初デートとハンバーガー
「ベルおねえちゃん、掃除終わったよー」
元気な声でベルの名を呼ぶのは、10歳に満たない子供たち。
店の近所にある孤児院の子供たちに、ベルは店周りの掃除をお願いし賃金を払っている。
10歳前の子供たちは、外で働ける仕事が殆どない。
冒険者に登録できるのも10歳からだし、それも当然初めは見習いからで、下手したら給金が出ないという事もざらにある。
その為ベルは近所にある孤児院に声を掛けた。店回りの簡単な掃除ならば十歳未満の子供でもどうにかできる。
なので毎日【麦の家】には孤児院から数名の子供が顔を出し、ベルの店の回りの掃除をしてくれる。
店内の掃除は調理器具があるので流石に任せられないが、気の利く子供などは依頼された場所だけでなく窓なども拭いてくれてとても助かっている。
ベルの店と同じように小さな子供を雇う店がもっと増えてくれればいいなと願う所だ。
「まあ、今日もとても綺麗ね。ありがとう、助かるわ」
ベルは今日のお手伝いに来た五人の子供たちに報酬の鉄貨を渡す。
毎日鉄貨五枚それが孤児院との約束になっているが、風が強く店回りがとても汚れてしまった日や、窓を拭いたり水撒きなどを手伝ってくれた際は多目に渡す様にしている。
「それと、これはいつものパンの耳。それからこちらは練習用に焼いたパンなの、良かったら皆で食べて頂戴ね」
「わぁー! やったー! ベルおねえちゃん、ありがとうー!」
子供たちは良い笑顔を浮かべ駆けていく。
元気いっぱいなその様子に胸が温かくなる。
きっと早く孤児院の皆にパンを食べさせてあげたいのだろう、そんな優しい気持ちをもつ子供達にホッとする。
飢えは人を狂わし、道を迷わせてしまう怖いものだとベルは良く知っていた。
セルリアン王国では貧困から罪を犯すものを多く見てきた。
大国であるビジリアン王国は貧富の差が少ない。それでも貧しいものは消えないし、犯罪も消えることはない。
お腹を空かせた子供は沢山いる。
前世のあの裕福な世界であってもそういった子は多くいたのだ。当然この世界にもいない訳はない。
全ての子供を救うなどそんな神のような事は出来ないが、せめて近くにいる子供達の少しでも助けになれたらと、罪を着せられつらい思いを経験したベルはそう思っていた。
それにベルの店【麦の家】では、新人のミアとルカがパンを作る練習を熱心にしている。
その練習で出たパンはまだ商品には出来ないため、自分たちで食べるようにしているのだが、どうしても量が多く出てしまうので、孤児院に渡し少しでも子供たちのお腹を満たせるようにと心を砕いている。
それに誰かに食べてもらうことはルカとミアの練習にもなる。
美味しいといわれれば張り合いにもなるし、頑張ろうという気にもなるものだ。
そのお陰で二人の成長はとても早い。
お互いがいいライバルになっているのも強みだ。
もう間もなく二人のパンは店頭に並ぶことだろう。
今ベルはそのことが一番の楽しみだった。
「ベルお姉さん」
背後から小さくそう呟かれ、驚いて振り返る。
そこには優し気な笑顔を浮かべるリックが立っていた。
「リック様、驚きました。おはようございます」
「おはよう。驚かせたかな、ごめんごめん。それにしてもベルお姉さんか、いいね。俺もこれからそう呼ぼうかな」
「もう、揶揄うのはお止め下さい。でしたら私もリックお兄様とお呼びしますよ」
「ああ、うん良いね。それ、凄く響くよ」
リックの揶揄いに笑いが零れる。
何が良いのか、何が響くのかはわからないが、大げさにおどけてみせてリックが楽しませてくれる。
きっと今日のデートを意識させないようにと、そうしてくれているのだろう。
その気遣いが何だかくすぐったくってうれしかった。
「もう準備はいい? 直ぐに出れるかい?」
「はい、大丈夫です。リック様がそろそろいらっしゃるころかなと思って、丁度降りて来たところだったので」
「なら良かった。じゃあ行こうか。さて、ベル姉上、お手をどうぞ」
「まあ! フフフ、ありがとうリック。では、案内をさせてあげますわよ」
「アハハ、いいね。では、姉上参りましょう」
当たり前のようにリックと手を繋ぎ歩いて出かける。
今日は二人で中央区にある旧王城があった大公園に行く予定だ。
中央地区でも北寄りにある旧王城跡地は、ベルの店から歩いて丁度一時間ぐらいと、この世界では徒歩圏内だ。
気になる店を見て周りながら大公園へと迎えば、丁度良い運動となる。
リックとたわいも無い話をしながら大公園へと向かう。
実はベルは自分が悪役令嬢であると悟った当初、冒険者になる事も考えていた。
家出をし、冒険者になれば、悪役令嬢にならず一人でもどうにか生きていける。そう思ったからだ。
けれど実際そんな考えは無理だとすぐに悟った。
そもそも高位貴族家の令嬢が簡単に家出など出来るはずがない。護衛という名目で見張られているからだ。
それに冒険者になれるのも10歳からで当時のベルの年齢では無理だった。
そして10歳時点のベルは、元婚約者の王太子と婚約し、王妃教育のため王城に住んでいたので、自宅に居る時よりももっと監視の目はきつかった。逃げられるはずがない。
もちろん剣など持たせて貰えるはずもなく弓も扱えない。
かといって聖女のように人を癒せる力もない。
普通の女の子が一人で生きていけるほど異世界は甘くはなかった。
それにベルは美しく目立つ子供だった。
つまりあまり治安のよくない故郷では、ベルの様な少女が家出をすれば、簡単に誘拐され売られることはたやすく想像ができる。
なので他に出来ることをと考え、お金を作り、今はこうやってどうにか独り立ち出来ている。
それはありがたいことではあるが、冒険者への夢はベルの心にちょっとだけ残っていた。
(今更冒険者になれるとは思わないけれど、冒険者の女性ってとってもかっこいいのよね)
実はこの大公園の中には薬草園があり、一般に公開されていると聞いていた。
この国に来ることがあったら、是非一度は大公園へ行って薬草採取が出来る冒険者の気分を味わいたいとそう思っていた。
なのでリックからどこへ行きたいかと聞かれ、ベルはすぐに大公園の話題を出した。冒険者云々は話さなかったのだが、リックは何故か一瞬ためらっていた。
「……じゃあ、その、晴れたら大公園に行こうか」
返事に少し間が開いたのは、どうやら天気を気にしてのことだった様だ。
冒険者に興味があると気付かれた訳ではなかったらしくベルはホッとした。
まさかリックが観劇のチケットを用意していたなど、この時のベルは気づくはずもない。
最初からはっきりと誘わないリックが悪いとイーサンならば言うことだろう。
リックが親友イーサンに相談し、女の子の好きそうなデートプランを練り上げていたなど、ベルの知らぬ所なのだから。
二人きりのデート。
人気の演劇を観劇をし、その後有名なレストランで食事。
そして夜空を一緒に眺められたならば。
というリックの夢は儚く散った。
ベルを相手に空回りするばかりのリックには、きっと親友も同情することだろう。
「まあ、大公園はシャーロット・ビリジアン記念公園という名が正式名称ですのね。初めて知りましたわ。もしかして第六代王妃様であるシャーロット様の名を付けたのですか?」
大公園にある公園名が書かれた看板を見てベルの目が光る。
歴史好きの令嬢だったベルはもちろん大国の歴史にも興味があるのだ。
「ああ、そうなんだ。シャーロット王妃の名を付けた公園ではあるが、王族の名を呼ぶのは不敬になるからと、大公園と呼ぶのが一般的になっている。それにしてもベルは良くシャーロット王妃の名を聞いて第六代王妃だと分かったね。シャーロットの名がつく王女はこれまでの歴史で多くいるのに……ベルは歴史に詳しいんだね」
「……ええ、まあ。偶々、偶々ですわ」
シャーロット王妃は実は冒険者から王妃になった女性である。
貴族女性が冒険者であることは恥ずかしいことだと、歴史上あまり語られていないのだが、冒険者を目指していたベルは、高位貴族女性で冒険者になった女性はいないかと、沢山の本を読み漁り、シャーロット王妃に行きついたのだ。
ただし、シャーロット王妃は元々男爵令嬢であり元から貴族女性だった。家のため冒険者として活躍し、親を思う姿が庶民の胸をうち人気があった。
シンデレラストーリーそのままで、王子が冒険者のシャーロットに一目惚れして結婚をした有名なラブストーリーだ。
もちろん王妃になるために男爵家から伯爵家の養女になったのはお約束。ただし、庶民でそこまで詳しく知るものはいないだろう。
今現在シャーロット王妃が冒険者であったことは伏せられているし、他国でここまで詳しくシャーロット王妃のことを知っているのはベルと数人の歴史学者ぐらいだった。
王城での生活が合わなかったシャーロット王妃は、子供が出来る前に儚く散ったと、ベルはそこまで知っている。だが勿論そんなレアな情報をリックに披露するはずもない。それは庶民が知っている事自体が不自然過ぎるからだ。
「先ずは庭園に行ってみようか、今はつるバラが見ごろだと友人に聞いてきたんだ」
「つるバラですか、可愛らしくて大好きです。いつか店を大きくしたらアーチを作ってそこでつるバラを育ててみたいと思っているんです」
「そうか、なら良かったよ。きっと見ごろだよ」
まだ早い時間という事で大公園内はそれ程人通りは多くなく安全だ。けれどリックとベルは当然のように手を繋ぎ歩いていく。
友人以上恋人未満。
手をつなぐ二人の距離は、少しずつ近づいているようだった。