって私を揶揄うのね。折角お土産を持ってきたのに、渡すのをやめようかしら」
「ああ、それは困ります。イザベラ様の手土産が貰えなかったと妻に知れたら、私は家を追い出されてしまいますよ」
「フフフッ、では夫婦円満の為にもお土産をどうぞ。コーヒーロールよ。ダニエルならきっと気に入ってくれると思うわ」
「コーヒーロールですか……コーヒー……ハハハ、ええ、食べる前から気に入りました。最高の手土産でございますよ。イザベラ様」
ダニエルはコーヒーの香りが漂う紙袋を受け取りながら、町娘としての姿がすっかり板につき、明るく笑うベルを妹でも見るかのように優しく見つめた。
今日ベルは、以前から付き合いのあるビスク商会へと足を運んでいた。
ビスク商会の若き会長ダニエル・ビスク・オーカーは、新進気鋭の商人として数年前から大国ビリジアン王国でも話題に上る人物だ。
その話題の裏にはダニエルとベルの出会いがあった。
それはまだダニエルが小さな商会の商会長としてデビューしたばかりの頃のこと。
見習いとして働きだしたばかりだったダニエルは、父親が急死したことで、跡取りとして商会長に就くしか無かった。
本来はあと数年、父親の背中を見て学び、それから支店を受け持ち、そして会長へとなる筈だったのだが、たった数年の見習い期間で商会長になるしか無かった。
夫を亡くし気落ちした母、幼い妹、そして商会員達。
まだ若いダニエルの肩には、守らなければならない大きな重しがのしかかった。
そんな時、突然カーマイン侯爵家から呼び出しがかかる。
カーマイン侯爵家といえば貴族家の中でも有力な家で、勿論ダニエルも良く知っていた。
お嬢様の我が儘に付き合って欲しいという、なんとも言えない要請だったが、父が居なくなり力強い後援者が欲しかったダニエルは、取りあえず話を聞こうとカーマイン侯爵家へと出向いたのだ。
そこでまだ幼いベルと出会った。
これこそが運命の出会いであったと、ダニエルは今でも思っている。
「弟が体が弱くて、体にいい薬草を探して頂きたいの」
お嬢様の我儘だと聞いていたダニエルは、珍しいドレスや、可愛いお人形、もしくは美しい装飾品などを探してこいとでも言われると思っていた。
だが目の前の少女を見て先ずは驚いた。
話をしてみれば目の前の少女がただの子供ではないとすぐに分かった。
幼い姿ながらも落ち着きがあり、商人であるダニエルとしっかりと会話を行うことが出来たからだ。
「最終目標としては万能薬を作りたいと思っています。でも先ずは咳止めの薬と、解熱の薬を作りたいと思います。弟のために」
イザベラと名乗ったその少女は、欲しい薬草名は勿論のこと、どこにあるか、そして薬の作り方までも詳しくダニエルに指示を出す。
やっと自分の話を聞いてくれる商人に出会えたと、優しく微笑むその様子は子供らしかったが、ダニエルはイザベラが持つ豊富な知識は、恐ろしい程に金になるものだと気づいた。
だからこそ危うい。
そうも感じた。
「お嬢様、簡単に知識を商人に渡してはなりません。悪用されるかも知れないのですよ」
一介の商人の言葉に怒るだろうかと思ったけれど、苦言を呈さずにはいられなかった。
だがイザベラは目を見開いた後、怒るどころか嬉しそうにクスクスと笑った。
「子供の話を馬鹿にせず聞いて下さる方を、信用しないなど私的にあり得ませんわ」
イザベラはこれまで複数の商人と会ってきたのだろう。
どこまで話をし、願い出たかは分からないが、きっと無下にされたこともあったはずだ。
その中でダニエルを選び、ダニエルのことを信頼し、全てを話してくれたということは只々嬉しかったし、商人冥利に尽きた。
それと共に信頼してくれるイザベラの力になりたいと、出会ってから一時でそう思うようになっていた。
「イザベラ様、必ずお探しの薬草を見つけ、薬を作り上げてみせます。お任せください!」
「ええ、ダニエル、頼りにさせて頂きますわ」
そんな付き合いから始まったベルとダニエルの関係は、十年を超えた。
ダニエルが開発したとされる薬は、瞬く間にセルリアン王国に広がった。
毎年流行り病で亡くなるものは後を絶たなかったのだが、その年は例年の十分の一の死亡率だった。
ダニエルは王城に呼ばれ、国王陛下自らに声を掛けて頂ける名誉を得た。
その際ダニエルはイザベラの名を出し、彼女の発案で出来た薬であったと、国王陛下に伝えた。
するとその一か月後にはイザベラ・カーマインが王子の婚約者に確定したと耳に入って来たのだ。何と素晴らしいことだ。
イザベラ様のお役に立てた。
ダニエルがそう浮かれてしまうのも当然のことだった。
貴族の令嬢が王子の婚約者になる。
それはどんなことよりも名誉な事で、イザベラも喜ぶとダニエルは疑いもしていなかった。
だが祝いの品を届けに行ったダニエルは、目の前に座るイザベラを見て自分の過ちを知る。
薔薇色に染まっていなければならないはずのイザベラの顔色は悪く、どんなに誤魔化してもその表情には陰りがあった。
イザベラ様は王妃になる事など望まれていなかったのだ。
とんでもないことをしてしまったとダニエルは後悔した。だがもう遅い。
正式に婚約者だと発表され、商人であるダニエルの耳にまで入ってきたのだ、今更婚約が撤回される事などないだろう。
なによりこれ程の才を持つ令嬢を、王家がみすみす手放すはずがない。
ダニエルは自分の行いが、恩人であるイザベラを苦しめたことに絶望した。
「ダニエル、そんな顔をしないでちょうだい、こうなることは何となく分かっていたの。時間の問題だったのよ」
謝るダニエルにイザベラはそんな言葉を掛ける。
確かにこれだけの才女だ、いずれ王家の目に止まったことは容易く想像がつく。
けれどダニエルが、あの時イザベラの名を出さなければ、こんなにも早く王家に気付かれることは無かったかもしれない。
「それでも私は足掻いてみせる……例えそれが無駄だとしても……ダニエル、これからも力を貸して欲しいの、私が幸せな未来を掴むためにも」
イザベラが最後に呟いた言葉はハッキリとは聞こえなかった。
けれど力を貸して欲しい、イザベラのその言葉をダニエルはしっかりと受け止めた。
「イザベラ様のお望みになるものは、どんな手段を使っても手に入れてみせましょう」
それは悪役令嬢イザベラ・カーマインに、力強い味方が出来た瞬間だった。