さざなみ 4
風邪をひくと大変なので急いで戻らなければと、シリウスはライファットを連れて宿屋へ向かう。
その前に、遵行隊に逮捕されて連行途中だった犯人たちと出くわし、ライファットを待たせて『シオン』を盗んだ二人に大股で近づくシリウス。そして無言で一発ずつ殴り飛ばし、あとのことを隊員に任せて去っていった。
濡れたライファットの服は、事件を知った宿屋の従業員が洗濯してくれることになり、温かいシャワーを浴びて、すっきりした様子でベッドに座る従者。
カレスティア大陸の宿屋では、どこの都市でも必ず指定の室内着が用意されている。服が乾くまではそれを着てもらうことにし、残りの時間はゆっくり休もうとシリウスは決めた。
「『シオン』、今日は本当に申し訳なかった。二度とこんなことがないようにするから、どうか許してくれ」
両手で刀を持ち、こつんと額を当てて謝罪するシリウス。数回揺れた羽飾りが、気にするな、と返しているようだった。
「そんでライファット」
「……はい」
また怒られるのだろうかと、ライファットは少しだけ身構える。
向かいのベッドに座るシリウスは『シオン』を置くと、一つ間を挟んで、膝上に両手を乗せ、
「お前にも迷惑をかけた。本当に悪かった」
「……!」
まさか、主人が従者に頭を下げるとは。
予期せぬ行動に、ライファットは慌てて立ちあがった。
「い、いいんです! 俺だって、無我夢中でやったことなんですから……!」
「……」
「そ、それよりも、あの……俺のほうこそ……。ご、ご心配をおかけして、すみませんでした……」
ライファットとしては、まさか自分も心配の対象に入っていたとは思わなかったので、そこにも驚いていた。
『シオン』を救出したことによる感謝や、〝お前が従者でよかった〟などという労いの言葉をもらえるだろうと期待していたライファットにとって、あの説教は本当に想定外だったのだ。
「俺もついカッとなって、色々言っちまったけど……。とにかく、お前が無事で安心した。もう寒くはないか?」
「ぜ、全然寒くないです。むしろこの一帯は暑いほうなので、水浴びをしたと思えば全く平気です。気持ちいいくらいですから」
「……そうか……」
ライファットはそう言うが、シリウスの表情は晴れない。
シリウスの中で、海やそれに近しいものは全て〝寒くて冷たい、そして怖い〟というイメージで固定されていた。ゆえにライファットも瘦せ我慢しているのではないかと、つい疑ってしまっているのだが、当の本人は首を横に振って強く否定する。
「本当にありがとうございます。そんなふうに気遣っていただけて、俺は果報者です」
「おおげさな……。お前は俺の従者なんだから、元気でいてくれなきゃ困るんだよ」
「おおげさなどではないんですよ、我が主」
座り直したライファットの声音は、やけに真剣さを帯びていた。
「今までは触れてきませんでしたが、そもそも奴隷を旅のお供に選んでいる時点で、あなたはだいぶ変わっています。他の大陸から来たとはいえ、奴隷に対する認識が、正直ガバガバですよ」
「ガバガバって……。まあ、それについては、俺も多少は自覚があるよ。お前を買った奴隷屋の店主にも言われたしな」
「改めて説明しますが、奴隷というのはただ人の形をしただけのモノであって、器用なことができる便利な道具なんです。市民にとって、それは都合のいい存在なんです。意思を持っているからこそ逆らう可能性も一応はありますが、意思を持っているからこそ、恐怖や洗脳で簡単に支配できる」
「……」
聞いていて気分の悪くなる内容だが、ライファットの言っていることが、この大陸での奴隷に対する認識であり、常識なのだろう。
「奴隷自身も、少なからずそういう認識を持っています。だから、その……。あなたの俺に対する態度はありえないといいますか、とにかくいちいち驚いてしまうのです……。すみません……」
「なるほどな……。けど俺は、もうお前を奴隷とは思ってないし、雑に扱う気も、手放すつもりもないぞ。お前が何かしたいことがあって、俺のもとを離れたいっていうなら、話は別だけどな」
「そんなこと、思うはずがありません。許していただけるのであれば、一生ついていくつもりでいますよ」
「おっ、嬉しいね」
屈託のない笑顔で応じたシリウスは、ライファットからの忠義を素直に喜んでいる。
そのままシリウスは身体を伸ばしたあと、頭のうしろで両手を組む。
「けどなあ……。俺は別に、奴隷全員にそういう態度をとるわけじゃないし、ぶっちゃけお前だけかもしんねえぞ。特別扱いするのは」
「それはそれで、まあ……。こちらとしては、十分嬉しいですけど……」
複雑な表情を作ったライファットは、ここでふと、視線をスッと落とす。
「……あの、我が主……」
「ん?」
「あなたの奴隷に対する見方というのは、なんとなくわかりました。それで、あの……」
「ああ、どうした?」
「……」
何か聞きたいことがあるようだが、肝心の中身を話す前に、口をつぐんでしまった。
ライファットは、室内着の裾をぎゅっと握りしめる。話す勇気を持とうとしているが、あと一歩前に出てこれない素振りだった。
急かさずに待っているシリウスに、やがて元奴隷の青年は、ため息混じりに言う。
「……あんまり奴隷に優しくしていると、周りから変な人だと思われてしまいますから、気をつけたほうがいいですよ」
「うん? だから俺は、そんなつもりはないって。お前を買った奴隷屋の店主にも言ったしな。俺は聖人君子じゃないって」
「……。そうですか」
なんとなく、ライファットが本当に言いたかったことはこれではないと。シリウスは、そう感じ取った。
しかし無理には追及せず、また時が過ぎた頃に語ってくれるだろうと、今は流すことにした。
そのタイミングで、ノックの音が鳴った。夕食ができたので、時間内に食堂まで来るようにという、従業員からの知らせだった。
「おっ、待ってました。んじゃ行くか。今回もおかわりできるといいな」
「……はい」
会話を終えて、気持ちを切り替え、共に向かう。
ライファットは、自分のすぐとなりを歩く主人を盗み見ると、先ほど言えなかったことを、じわりと嚙み砕いて飲み込む。
……この大陸には人間と奴隷の他に、もう一つ、別のモノが存在する。
それは、人狼。
過去に人間と争い、負けて、現在まで害悪種族と蔑まれる、人と同じ姿をした、人ならざるモノ。
〝人狼については、どう思っていますか〟
奴隷はよくても、人狼は不愉快。
そんな可能性だって、十分ありうる。
だからこそ、聞くのが怖かった。
せっかく築き始めたこの若い青年との関係が、壊れるのが嫌だから。
ライファットは怯えていた。
ようやく手に入れられそうな、自分にとって最高の場所を、失ってしまうことに。
そうならないためにも、今はまだ、隠して生きる道を選ぶ。
ライファットは、言えなかった。
奴隷とは別の、自身の正体を。
それから二日後。
特に風邪をひくこともなく、宿屋で洗ってもらった服も無事に乾き、シェフの厚意で朝食をたらふく食べることができたライファットと出発する。
「行くぞ。準備いいか?」
「はい」
朝日が街全体を照らし始めた頃に出たので、人の姿もまばらだ。
最後に運河を少しだけ目に焼きつけたシリウスは、あばよ、とどこか苦々しさを含んで【13番都市】に別れを告げた。
「今はまだ暑いですが、徐々に北上していってるので、そのうち肌寒くなるでしょうね」
「そっか。じゃあ新しい服を買わないとな」
「次は大陸の中心部に寄ってみますか? 海がない都市に」
「そうだな。とにかくいろんなものを見ようぜ」
「はい」
「なあ、ライファット」
「なんでしょう?」
「お前は良い従者だよ」
シリウスは足を止めて、ライファットに顔を向ける。
「お前を選んで、本当によかった。だからこそ、あんま身を削るような行動はするなよ? お前に何かあったら、他でもない俺が困るんだからな?」
「わ、我が主……」
じんと沁みる温かなものを、再び感じる。
礼を言うべきはこちらであると、自分を選んでくれたことを深く感謝するライファットに、シリウスは頬を掻く。
「お前にしようって決めたのはさ、お前が白い髪に赤い目を持ってるからなんだよな。ほら、黒い髪に青い目の俺と反対って感じするだろ? そう考えると俺たちって、傍から見ると良いコンビなのかもな」
「恐れ多いですが……。そうだといいなと思います。俺も、これからもっと、あなたのことを知っていければ……」
そう話した従者の視界の端に、とあるものが映った。
「あっ!」
「ん?」
「我が主、あれを見てください!」
ライファットの目を輝かせたものの正体。それは早朝から営業している、コーヒーと軽食を販売する小さな露店だった。
「買いましょう」
「……マジ? だって俺たち、ついさっき朝飯食ったばっか……」
「コーヒーなら入るのではないのですか?」
「……お前の場合、飲み物よりも食べ物だろ?」
「まあ、そうですね」
「……」
堂々と肯定する従者に、主人は腕を組んで黙る。
そして眉を八の字に曲げると、まるで子どものわがままを許す保護者のように笑った。
「しかたねえな、わかったよ。好きなモン買ってこい」
「ありがとうございます……! 我が主は何が食べたいですか?」
「俺はコーヒーだけでいいから。調子乗って腹壊すんじゃねえぞ」
「大丈夫です」
陽気に頷いて、露店まで一直線に走ったライファット。
その背中があまりにも幸福に満ちていたので、これはこの先も強く諌められないかもなと、シリウスは今後の旅を予想した。
「……ほんと、あいつを選んでよかったよな。なあ『シオン』?」
シリウスに意見を求められた白い刀は、無言で同意を示す。
最初は心の壁の厚さを感じていたが、一歩踏み込んでみると存外明るく、よくしゃべる青年だった。
剣の強さも申し分なく、様々な分野においての知識も豊富。ただの奴隷では、決して得られない教養だ。
「クナイ以外の暗器だって、色々忍ばせてるみたいだし。やっぱりあいつ、元々は……。……ま、にしては表情が豊かだけどな。俺はそっちのほうが好きだけど」
彼の〝奴隷になる前の人生〟をこっそり想像するシリウスに、メニューを注文しようとしていたライファットが、コーヒーのサイズや、ホットとアイスどちらがいいかを大きな声で尋ねてきた。
「あったかいやつ! サイズは一番小さいのでいいぞー!」
「わかりましたー!」
手を振って応じ、店員にオーダーする。
今ここから、ライファットとの関係が改めて始まったことを実感したシリウス。今日も晴れている空を眺めて、まだまだ続く二人旅を楽しく描いた。
……そうして戻ってきたライファットが、〝すごくおいしそうだったから〟という理由で勝手にシリウスの分の食べ物も注文したことを知り、笑顔のシリウスがライファットの頭を容赦なく引っ叩いたのも、のちの良い思い出である。




