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視察とフルーツサンド③

「ベル、顎は大丈夫?」


 帰りの馬車の中、堅パンのお陰ですっかり顎が疲れてしまったベルにリックが声を掛ける。

 頬をずっと摩るベルを心配そうに見ている姿は、まるで雨に濡れた子犬のようでどこか悲し気だ。ベルの顎を守れなかったことを悔いているのかもしれない。職業病なのだろうが何だか可愛く見えてしまう。


 街一番のパン屋で買ったパンはどれも硬く、ベルのか弱い顎はクタクタになってしまった。


 貴族生活だった時はあのパン屋で売られているものよりはもっと柔らかいパンを食べていたし、今は自分で焼いた柔らかいパンを食べているので当然だろう。

 堅パンを食べ慣れていないベルにはとてもきつく、全部食べてみようと思った過去の自分を止めたいぐらいだ。リックに半分以下に分けてもらったけれど、それでもとても疲れてしまった。


 大丈夫ですと答えながらも顎の疲れから苦笑いになってしまう。

 ふとリックの顎に目がいき、騎士の人は顎も鍛えているのだろうかと見つめてしまう。

 ベルのそんな考えが分かったからか「遠征では騎士も堅パンを食べるし、凄く遠い遠征では冒険者が食べるブロックパンも食べる」と聞いて、自分とは根本的に違ったと頷くしかない。


 故郷でまだベルが嫌われていない頃、よく騎士団に差し入れのビスコッティを焼いていたなと思いだす。幼馴染の男の子達は皆元婚約者とともに騎士団で剣の稽古をしていたので、終わる頃を見計らって差し入れをしていた。


『イザベラ、凄く美味しいよ』


 最後にそう声を掛けられたのはいつだっただろうか。

 最初の頃だけだったかもしれない。


 ふと暗い記憶が甦りフルフルと首を振る。今のベルには美味しいと言って食べてくれる人が沢山いる。お客さんたちもそうだし、勿論目の前にいるリックもそうだ。

 

(大丈夫、私は大丈夫)


 思わずぎゅっと自分を抱きしめ体を守るようにした、寒くもないのに心に隙間風が吹いた気がしたからだ。


「ベルごめん、連れまわして疲れてしまったようだね。顔色が……」

 

 心配そうに自分を見つめるリックの声でハッとする。

 過去を引きずらないと決めたのに、時折衝動的に思い出してしまう。


 過去の出来事は今でもベルの心の中に残る刺のようで。チクチクとした鋭い痛みを感じさせる。

 それもしょうがないことかもしれない。

 幼馴染に裏切られた。その記憶はまだ新しい。


 ベルはその痛みに蓋をし、小さく首を振ると「大丈夫です」と無理矢理作り上げた笑顔でリックに答えた。



「そういえば……フルーツを使ってパンを作るって言っていたけど、どんなパンを作るんだい?」


 ベルの様子がおかしいと思ったからか、リックは体調の話から話題を変えてくれた。


 そんなちょっとしたリックの気遣いに、黒く重い感情が広がっていたベルの心がふっと晴れていく。


(リック様は優しい春の日差しのような人ね……)


 リックの優しさに振れその人柄に触れ、ベルも自然と笑うことが出来た。大好きなパンの話とあってベルの心は浮上する。


(もう大丈夫)


 ベルはまだ心配げに見つめるリックに笑顔を返すとと、新商品を楽しみにしているリックに果物を使ったパンの話をした。


「リック様はビスク商会をご存じですか?」

「ああ、勿論。王都で今一番注目されている商会の一つだよね。確か会長はダニエル・オーカー。男爵位を今年叙爵したんじゃ無かったかな?」

「はい、そうなのですよ」


 さすが街を守る第三騎士団団長だ。商会の事にも詳しい。

 リックがダニエル・オーカーのことを知っていたことが嬉しくベルは笑顔で頷く。そして「叙爵される程素晴らしい方なんですよ」とまるで自分の事のように嬉しそうな顔をする。

 チリリとリックの胸が痛んだが、ベルはそんな事には気付かない。ダニエル・オーカーは結婚しているはずだよな? とリックが心配している事にも勿論気が付かなかった。

 

「ダニエルとは、いえ、ダニエルさんとは以前からお付き合いがありまして、私の店に牛乳や小麦を卸してくださっているのもダニエルさんのお店なのです」

「……そうなのか……」


 ダニエル・オーカーとは商売としての付き合いなのかとまたホッとするとともに、普段はダニエル呼びをしているのか? と些細な事が気になる。

 それに以前から付き合いがあるという事にもリックは引っ掛かる。何より平民出身の男爵ならばベルとの結婚は十分にあり得る範囲だ。そこが一番のネックだろう。いやいやダニエル・オーカーは既婚者だからとリックはどうにか笑顔を保ち続けた。


 だが……


 ベルの店はまだ開店して半年。

 なのにそれよりも前からダニエル・オーカーとは知り合いだったようだ。親しそうな様子をベルが語る程リックの嫉妬心を煽った。大丈夫だと頭でわかっていてもダニエル・オーカーがベルの恋の相手ではないと確信したくなる。


 恋の駆け引きでも、策略でもないのだろうが、ベルはリックにしっかりと恋心を自覚させた。


「そのビスク商会に特別に頼んでいた品物が出来上がりまして、それはガラスケースで作られた保冷箱……うーん……冷蔵魔道具の小さなものと言えば分かるでしょうか? それが今度店に届くことになりまして、それに合わせて私はヨーグルトを作っていたので、その二つを利用する商品を作りたいと思ってフルーツサンドを考えたのです」


 ヨーグルト? 小さな冷蔵魔道具?


 リックが想像できない物をベルは簡単に思い描く。


(ベルには深い教養と知識がある……)


 作るパンからしても、ベルの知見がずば抜けているのは分かる事だった。


「俺では想像できないけれどその魔道具はフルーツサンドのための物なのかな?」

「はい。ああ、ですがガラスのケースの中にはサンドイッチとかヨーグルトそのものも一緒に置く予定です」

「そうか、それはどんなものかとても楽しみだな」

「はい。楽しみにしていてくださいね」


 ベルはそう言って笑って見せる。

 口元に手を置き「フフフ」と笑う姿は上品で上位貴族の令嬢そのものだ。

 それに今日着ているワンピースの影響もあるだろうが、彼女が平民なのだと言っても誰も信じないだろうとリックは思った。


(彼女は一体何者なのだろうか……)


 ベルに惹かれれば惹かれる程、愛おしいと思えば思う程、彼女の過去が、生い立ちが、気になって仕方がない。

 

 けれどそれを口には出さない。

 彼女から話してくれるまでは、絶対に聞かない。


 ダニエル・オーカーの事は気になるが、自分も聞かれたくはない過去があるリックには、ベルの先程の様子から辛い過去を抱えている事は十分に理解できていた。




「リック様、送って下さりありがとうございました。今日はとても楽しかったです」


 ベルの買った荷物を降ろし、店の前で別れの挨拶をする。

 休業日のベルの店は普段の賑わう様子は見えず、北区の端にあるだけにひっそりとしているため、一人この家に残すことを想うとリックの胸が痛む。


 けれど婚約者でもない自分が女性の一人暮らしの家に入るわけにはいかない。

 ただでさえ目立つ容姿をしている自分だ。ベルの評判を下げる行為はしたくはなかった。


 でも……


「ベル」

「はい?」


 思わずベルの手を取ってしまう。

 思った以上にか細い彼女の両手がリックの憂いを刺激する。


 ずっとそばにいて彼女を守れたら。


 彼女の隣に居る事を許される相手となれたら。


 彼女の笑顔を俺が守れたら。


 リックの (恋だろうか?) とまだ確信を持てなかった感情は、今日のベルとの出来事で恋に変わり。今ではそんな想いを持つまでに成長していた。


「……お互いの休みが合ったら、また一緒に出掛けたいが、誘っても迷惑じゃないだろうか?」


 これはデートの誘いだろう。

 鈍いベルでも分かり戸惑ってしまう。


 以前食事に誘いたかったと言われてから、リックのことを意識はしていた。

 けれど実際に誘われてみると、嬉しさとともに怖さが込み上げてくる。


(もしまた嫌われてしまったら……)


 仲がいいと思っていた相手に嫌われていくことはとても辛い。

 また同じことが起こる可能性はゼロでは無い。それが凄く怖くて仕方がない。


 けれど

 あの国から出て、自分は幸せになると決めていた。


 だったら

 前に進んでも良いのではないだろうか。


「……はい。是非お願いします。私もまたリック様とお出掛けしたいです」


 リックの顔がほころぶ。

 それ程嬉しかったのかと、ベルまで喜びが膨らんでいく。


「良かった……断られるかもってちょっと思っていたから」


 そう言って口元を隠しながらテレる顔には破壊力があった。

 攻略対象者など相手にならない程の攻撃力。

 告白されたわけでもないのにベルの心がドキンと揺れる。


 自分はリックを大切な人として見ている。

 気になる相手だから一挙手一投足に心が揺れる。


 そんな自分の気持ちにベルはやっと向き合った。


「あ、ベル、これは視察じゃないからね。その、イーサン的に言うならこれはデートだと俺は思っているから」

「はい……私も、私もそう思っています……」

「そうか! なら良かった。凄く嬉しいよ」

「はい……私も嬉しいです……」


 子供のようにはしゃぐリックが可愛くて、ベルはクスクスと笑ってしまう。

 お互い顔が赤いがそこは敢えて気付かない振りをする。


 大人の男性も嬉しいとこんなにもはしゃぐのだなとリックの新しい一面を知った。今日もまたリックの新しい姿が見れて嬉しかった。


 見つめられている事に気づきふっとリックへと視線を送れば、その碧い瞳と視線が合う。

 そこにはおどけていたリックはもうおらず、とてもまじめな顔をしてベルを見つめていた。


 流石だそんな姿も絵になるわねと見つめ返すと、リックにまた手を取られ、その手にそっと唇を当てられた。


「また……明日。明日もパンを買いに、ベルに会いに来るから」

「はい、お待ちしておりますね」

「ああ、必ず来るよ。約束だ」


 馬車の方へと向かうリックは、名残惜しそうにベルの手を離す。

 そして馬車に乗るとすぐに窓を開けベルに手を振った。


(こんな風に誰かと約束をするだなんていつぶりだろう……)


 リックの馬車を見送りながら、明日がとても楽しみになったベルだった。

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