商業ギルドとチョコフレーキー③
「さて、では、邪魔者が居なくなったところで次の議題といこうか」
商業ギルド長を含めたギルド役員の顔色は悪い。
今目の前で商業ギルドの部長職に就くグラッチ・ガロズが連行されていったのだ、当然ともいえる。
麦の家の店長だったベルが、どこかの貴族家と養子縁組をした話は商業ギルドでも情報として掴んでいた。
上手くやったなとあざ笑うものもいれば、あのベルならばと納得するものもいた。
だがまさかその縁組相手がウィスタリア公爵家であり、ベル自身が元々ウィスタリア公爵家と縁のある女性であったとは誰も知らなかった。
そしてそのベルの婚約者がシャトリューズ侯爵家の子息であることも、そしてあのグラッチがそんな相手に嫌がらせをしていた事も知らなかった。
まして、特級冒険者であるアイザックとその公爵令嬢となったベルに対し、悪い噂や嫌がらせまでしている事にも気付きもしなかった。
いや、気付かなかったとは商人として言ってはいけない言葉。
情報に疎い商人ほど、役に立たないものは居ないのだから。
これまでグラッチの評判が商人の間では良かったことも気付かなかった理由の一つ。
それと貴族家出身のグラッチに対し、商業ギルド全体が甘かったという理由もある。
その上グラッチには広く大きな伝手があった。
その力を商業ギルドが必要としていたのは事実だ。
だがまさかあそこまで愚かだとは……
グラッチの行為を見逃していた商業ギルド役員の顔色は悪い。
言い訳にしかならない理由を思い浮かべても、ウィスタリア公爵に通用することは無い。
下手をしたら商業ギルド解体。
良くてギルド長含めた役員の交代。
悪魔公爵。
その名が伊達でないことを彼らは良く知っているのだから。
「ウォルター、アレを出してくれ」
ウィスタリア公爵が自身の執事に指示を出し、頷いた執事が商業ギルドの皆の前、一つ一つパンを置いていく。
見た事の無いそのパンは、食パンを成人男性の拳ぐらいにしたような大きさで、これまた見た事がない透明な袋に入り、匂いも何も感じない状態になっていた。
普通パンといえば、麻袋に入れ購入するか、自分のナフキンやハンカチで包んだり、麦の家だと紙袋に入れたりするものだが、これは違う。
自分たちのクビの危機ではありながらも、その珍しい物に商業ギルドの役員の目は奪われた。
「このパンはチョコフレーキーと言う名のパンだ。さあ、皆、触ってみてくれたまえ」
ウィスタリア公爵からの許可が降り、皆興味津々でその袋に入ったパン、チョコフレーキーを触る。
特に変わったところはない普通のパン。
勿論麦の家で作られているだろうそのパンは、その辺のパン屋のものと比べれば柔らかいと言える。
「では、封を開けてみてくれ」
お互いに顔を見合わせ、恐る恐る封を開ける。
爆発するとか、毒が入っているとか、そういった物を警戒したわけではないが、公爵の手前どんなに興味があっても我先にと封を開ける気にはなれなかった。
「甘い……香りがしますね……こちらは麦の家の、パンでしょうか」
勇気ある役員の一人がウィスタリア公爵に問いかける。
ウィスタリア公爵は頷くと自身のパンをちぎり一口口に入れた。
高位貴族であるウィスタリア公爵がやるとそんな行動も美しい。
つい見惚れてしまう。
「さあ、皆も食べてみてくれ」
ウィスタリア公爵に勧められれば、パンを食べないという選択肢はギルドメンバーにはない。
その上美味しいと評判の麦の家のパンだ。
食べたいという気持ちは強い。
皆進んでパンを口にする。
「どうだろうか、感想を聞かせて貰えるかな?」
また皆で視線を交わし、本当に感想を言って良いのか? と目と目で会話をする。
そんな中、ギルド長が勇気ある第一歩を踏む。
ここまでの失態を考えれば 「とても美味しいです」 と答える一択なのだが、ギルド長は 「麦の家のパンにしては普通です」 と正直に答えたため、他のギルド職員の顔は真っ青になった。
だが実際、それは皆も同じ意見だった。
麦の家のパンにしては普通。
もっとおいしいパンを麦の家では作っている。
なのでこの普通のパンがどうしてこの場に出されたのか、ウィスタリア公爵がただのパンをここに出すわけがない。一体どんな理由が? それが正直皆気になるところだった。
「フフフ……普通か、そうこのチョコフレーキーは普通のパンなんだよ、普通のね」
楽しそうに微笑むウィスタリア公爵の前、商業ギルドの面々には疑問符が浮かぶ。
それを楽しむようにウィスタリア公爵は答えた。
「実はね、このパン、チョコフレーキーは作ってからもう二週間は経っているんだよ」
「「「えっ?!」」」
この柔らかいパンが二週間も経っている?
この普通に美味しいパンが二週間前に作られている?
二週間たっても普通に美味しい?
商業ギルドの面々はウィスタリア公爵の言葉に衝撃を受ける。
これまで長期保存が利くパンと言えば、冒険者が食べる硬パンのみ。
それも日がたてば経つほど硬くなり、買った時よりも食べる時は硬くなるのが普通だった。
だからと言って柔らかめの硬パンでは一週間の保存が限度。
なのでダンジョンに籠るときは激硬パンが必須。
ただし激硬パンは食べ慣れていない者にはとても食べられる代物ではない。
下手をしたら顎を壊し歯が欠ける。
それがこんなにも柔らかいパンに変わるかもしれないのだ。
商業ギルドの皆が驚くのも当然だった。
「これは冒険者ギルド限定で販売しようと思っていーー」
「えっ、そんな!」
「これ程のものを限定だなんて」
「世界が変わるものですよ」
目の前にいる人物がウィスタリア公爵だということも忘れ、話を遮る形で商業ギルドの面々が騒ぎ出す。
それもそうだ。これ程の商品、商業ギルドから売り出せばどれ程の利益が見込めるか分からない。
世界中の冒険者だけでなく、輸送業のものや、一般の旅人、それに勿論商人だってこの商品を欲しがるに決まっている。それなのに冒険者ギルドのみの販売。
世間への広まりも遅くなるだろうし、購入も冒険者限定になるかもしれない。
それに何よりも、商業ギルドが関わりを持っていない事で無許可な転売などが後を絶たなくなるような気がした。
「……話は最後まで聞いてもらってもいいかな?」
ウィスタリア公爵にニッコリと微笑まれ、話を遮ってしまったことに気づいた商業ギルドの面々の顔色が一瞬で悪くなる。
マナー違反どころか不敬と言われ処罰されても可笑しくない行為。
公爵の後ろに立つ執事の視線も笑顔も怖い。
申し訳ございませんとどうにか声を絞り出し慌てて謝罪をすると、初等科の生徒のようにウィスタリア公爵の次の言葉を姿勢を正して待った。
「そう、私はね、冒険者ギルドのみで販売をし、身内のみに利益を送ろうと思ったのだよ。君たちを真似てね。アイザックは私の弟だからね、弟が不自由しなければそれで良い。そう思ったのだがね」
アイザック・オランジュが公爵の弟だと言われ驚くとともに、これだけの商品に対し利益を上げなくても良いと言い切る公爵の凄さにも驚く。
財力も実力も兼ね備えた公爵。
その名はやはり伊達ではない。
そう思える発言だった。
「だがね、この商品、チョコフレーキーの開発に携わったビスク商会のダニエルや、アイザック、それに何より妹のイザベラがね。問題を起こしたのはセルリアン王国の商業ギルドの者であり、ビリジアン王国の一部の者だと言い切ってね。出来れば君たちと一緒にこの商品をより良きものに作り上げていきたい。そして多くの者たちの食事を改善していきたい。自分たちの利益よりも皆を幸せにしたいと、そんな崇高な言葉を言うのでね。この商品をビリジアン王国の商業ギルドに任せたいと、君たちに任せたいと私は思い直したんだよ」
おお! と会議室に感嘆の声が上がる。
一時はどうなるかと思ったが、ウィスタリア公爵の妹想いには感謝したいぐらいだ。
ウィスタリア公爵が家族を溺愛しているという噂は本当だったらしい。
だからこそこれ程怒っているのだと言えるが、救われたともいえる。
「だがね……」
続きがあるその言葉でまた室内が静まり返る。
もしや利益や分配方法に対し何か言われるのだろうかと肩に力が入る。
ウィスタリア公爵はそんな緊張気味な面々に対し、また笑顔を見せると 「セルリアン王国にのみ販売することを禁止する」 と当然の権利を言うにとどめた。
グラッチの件があったのだ当然の行為だろう。
それにセルリアン王国がクランプスの偶像団を送り込んできた。
先に喧嘩を売って来たのはセルリアン王国だ。
ウィスタリア公爵が怒るのも当然と言えた。
「セルリアン王国とは陛下が断交を宣言されたからね。どの道この国のどの商品も今後はあの国では販売は許されない。私も手を抜かず取り締まるつもりだからね」
ウィスタリア公爵の爆弾発言を聞き商業ギルドの面々の顔色がまた悪くなる。
ウィスタリア公爵を怒らせればどうなるか、目の前で今日二度も見たのだ当然と言える。
喧嘩を仕掛けた相手の大きさに気付かなかったセルリアン王国やグラッチの愚行。
そしてセルリアン王国の商業ギルドの愚かさと庶民の不憫さ。
ただ彼らがカモにしていただろう相手の大きさにも気づかなかった浅はかさには、同情さえも湧かなかった。
「では、話を詰めようか」
ウィスタリア公爵を怒らせてはいけない。その噂は事実だ。
お前達に次は無い。
仏の顔も一度きりだ。
そんな言葉を発しているような、圧のある笑顔で優しく微笑む公爵を見て、ウィスタリア公爵を敵に回してはいけない、二度と同じ過ちを犯してはいけないと、心に誓った商業ギルドの面々だった。
今日はひな祭り、桃の節句ですねー。