新人雇用とサンドイッチ②
「お話を盗み聞きするつもりはなかったのですが、大声でしたのでこちらまで聞こえてきましたの。勝手ながら声をかけさせていただきましたわ」
ベルの王妃のような貫禄に騒がしかったギルド内がシーンと静まり返る。
ベルが居たギルドの奥にある個室の商談部屋からは数人の職員が慌てた様子で駆けて来たので、この騒ぎはギルド長の耳にまで届いているのだろう。心配そうに職員達がベルを見ていた。
そちらにチラリと視線を向けると、ベルは大丈夫と笑顔を向けてみせる。
この場は私に任せて欲しい。
ベルの笑顔はそう言った意味だった。
「な、なにかようですか? 小さな店の女主人には関係ない話ですが」
受付の職員はベルに気付きばつの悪そうな顔をした後、ベルから視線を逸らしふんっと鼻息荒く横を向く。
前回のベルの店との一件があって、この職員は対応を注意されたと聞いている。新規登録に来た希望ある店主を貶したのだ当然ともいえる。
それもあってかベルに対し思う所があるようだ。自分には関わって欲しくないとその態度で言っているようだった。
「そうもいきませんの。私今店で働いて下さる方を募集しておりまして、そちらの方にお話しをお聞きしたいと思いましたのよ。ねぇ貴方、パン作りに興味はありまして」
頭を下げていた青年は一瞬何を言っているのか分からないといった顔をした後、ベルの話が雇用だと気付き、ベルの方へと向きを変えた。
正面から見た青年はとても痩せており、満足に食事をとっていない事が良く分かる。薬はとても高いので、病気の弟を医者に見せたり、薬剤師から薬を買ったりしていては満足に食事も出来なかったのだろう。
生きていくのに精一杯。
そんな青年の姿が過去の自分と重なってベルの心は苦しかった。
「あ、あの、俺、いえ、私はパンを作ったことはありませんが、手先は器用なので頑張って覚えます。出来ることは精一杯やらせていただきます。だからどうか、俺を、私を雇って頂けませんか」
「そう、では、雇用させていただきますわ。貴方いつから働けて?」
「あ、はい! すぐにでも大丈夫です! あ、ですが弟が……」
青年は困った顔で俯いてしまう。
飲食店に病人は置いておけない、そう思っているのが分かる。
ベルは先程の作った笑顔とは違い、多くの者に安心感を与えるような優しい笑顔を浮かべると、青年に一歩近づいた。
「弟さんも是非我が家にいらして頂戴。病気も私がみて手に負えないようならば、お医者様をお呼びしますわ。安心して」
「ほ、本当ですか?!」
「ええ。その代わり元気になったら弟さんにもしっかり働いてもらいますからね。それは大丈夫かしら?」
「は、はい! 勿論です! 弟も喜びます!」
「では契約致しましょうか、そちらの方、宜しくって」
ベルがチラリと男性職員へ視線を送れば、勝手な話が気に入らなかったのかベルを睨みつけていた。
それでもベルは変わらず堂々としている。
悪い事は何もしていないのだ、ただの職員に文句を言われる筋合いはない。
憎しみが籠ったような顔で男が口を開きかけた時、先程の女性職員が口を挟んできた。
「では雇用の契約は私が間に入ります。ベルさん、先程の部屋へ戻って頂いても宜しいでしょうか」
「ええ、勿論ですわ」
「では貴方もご一緒に。ベルさん雇用条件は先程と同じで宜しいですか?」
「ええ、同じでお願い致しますわ」
そんな話をしながら元いた個室へと三人で向かう。
背中には男の視線を感じたが、恨まれたとしてもベルは構わなかった。
途中ギルド長とすれ違い頭を下げられた。このままあの男性職員のところへ向かうようだ。
彼は二回目の厳重注意となるだろう。それに他でもやらかしているかもしれない。
クビになる可能性もあるだろうが、彼がどこでどうなろうともベルの胸は痛まなかった。
手続きを終えたベルは新しく雇った青年と宿屋に向かう事になった。青年の名はルカといい、まだ15歳と成人したばかりだった。
ルカの弟はレオといい10歳だという。
幼い頃から季節の変わり目には必ず咳を出し、ひどい時には熱も出るらしい。
昨年両親が亡くなったためルカが弟を引き取り、職場の小物屋で働きながらなんとか兄弟共に住まわしてもらっていたようだが、レオの咳が酷くなり小物屋から追い出されてしまったそうだ。商売の邪魔になるそんな言葉まで投げかけられたらしい。この世界の店としては当然の行いだったのかもしれないが、自分より年若い青年のボロボロな姿を見ると胸が痛んだ。
その後は安宿に移ったけれど、お金もないしずっと宿暮らしを続ける事は無理があった。
その上病気を理由に宿でもすぐに出て行けと言われたらしい。話を聞くだけで辛くなるのだ、二人はもっと辛かっただろう。
そして今日、商業ギルドへ住み込みで働けるところをとお願いしての今である。何というめぐりあわせかとベルは安堵した。
あの時間ちょっとでもずれればこの青年とは会えなかっただろう。自分の過去を思い出し、困っている人を助けられたことが嬉しかった。
そして話しを聞いてみれば今の宿屋はベルの店がある北区にあるようだった。
それは丁度いいと辻馬車に乗り、一緒に安宿へ向かうことにした。
青年は馬車代を出したベルに恐縮しているようだった。
「大丈夫よ。その代わり沢山頑張ってもらいますからね」
そんなベルの言葉に青年はまた頭を下げた。
ベルから見ればルカだってまだ子供のようなのに、小さな子をかかえて大変だっただろう。ベルは俯き肩を震わせている青年の背を、宿屋に着くまでずっと優しく摩ったのだった。
「ここが俺達の部屋です」
機嫌の悪そうな宿屋の店主に銀貨を渡し、弟のレオがいる部屋へと向かった。
そこは客室とは名ばかりの、掃除道具が置かれている物置部屋だった。
そこに毛布が一枚、弟のルカは毛布にくるまり口元を押さえ息を殺しているようだった。咳が出ないようにと我慢していたのだろう。兄が帰りホッとした表情を浮かべたルカをみて、ベルの胸はまた痛みを覚えた。
値段を抑えるためにこの部屋とも呼べない場所に宿泊していたのだろうが、なんと言っても空気が悪い。咳をしているレオにはどう見ても環境が良くはないし、普通の人でもここでは寝たくは無いだろう。却って病気になりそうだ。
とにかく直ぐに荷物をまとめ宿屋を出ることにした。
二人の荷物はたった一つのリュックにまとまり、どれだけ大変な生活を強いられていたかが分かった。
きっと小物屋で働いていた時は弟分の衣食住費用も引かれ、殆ど給料など無かったのだろう。
その中でもどうにか薬を買ってレオに飲ませていたに違いない。
今日ルカが商業ギルドに駆け込んだのはギリギリの判断だったのだ。大事そうにレオを抱えるルカを見ながら、ベルはそう感じた。
そして、自分の所に来たならば二人を絶対に幸せにしようと決意した。
「レオ、声に出さなくていいから私の質問に答えてね。頷くだけで良いわ」
待たせていた辻馬車に乗り込んで、ベルはルカに抱っこされているレオの問診をする事にした。
ルカからベルの店に雇われたと聞いたレオは、ベルの事を救世主か英雄のように思ったのか、その瞳には憧れのような尊敬するような眼差しが見えて何だか恥ずかしい。
ベルの言葉に素直に頷いてくれたレオの額にそっと手を置く。
熱は無いようだが、コンコンと続く咳のせいで頬は少し赤い。
病人を抱え宿屋を出る時、店の主は先程とはうって変わってご機嫌な様子だったので、どうやら銀貨が良く効いたらしい。為人がわかる。
レオには自分を嫌な顔を浮かべ睨む大人を見せたくなかったので、それで良かったと思う。彼がこれ以上傷つくところは見たくない。もう十分に傷ついたのだ、お金で解決出来るのならば何も言うつもりはなかった。
レオは10歳と聞いていたけれど、それよりもずっと幼く見えた。痩せた体を見ながら、ベルは過酷な運命を背負わせる神の事を恨みそうになっていた。
「レオ、食べ物を食べて苦しくなったことはある?」
レオはチラッとルカを見てからううんと首を横に振る。
これまで食べ物のアレルギーは出ていないらしいが、お金が無かったのだ、常に同じ様な物を食べていたと考えればまだ安心はできない。
ただ主食である小麦にアレルギーが出ていないことだけは分かる。ベルの店自体が体に合わなかったらアウトだったので、少しホッとしながらベルは質問を続けた。
二人の宿屋は北区にあった為、ベルの店まではすぐに到着した。
辻馬車を使わなくとも本来は歩いて行ける距離だったので当然だ。
ただレオには無理をさせたくなかったので馬車を使った。それが理由だった。
店を見て緊張からかそれとも思ったより大きなパン屋だったからか、強張っているルカとレオ兄弟の背を押し、ベルは笑顔で声を掛けた。
「パン屋【麦の家】にようこそ。さあ、今日からここが二人のお家ですよ。私達は家族、仲良く楽しくやって行きましょうね」
はいと答えてくれたルカとレオに、やっと安堵した笑みが浮かびベルも嬉しくなった。
言葉通りこの子達の家族になり、自分が親代わりになってずっとそばにいよう。
結婚や恋愛に前向きになれないベルは、そんな決意を固めていた。