新人雇用とサンドイッチ
「ではベルさん、初めの一ヶ月はお互いお試し期間という事で、その後の二か月が見習い期間、そしてその後本採用か決定する、という事で宜しいでしょうか?」
「はい、そちらでお願い致します」
「畏まりました」
今日ベルは、商業ギルドへ来ていた。
あの事件の後リックに言われて防犯もかねて人を雇うことを決めた。まずは昼間の時間帯に働けるパート女性を2人雇った。
そして先日商業ギルドに従業員募集を申し込んでいたのだが、一週間も経たないうちに連絡が来て 「良い人がいますよ」 と薦められた。
その人物は南区にある食堂の娘さんで、お姉さんが婿を取って結婚するため家を出たいと就職先を探していたようだ。
この世界、食堂は家族経営が多く、他店への住み込みともなると女性の料理人の希望は通りにくい面がある。
ベルの母国セルリアン王国よりも男尊女卑は無いとは言っても、雇う側からすれば長く勤めてくれそうで、力もある男性の方が好まれてしまうのは仕方がない。
大きなレストランで働くメイドならば就職も通りやすかった様だが、彼女は料理人として働きたいようで、その上実家からは女性がオーナーの店で働いて欲しいとの要望も有ったらしく職場選びは難航していたようだ。
年頃の子を持つ親ならば当然の心配だと思うが、そうなると就職先を見つけるのも一苦労。王都内の飲食店の募集に応募はしてみたが、中には面接もしてくれない店もあったようだ。
そこで白羽の矢がたったのがベルの店である。
その子はベルの店のパンを食べて感激したようで、募集があるならばと申し込んでくれたらしい。
年齢は16歳。ミアという名前らしい。庶民でありながらお金の計算もでき、困らない程度には文字も書けるらしく、ベルとしてもとても助かる。
その上実家の手伝いをしていたので料理の手際も問題無い。
いずれは【麦の家】を軽食も出せる前世の喫茶店のような店にしたいと思っていたベルには、渡りに船な話だった。
「ミアさんは出来るだけ早く家を出たいと仰っていたので、今日こちらから連絡をして、早ければ明後日にもベルさんの店へ向かわれると思いますが大丈夫でしょうか?」
「ええ、勿論ですわ。募集を掛けてから住み込みの方のための準備はしておりましたので、こちらはいつ来ていただいても問題ございません。ミアさんにはそうお伝えください」
「畏まりました。彼女も喜びますわ」
そこで職員の女性はふっと笑みを深めた。
ベルが何か? という意味で首を傾げると、ニコッと笑って話を始めた。
「それにしても、ベルさんの店の雇用条件はとても良い物ですね」
「そうでしょうか?」
「ええ、給料は勿論良いですが、決まった休みもあり、一人部屋で食事もつく。普通ではあり得ませんよこんな好条件。私も料理ができれば雇っていただきたいぐらいです」
「ありがとうございます」
「それにベルさんには先見の明がありますものね。これからのお店が益々楽しみですし、あのパンの味を学べるのですもの、ミアさんも喜ぶと思いますわ」
「そう言っていただけると嬉しいですわ」
先見の明とはパン屋の開店時間を他店とは変えたことと、ベルの店だけで食べられるパンの種類のことだろう。最初に話を聞いた職員にはどうせうまくいかないと笑われたが、どうやら彼女は違ったらしい。とても感心されてしまった。
この世界の料理人達は一人前になるまでは見習いとし、給料もとても安い。
だからこそ寮や、店主の家に住み込みとなるのだが、そこでも衣食住の費用などがてん引かれ、見習いが自分で使えるお金はほとんど無いに等しい。
そう考えるとベルの店の雇用条件は破格のものとなる。
前世の記憶がある為当然のようにベルは感じているが、他の店を知る職員からすればそうではないようだ。
皆が皆ベルさんのような店になると良いですね。と職員は笑ってくれたが、そこまで行くにはベルの店のように行列が出来るほど繁盛しなければならないだろう。
それとベルには【麦の家】以外からも収入がある。
だからこそビリジアン王国の王都の店をポンと買えるだけのお金をベルは準備できたということだ。
勿論、保証人の大叔母あっての店購入なので、自分だけの力とは言い切れない。
けれど毎月の家賃を支払わなくていいことは強みになる。店の収入は全て店のために使うことが出来るし、他からの収入はベル個人の資産となる。
良い条件で雇用をかければいい人材が入ってくれる。
なので遠慮なく女性の料理人でと条件を出した。住み込みなので当然ともいえる。
それと希望として多少の文字の読み書きや計算能力も追加した。
男性ならば該当者は多いだろうが、平民女性となると文字の読み書きができるものはかなり絞られてくる。
なので雇用条件を吊り上げたのだが少しやり過ぎだったようだ。
でもおかげで一発で良い子が入ってくれることになったのだ、ギルドで目立ってしまったかもしれないが結果的に良かったじゃないかと割り切ることにした。
ベルが担当の職員に礼を言って個室を出ると、ギルドの受付がいつになく騒がしいことに気が付いた。何か問題でもあったのかと騒ぎのほうへと近づいて会話を聞いてみれば、一人の青年が受付の職員に食い下がっている所だった。
「お願いします。お願いします。どんな仕事でも構いません。弟と一緒に住み込める店を紹介してください!」
「はー、何度も言いますけどね。子連れで住み込める店なんて殆どないんですよ。夫婦や兄弟そろって何か出来るって言うなら話しは別ですが、貴方の弟さんは病気持ちでしょう? 誰が雇うって言うんですか、そんな悪病神を」
「そこをどうにかお願いします。小物屋で職人として働いていたんで手先の器用さには自信があります。弟もずっと病気なわけではないので店回りの手伝いなら出来ます。給料も高くは望みません。どんな仕事でもいいんです。どうか探して貰えないでしょうか。もうギリギリなんです!」
「……そう言われましてもねー、探しようがないんですよ……」
「お願いします!」
青年は頭を深く下げ受付の職員に願いを乞うている。
ベルがその職員に視線を送れば、まったく探す気がないようで、雇用を探すために立ち上がってもおらず、ただため息を吐くだけで何もする気がないようだった。
面倒そうな表情を浮かべるその職員を見て、ベルが最初に商業ギルドへ来たときに受付を担当した、「世間知らず」とベルの事を鼻で笑った男性職員で有ることに気が付いた。
男性従業員が店にいれば護衛にもなるし、ちょっとした力仕事も頼むことができる。
それに弟さんがいるとなれば、女性だけの職場であってもなにかやらかすことも無いだろう。
何よりも目の前の今の状況があの日の夜の自分の姿に重なった。
頭を下げる青年はあの夜のベルであり、あの職員は元婚約者たちそのものだった。
気付けばベルは足を前に踏み出していた。
同情もあるかもしれない。実際ベルの店の規模で二人も新人を雇用するのは厳しいかもしれない。
けれど、どうしても見逃せなかった。
誰も彼もに無視をされ、助けてもらえない辛さを、ベルは十分に理解できたからだ。
「あのねー、無理だと言っているでしょう? あんまり騒ぐと警備を呼びますよ」
「ちょっとお待ちになって」
ベルは久しぶりに自分を優雅に見せる振る舞いをした。
ゆっくりと歩き、落ち着いた声を心掛ける。
そして鍛え抜かれた淑女の笑みを浮かべ、不親切なギルド職員のいる受付前へと進み出た。
その様子はまるで王妃のようであったと、その後商人ギルド内で噂されることとなるのだが、今のベルにはそんなことはどうでもいいことだった。




