話題の店とクリームパン②
「どう言う事だ! 午前中に店に来れば今月のパンはまだ売っていると言っただろう! 売り切れているじゃないかっ!」
間も無くお昼を迎えて、また忙しくなるであろうパン屋【麦の家】で、怒りを露わにし、下品にも女性であるベルを指差しながら文句を言う客が現れた。
貴族の世界をよく知るベルから見ると、その男性は服装や佇まいから下級貴族の下男あたりだろう……ということが分かる。
無難に纏められた髪、そして男性が着ている制服。
一見身綺麗には見えるが、怒鳴る時点で本人に気品は無いし、何より身に着けている物(服)が高位貴族家の物だとは思えない。
男性本人はそんな事にベルが気付いているとは思いもせず、あたかも自分へ貴族家の執事だと装ったまま 「話しが違うだろう!」 と高慢に叫んでいるが、どう見ても主人から頼まれて買い物に来た下男が、商品が売り切れで困り果て、店の主人に責任転嫁しているようにしか見えない。
(さて、どうしましょうか……)
ここは店主の腕の見せ所と行きたいが、この世界、貴族と平民では立場がまるで違う。
気に入らないなら帰って下さい、では済まないし。下手に貴族に出てこられても、小難が大難になり平民として生きようとするベルとしては困ってしまう。
(大叔母様の耳に入っても困ってしまうわね……)
可愛い姪を守るためならば容赦ないであろう大叔母の笑顔を思い出し、怒鳴る男に小さくため息をつきながら、ベルは先日の出来事を思い出す。
ベルは確かにこの男が店を訪れた際に 「クリームパンは午前中の早い時間には売り切れてしまいます」 とキチンと伝えてあるはずだ。
今はまだ午前ではあるが、間も無く正午を迎える。
この男はきっと午前中という部分しかベルの話を聞いていなかったのだろう。
けれど二度も主人からの頼まれ事を成し遂げることが出来なければ、この男の評価が下がるだろう事は必至。それもただの買い物だ。パンを買ってくるだけという簡単なもの。子供ではないのだ 「行ったけれど買えなかった」 と言い訳をする訳にはいかないのだろう。
だからこそこの場で店主であるベルのせいにして、自分は悪くないと安心したいのだろう。
まあもしかしたら脅せば商品が出てくるかも、とそんな淡い期待もあるのかもしれない。
何せこの世界、女性の経営する店など舐められて当然、それもベルはまだ若い店主だ。怒鳴り怖がらせて謝らせる。
どこにでもそんな単純な考えをもつ男性はいるのだなと、ベルは怯えるどころか男に対し内心呆れかえっていた。
「お客様、落ち着いて下さいませ。小さな店ですもの、怒鳴らなくてもお話はきちんと聞こえておりますわ。申し訳ございませんが、先日お話しした通り、今月のパンであるクリームパンは午前中の早い時間に完売しております。大変申し訳ないのですが、またお時間をみつけてご来店いただければとしかこちらではお答えできません。それに本日分は全て売れておりますもの、どんなに騒がれても商品は出て参りませんわ」
営業スマイルを浮かべ、ベルは男性に答え頭を下げた。
彼が店内で騒いだせいで、店にいた客は外に出てしまい、恐る恐る中を伺っている状態だ。
乳飲み子を抱いていた母親は、外にて泣く子を慰めている。それぐらいこの男性は大きな声で騒いでいるのだ。それに貴族だと男性自身がのたまわっている。
平民が怯えてしまうのも当然だった。
「ふ、ふざけるな! お前は俺が悪いと言うのか! この前来たときに午前中に来ればパンはあると言っただろう! お前の責任だ! ちゃんと品物を準備しろっ! そうしないとこんな小さな店潰してやるぞ!」
午前中ってもうお昼じゃないかと、店の外でボソボソと呟く呆れ声が聞こえた為、男性はそちらを睨み 「うるさい!」 と怒鳴りつける。
相手が平民だからとあって気を大きくしているからか、男性は「他のパンは次が焼かれているじゃないか!」 とまたベルを大きな声で怒鳴りつける。
一月限定の ”今月のパン” は、この世界ではまだあまり多く手に入らない材料を使って作っているため、客足が多い開店時間から数量限定で販売している。高価な砂糖を使うクリームパンがあっという間に売り切れてしまうのも当然で、今日の分の材料は残っていない。
なので今から作れとどんなにこの男が騒いだところで、今日はもう作ることは出来ないし、作る気もない。
もし妥協するならば、明日分の材料を無理矢理今日に問屋に届けさせるか、もしくはこの男がクリームパンの材料を全て用意するのであれば出来なくはないが、ベルがそこまでする義理はこの男にはない。
自家の使用人が店で騒ぎを起こしたなどと王都内で広まれば、恥をかくのはこの男の主人なのだが、この男はこれだけの騒ぎを起こして大丈夫なのだろうかと少し心配になる。
それにベルの大叔母で、この国でのベルの保証人にこの件が知られてしまったら。この男どころか主人にまで迷惑がかかり物理的に消される可能性もある。
一人で他国へとやってきたベルを心配する過保護な大叔母が、ベルに無礼を働いたこの男をそのままにするはずはないからだ。
それにしても……この男はきっと元々平民か、貴族出身だとしても自身では爵位を継げない身分辺りなのだろう。
躾が出来ていないことが振る舞いに出ているし、言葉使いも荒いし、到底貴族とは思えない。
まあ、高位貴族でも品の無い行いはするものだけれども……と過去の知り合いを思い出しかけて、ベルは頭を横に振るう。
(まずはこの場をどうにか穏便に済ませなければ……)
騒ぐ男を前にベルが困っていると、店を覗いていた客達からまた呟きがもれた。
「ベルちゃんに相手にされないからって怒ったって恥ずかしいだけなのにねー」
「ねー」
クスクスと観客兼野次馬たちから笑い声がおこる。その呟きは図星だったのか男性の顔は真っ赤にそまり、俯きフルフルと肩を揺らしている。
(なるほど、そういう事だったのね……)
ベルは怒りが収まらない男性を前に思わず手をポンッと叩きそうになった。
最初に店にこの男がやって来た時、自分は貴族家の執事なのだとベルに何度も言っては胸を張っていたのはそういう事だったのだ。
それにその後も今月のパンの事をしつこく聞かれたり、店の定休日の事も聞かれたり、家族の事も尋ねられたりと、面倒臭い客だなと密かに思っていたのだが、どうやらそれは彼なりのアプローチだったらしい。まったく気が付かなかった。
今日もクリームパンが無いのなら、自分が一緒に主人に謝ってやるから俺に付いてこいと訳の分からない事を最初に言われたが、きっとそれもベルを誘う口実だったのだろう。アプローチが下手すぎる。
ベルが大切な店を放り出し、この男に付いて行くはずがないし、何より高慢な男はもうこりごりだ。
ベルから苦笑いと共にため息が零れると、男は遂に手を出した。
「お前、この俺を笑ったな!」
目の前にある商品を男が台ごとひっくり返す。
ガシャーンと大きな音がすると、野次馬達からわー、きゃーと悲鳴があがる。
「お客様、やめてください」
大切な商品を庇うようにベルが前に進み出る。騒ぐ男には耐性があるし、剣がなければ怖くはない。
そんなベルを前に男は大きく手を振り上げた。
(きっと大丈夫。そろそろ警備隊の人たちが駆けつけてくれる頃よ)
(それにあの日よりも怖いものなど何もないわ……)
ベルが男に叩かれることを覚悟して目をつぶると。
「やめろっ!」
という声と共に、ベルの前に一人の男が立ちふさがった。
それは常連客で騎士団所属のリックだった。