新人雇用とサンドイッチ③
「レオ、これはね、咳を止めるお薬なの、ちょっと苦いけど良く効くのよ。だから頑張って飲んでくれるかしら? 全部飲み切った良い子にはご褒美を上げるわ」
ご褒美って何だろうと目をぱちくりとさせるレオが可愛い。
撫でまわしたい衝動を抑えながら、ベルは手のひらに一粒の飴を載せた。
「これは飴よ。私が作った自慢の飴なの。これは葡萄味の飴。この国では葡萄が沢山採れるでしょう。だから葡萄味の飴を作ってみたの。お薬を全部飲み終わったらこの飴を食べましょうね。レオ、お薬苦いけれど頑張れるかしら?」
レオは勢い良くコクンと頷く。
目は飴に集中したままで、食べたいと言っているのが声に出さなくても分かる。
ルカに薬瓶を渡し、レオに飲ませて貰う。
この咳止めはベル監修のもと作られた物なので、その味が苦い事はベルもよく知っていた。
そのため子供には辛いことも分かっているのでご褒美の飴を用意したのだ。
まだ幸せだったころの懐かしい記憶を思い出しながら、ベルはレオが薬を飲み切るのを見守った。そして頑張って偉いわと十分に褒めてから飴を口へと入れてあげた。
レオの顔が一瞬でほころぶ。頬を両手で押さえ美味しそうにする姿が母国の弟と重なって懐かしさを覚える。
幼い頃から咳が酷く続いた弟の為、咳止めの薬を作ったのはベルだった。
目立たないようにと過ごしていたのに、その事が評価されあの人の婚約者に決まってしまったのだが、そんな苦い記憶にベルは蓋をし、ルカに向き合った。
「ルカ、レオをお風呂に入れてあげてくれるかしら」
「お風呂? お風呂が家にあるんですか?」
「ええ、ウチには小さいけれどお風呂があるの、珍しいでしょう。そこでしっかり体中の汚れを落として欲しいの。レオの病気には埃が大敵なのよ」
「埃が……敵?」
「そう、それに古いお布団や職人街の空気もレオには合わなかったと思うの。職人の街では色々な製品を扱うでしょう? それに小物屋では木くずとかもかなり出ていたはずだもの、そういった細かなものがレオには合わないと思うの。だからお風呂で全部流してきて頂戴。でもレオはいま体力が無いから長湯はしないでね、少し温まるだけにして頂戴。楽しむのは次の機会にね。フフフ、この家のお風呂は小さいけれど私の自慢なのよ」
「は、はい。分かりました。ありがとうございます」
ベルは二人を風呂場へと連れて行く。
前の記憶を持つベルはどうしても毎日お風呂に入りたくて、大金をはたいて店の二階に風呂場を作ってもらった。
故郷では貴族だった事もあり、毎日お風呂に入れていた。
ただ貴族でも二日に一度ぐらいの湯浴みが当たり前なので、それはそれで贅沢だという者もいたが、他を頑張る事で自分自身へのご褒美だと言い聞かせていた。
だがこの国は故郷よりも全体的に発展しているため、貴族だけではなく裕福な庶民の家にも風呂場はあることが多い。けれど毎日お風呂に入る習慣はさすがにないようだ。湯あみとお風呂を交互に。それが富裕層の一般的な習慣のようだった。
そんな事を考えているうちにレオとルカはさっぱりとした様子で風呂から出て来た。
言いつけ通り長湯はしなかったようでレオの体調も変化はなくホッとする。
ベルの家に男性物の衣類は従業員用に用意した制服しか無かったので、二人にはそれを着てもらっているが、制服ではくつろげないだろうと少し罪悪感が湧く。けれど折角汚れを落とした体にまた汚れた衣類を着たら本末転倒なのだ。本当は帰る途中衣類を購入すればよかったのだが、レオの体調が悪かったので我慢してもらうしかなかった。
その為まだ体が小さなレオは白いワイシャツをワンピースのようにして着ている。その姿が何とも可愛くって思わず口元が緩むが、これぐらいの男の子は可愛いと言われることは嫌だろうと、ベルは綺麗になったわねとその一言で留めておいた。
そして二人を食卓へ招き食事を勧めた。
「さあ、お腹が空いたでしょう。ご飯にしましょうね。沢山食べさせてあげたいけれど今日はスープとパンだけの軽い食事にしましょうね。お腹がビックリしてしまうから今夜だけは我慢して頂戴ね」
食事に釘付けになりながらベルの言葉に二人は無言で頷く。
軽いものを用意したがそれでも満足に食べられていなかった二人にはごちそうに見えたらしい。
涎が垂れそうなほどにベルの食事に見入ってくれている二人にベルは嬉しくなる。それと共にウチに来たからには毎日たくさん食べさせようと決意を固めた。
「レオもルカも最後の食事からだいぶ時間がたってお腹が空いているでしょう? だからこそゆっくりと食べることを心掛けてね。レオはパンをスープに浸して食べると尚更良いわ」
ベルの言葉にコクンとまた頷く二人、その動きは兄弟だけあってそっくりだ。
「では、頂きましょうか。いただきます」
「「い、いただきます」」
ふうふうと熱いスープを冷ましながら口へと持っていくレオとルカ。
トマトベースでたっぷりと野菜を使ったスープに少しだけマカロニが入っている。
一口食べればパアアと効果音が鳴りそうな笑顔が二人に浮かび、ベルも笑顔になった。
「このパンもすっごく美味しい!」
レオは次に真っ白な柔らかいパンに手を伸ばし、言いつけ通りスープに浸すとぱくりと口に含んだ。
初めての味と触感に驚いたのか大きな声を出して喜びを表す。
薬のお陰で咳もだいぶ治まり、埃を落したことで体調も少しずつ改善し始めているようだ。子供らしい姿にベルは胸をなでおろした。
「これは私が焼いたパンなのよ。このお店のパン。気に入って貰えて嬉しいわ。これからはレオのお兄さん、ルカにもこのパンを作ってもらうの、ルカはパン職人さんになるのよ。レオは嫌じゃない?」
「そうなの? お兄ちゃんもこんな美味しいパンをつくれるようになるの? すごい!」
「ええそうよ。ね、ルカ。頑張ってくれると約束したものね。期待しているわよ」
「は、はい。頑張ります!」
ベルの期待とレオからの尊敬の目を受けて、ルカは頬を赤らめながらも気合を入れてくれる。
二人との和やかな食事はベルの心を癒してくれる。こんな風に和気あいあいと誰かと食事を共にする事はとても楽しい。
腹八分目にした食事を終えると、ルカとレオが片づけを手伝ってくれた。
疲れているのだからと一度は断ったのだが、やらせてくださいと頭を下げる二人に気を使わせないためにもベルはそれを受け入れ、お願いすることにした。
折角なのでキッチン用品の説明もする。
ベルの家の二階、三階の居住部分は一般的な庶民の家よりも格段に便利なものが多いので、二人には説明が必要だった。
「スライサーを使って明日はサンドイッチを作りましょうね。レオにも手伝ってもらうから宜しくね」
「うん! 僕頑張るよ」
調理器具を説明した後は二人を個人の部屋へと案内する。
場所は三階になる。主寝室は勿論ベルの部屋。その横は明日来るミアの為に用意した部屋であり、楽しみにしていたベルが可愛らしく模様替えしたので、ルカとレオには別の部屋をあてがった。
「レオとルカはこの部屋を使ってね。レオが大きくなるまではルカと一緒の部屋だけど、このお家にはもう一つお部屋があるから、大きくなったらそこをレオのお部屋にしましょうね。それともし夜中に咳が酷くなったら遠慮なく私を起こしてちょうだい。我慢は絶対にダメよ」
「うん、わかったー」
「はい、ありがとうございます」
パジャマでは無いので寝苦しいとは思うが、今日は従業員用の制服そのままで寝て貰う。
明後日にはミアも来るし、店を休みにし皆の歓迎会をしましょうとルカとレオに約束をした。
暫くはレオに食べさせるものには気を付けなければならないだろう。アレルギー体質の子は食品でもアレルギーが出る可能性があるし、体が弱っている時は思わぬものに反応する事も有る。
その事をルカに伝え、ベルは二人の部屋をあとにした。
部屋の中からは布団がふかふかだねーとレオのはしゃぐ声が聞こえ、また頬が緩む。
あの子(弟)ともこんな時間が持てたならば結果は違ったかしらとそんな考えが浮かぶ。
ベルを睨みつける弟の最後の姿を思い出し、小さくため息を吐く。
王城に移ってからはあの子とは姉弟の関係ではなくなってしまった。それがあの結果に結びついたと思うと、もっとやりようがあったのではないかと後悔が募る。
「さあ、明日も頑張らなくっちゃ」
レオとルカ、それと明後日くるミアに柔らかいパンで作った美味しいサンドイッチを食べさせてあげよう。きっと驚く。
そう気持ちを切り替え、自室へと戻るベルは、夜を迎えたことを久しぶりに寂しいとは思わなかった。