フルーツサンドとその中身
「ベルは何が好きだろうか……」
第三騎士団団長の執務室。
机に肘をつき、手を組んでその上に額を乗せて悩んでいるこの男こそが、第三騎士団の団長マーベリック・シャトリューズだ。
ベルが市場に行くと聞き、心配のあまり一緒に行くと名乗りを上げたが、今その事で悩みに悩み中である。
見るからに育ちが良く、見た目も抜群に美しく、その上品があり、性格も朗らかで可愛らしいベルが市場という男性が多い場所へ行くというのだ。恋する男でなくても心配になるのは当然のことだった。
でも一体どう行動すればいいのか。
これまで女性を避け、女性と出かけたことなど皆無に等しいリックは頭を抱えていた。
「リックってばベル嬢と知り合ってから長いんだろうー? 彼女の好みも知らないのかよー。そこは基本中の基本なのにー」
呆れた声を出しため息をつくのは副団長のイーサン・ジグナルだ。
リックの友人であり幼馴染でもありそして仕事上では右腕でもあるイーサンは、リックがもっとも信頼する男だといえる。
常に女性にモテ、仕事の為とはいえ数々の浮名を流してきたイーサンとは違い、リックは女性の扱いに疎く苦手である。
勿論貴族男子としての模範的な振る舞いには慣れている。そこは侯爵家三男なのだ。変な女性に掴まってはならないと、その辺りは徹底的に教育されて来た。
だが実際好みの女性を誘うとなると話が違う。それも確実にベルに恋をしている事をリックは自覚し始めている。
あの日。エクル男爵家の使用人が問題を起こした日。
リックはベルを食事に誘い、きちんとしたお付き合いを申し出るはずだった。
何度もベルの店に通ううちに彼女の仕事に向ける真面目さと、客に対する気配りと、商品に向かう賢明さ。そして女性一人で頑張る奮闘ぶりを目の当たりにし、リックの凍っていた心は優しく溶かされていった。
(こんな人と一生を共に出来たら……)
漠然とそんな考えが浮かび彼女が平民でいたいのならば、自分も平民に身を落しても良いとさえ思った。もし彼女が貴族となる事を受け入れてくれるのならば、どこかに養子に入ってもらって自分の妻になってもらおうとも考えたりした。
思春期の少年かのように、毎日彼女の事を考える日々。
ベルの笑顔を見ただけで胸が締め付けられ、言葉が上手く出てこない。
こんなにも自分が一人の女性に夢中になる人間だっただなんて、自分でも信じられないし、驚き過ぎて笑えるほどだった。
けれど今日こそは! と気合を入れて向かったベルの店であの事件が起き、デートの誘いは失敗し、告白も不完全に終わってしまった。
(何をやっているんだ俺は……カッコ悪い)
中途半端な告白など、相手が一番困るものだろう。
断りたくても断れない。そんな経験はリックも沢山して来た。
どんな顔で会えばいいかと思いながらベルの店へと行けば、いつものように優しい笑顔で出迎えてくれた。取りあえず嫌われていない様でホッとする。
でも気持ちが伝わっていなかったかもと、ちょっとがっかりする思いもある。
いやいや下手に伝わるよりは良かったじゃないか、と気持ちを切り替える。
それとともに今度こそ自分の気持ちを伝えようという気持ちが強くなった。
出来れば雰囲気の良い場所で想いを伝え、ベルの記憶に良い思い出として残ってくれたらば。
今回の市場への視察はいわばリックにとってベルとの初デート。スマートに決めたい。
完璧にセッティングし、カッコ良くエスコートし、彼女に少しでも自分との未来を考えてもえたら。
恋に浮かれるリックはそんな妄想を思い描いていた。
第三騎士団は街を守る兵士や騎士たちの頂点。
つまりリックはこの王都の街には詳しいので、ベルを迷わずエスコートする自信がある。
だがこれまでベルとは毎日のように顔を合わせて来たというのに、好きな花の一つも知らない。
勿論好きな食べ物、好きな色、好きな男性のタイプなんて知る由もない。
そこで思わず漏れた言葉なのだが、親友は助け船を出すどころかリックの背中を押し崖から落とすような事を言う。
気になる女性の好みを知るのは基本中の基本。
それが出来なかったからお前に相談しているんだろう!
そんな突っ込みを瞳に乗せ友人を睨んでみれば、友人は呆れた様子でまた大きなため息を溢した。
「取りあえず、ベル嬢が望むのは果物屋の視察だろうー? 先ずは一番大きな果物店に案内してあげたらどうだー? 絶対喜ぶだろう?」
「ハッ、確かに」
「それとー市場は人が多いから慣れてるやつでも危険だ。リックがちゃんとベル嬢をエスコートして上げろよ。貴族流のそっと触れるようなエスコートじゃダメだぞ。はぐれないようにぎゅっと手を握るんだ。それも出来るだけ自分の傍に引き寄せてだぞー」
「ぎゅっと……手を握る? 自分の傍に引き寄せる……?」
想像だけで頬が赤くなる自分にリックは驚く。
女性と手を繋ぐことなどこれまで何度もあった。けれどその相手がベルとなると、想像だけで恥ずかしくなり、居た堪れなくなってしまう。
そんなリックの乙女な様子に、目の前の幼馴染は益々呆れている様だ。ほっといてくれ。
「リック……お前そんなんで当日大丈夫なのかよー。恥ずかしいからってベル嬢から目を離すなよー。ちゃんと守り抜けよー、間違っても他の男に誘える隙を作るなよー。ベル嬢は目立つんだからさー」
「ああ勿論だ! 分かっている」
そう気合を入れて当日ベルを迎えに行ったはずなのに、店から出て来たベルを見てその決意が揺らぐ。
その可愛らしい姿が眩しくって、ずっと見て居たいのに目を逸らしたくなる。
普段着ている店の制服とは違うワンピース姿のベルは、リックの想像を軽く超えるほど可愛らしかった。
先日騎士団へと呼び寄せた時は美しいと感じたが、今日の姿は只々可愛いしかない。
もしや市場へ行くときはいつもこんな可愛らしい服装で行っているのかと心配になれば「リック様とのお出掛けだから」と益々可愛いことを言われ悶絶する。
まだ会って五分と経たないのにドキドキが止まらない。
なんとかポーカーフェイスを保ちエスコートしてみれば、その手の細さにドキリとしてしまう。
それとともにこんなにか弱そうに見える女性なのに、ベルはしっかりと自分の足で立ち店の経営までしている事に感心する。
ベルは独り身でありながら店を経営し、それを軌道に乗せ流行らせている。
我儘な客にも毅然と対応し、弱みを見せたりはしない。
表面の美しさだけではなく、心の奥底から美しさを出している。
二人きりの馬車の中、少しの会話で尚更ベルに惹かれている自分。
驚きはするが嫌な気持ちはない。
これが恋なのだろうか……
初めてともいえる不思議な感覚にリックはくすぐったい気持ちになった。
そして市場に着くと、最初だけはリックのエスコートも上手くいっていた。
けれど屋台につくと弾むベルと店主の会話にリックはついていけない。
果物の名をよく知るベルに、付け焼き刃の知識を詰め込んだリックなど太刀打ちできるはずもなかった。
お昼は少し市場から離れて人気のあるレストランにでも向かえとイーサンに指導されていたが、何故かパンを購入しベンチに座り分ける形となった。
「私の視察について来ていただいているので」
と当然のようにパンの支払いを済ませようとするベルに、自分こそ無理をいってついて来たのだからと、カッコ悪い断りをいれて支払わせてもらう。情けない。
「ありがとうございます。リック様」
銀貨一枚にもならない支払いなのに、ベルは申し訳なさそうに礼を言う。
本当は市場でだってベルが望むもの全てを買ってあげたかった。
店のカウンターにいる男の視線が痛い。
そんな美人を連れているならもっとスマートに支払えよ。とそんな心の声が聞こえた気がした。
分かってる。
分かっているんだが、ベルの前だと上手くいかない。
それに彼女が遠慮していることに対し、強く出ることは出来ない。まだそんな関係ではないからだ。
公園で並んで座り一緒に食べるパンは、ベルのパンを知った後だと味気ない物だった。
けれどベルと分け合って食べているだけで幸せな時間だと感じる。
固いパンをモグモグモグと一生懸命に噛むベルの姿がリスのようで可愛い。
ついつい見とれてしまい頬が緩んでいるのが分かる。
(きっと今の自分は締まりのない顔をしているだろう……)
情けないけれど、恥ずかしいけれど、緩む口元を締め直すことはリックには出来なかった。
帰りの馬車の中、固いパンに余りなれていなかったベルは痛そうに頬を押さえるそぶりを見せていた。
困り顔で頬を摩るベルを見て、自分の不甲斐なさをまた感じる。
あんな柔らかいパンを作るベルが堅パンを食べれるはずがない。
それなのに冒険者用のブロックパンまで食べさせてしまった、自分が情けなくって仕方がない。どれだけ気が利かない男なのだろうか。
(どうして彼女の前だとこんなにもカッコ悪い姿ばかりを見せてしまうんだろう)
良いところを見せたいと奮闘しても空回りばかり。
守りたいと思っているのにいつも出遅れてしまう。
このままじゃベルに思いを伝える事などできないと、打開しようとベルにまた視線を送れば、なんだか顔色が悪いような気がした。また失敗だ。
こんな時イーサンだったらならば、気の利いた言葉を掛けるのだろう。
だけど自分に出来たことと言えば、ベルの好きそうなパンの話題を振るだけだった。
(彼女に辛い過去があると分かっていたのに……俺は何もできなかった)
不甲斐ないまま時間は過ぎ、気が付けばベルの店の前に着く。
本当は彼女の家の中まで送りたいが、貴族であるという制限がそんな気持ちに待ったをかける。
仕方なく荷物を降ろし、ベルと向き合う。
このまま帰る事は簡単だ。
だけど普段の賑わいとは違う静かな麦の家を見ると後ろ髪を引かれる。
ベルにもっと近づき、ベルの全てを知ることが許されたならば。
イーサンにヘタレと言われるリックだが、その通りだと感じた。だけど「とても楽しかったです」とのベルの一言が、リックに勇気をくれた。
自分に挽回するぞと喝を入れ直す。
心の中にある断られる可能性を押し込めて、ベルをきちんとしたデートに誘うことに決めた。
「リックおはよーん、昨日の視察はどうだった? ちゃんとベル嬢をエスコート出来たのかー?」
次の日、いつも通りにベルの店に寄り職場へと着くと、リックの執務室には待ち構えたイーサンが居座っていた。
いつものイーサンならば揶揄ってきそうなところだが、その顔を見れば本気で心配していたことが分かる。それ程この親友は自分が女性の扱いに疎いと知っているのだろう。有難いことだがどれだけヘタレだと思われているのかとちょっと苦笑いが零れた。
リックは失敗部分は秘密にし、次の約束をしたことを得意げにイーサンに伝えた。
「そうか、それは良かったな! また上手くやれよ!」
イーサンの言葉に素直に頷く。まったく良いところがなかった視察を思い出せば、本当にそう思うし、良くベルは次の機会を設けてくれたとも思う。心が広い。
「頑張れよリック」
イーサンの激励に力強く頷く。
今度こそカッコ良く決めて交際を申し込もう。
彼女の側に自分はいたい。
そう強く決意したリックなのだった。
フルーツサンドは甘酸っぱい話にしたかったのですが、中々難しいものですね。