さざなみ 2
「あ、あの……我が主……」
「うん?」
なるべく料金が安い宿屋の確保に成功したあと、シリウスとライファットは通りすがりに見つけたレストランにて昼食を摂っていた。
運ばれた料理を全て平らげて、のんびりと水を飲んでいたシリウスに、同じく既に完食済みのライファットが、何やら指をもぞもぞと絡ませながら声をかける。
「あの、その……。す、すみません、えっと……。すごく、申し上げにくいのですが……」
「……どうした? 腹でも痛くなったか?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
ライファットは、やたらと目を泳がせている。初めて見る様子ぶりだった。
具合が悪そうではなかったので、シリウスはコップを置いて頬杖をつく。
「なんだ従者? 主人に言ってみろって」
「う……、はい」
余裕を持って尋ねるシリウスに、ようやく意を決したライファットは、両手を膝に乗せて、顔を伏せながら告白した。
「……お……」
「お?」
「お、おかわりしても、いいでしょうか……!? いえ、おかわりと言いますか、もう一品、別の料理を注文したいのです……!」
「……」
あまりにも健気な懇願に、シリウスは思わず無言になった。
少しの間、ぽかんと口を開ける。そのあとに、その口から優しい笑い声がこぼれた。
「なんだ、足りなかったのか? わかったわかった、好きなモン頼めよ」
「よ、よろしいですか?」
「あったりまえだろ。そんなんでケチケチするかよ」
「……! あ、ありがとうございます……!」
ライファットも、シリウスであればきっと許してくれるかもしれないという期待は多少抱いていた。ゆえに勇気を持ってお願いをしたのだが、実際にそれが叶い、ライファットはつい子どものような笑顔を浮かべた。
「もしかしてお前、わりと大食いだったりするのか?」
「は、はい。実は……食べるのは大好きなんです」
「そっか……。じゃあ今まではずっと、我慢してたってことになるのか。気づかなくて悪かったな」
「い、いえ! それはあの、従者としてあまりにもおこがましいので……!」
「別に、そんなことねえよ」
手を強く振って否定するライファットに、シリウスは椅子の背もたれに寄りかかりながら、しみじみと言う。
「俺はさ。確かに自分のために新しい居場所を探してはいるけど、その過程の旅では、お前にもちゃんと楽しんでほしいって思ってるんだ」
「我が主……」
「だってお前とはこれからも一緒にいて、やがては一緒に暮らすんだ。だったら共有する思い出は、お互いに楽しいほうがいいだろ?」
「……」
改めてライファットは、このシリウスという青年の中にある道徳観にそっと触れた。
旅の供が欲しいという理由で奴隷を購入し、まともな衣服や武器を与え、そして名前を贈った。
他者が知れば、馬鹿馬鹿しいと嘲笑っても不思議ではない。少なくともカレスティア大陸における〝奴隷〟とは、単に人の形をしただけの、生きた道具だった。
しかしシリウスは、その〝道具〟を供として選び、同じものを食べて、同じ部屋で寝る。……〝人間〟として、扱っている。
こんな人もいるんだな、とライファットはうっとりと感じた。いくら違う大陸から来たとはいえ、奴隷を蔑視し、嫌悪感をぶつけるのは、万国共通だと認識していたからだ。
それとも、自分だから……。〝ライファット〟だからこそ優しくしてくれているのだろうか、とも思った。もし奴隷全員に優しいのであれば、【22番都市】にて牢に入った、他の奴隷たちの心からの叫びに応えたはずである。
「んで、何が食べたいんだ? デザートか? それともがっつり肉でもいくか?」
メニュー表を広げながら話すシリウスを前に、ライファットは胸の中に生まれた優越感を静かに収める。そして、今こうして外の世界で生きられる喜びを、ぐっと噛みしめた。
「肉です」
「マジか」
冗談のつもりで言った後者を選んだライファットに、シリウスは今後の食費について若干の不安を覚えた。
陽が落ちるまで街を見て回り、宿屋に戻った二人。夕食は宿屋のほうで提供されたものを食べたのだが、物足りなさそうにしているライファットを察した優しいシェフが、サービスでおかわりを出してくれた。
「お前、俺が思ってた以上によく食うな。ちなみに好きな食べ物はあるのか?」
「基本的になんでも食べますが……、温かい料理が好きです。特にビーフシチューがいいです」
「ビーフシチューか……。確かに旨いよな」
「はい」
部屋に戻り、ベッドに座りながら雑談をする。
ライファットいわく、温かい料理は、人の手が込んでいる感じがするから好きなのだという。
奴隷生活をしていたときはおそらく、固いパンやぬるいスープといった、あまり好んで食べるものではない料理ばかり出されていたのだろう。そう考えると、毎日腹いっぱいおいしいものを食べさせてやりたくなると、財布事情も顧みずに思ってしまう。
「今は旅をしている身だから、あんまり贅沢はできないかもしんないけど……。もし将来収入が安定して、良い暮らしができるようになったら、お前の好きなモンをたくさん食わせてやるからな。ビーフシチューだって、おかわりし放題だ」
「……! はいっ、楽しみにしています」
「でもそのためには、俺はもちろんだけど、お前にも色々がんばってもらうぞ?」
「当然ですっ」
無邪気にファイティングポーズをする従者に、こいつってこんな奴だったんだな、と知らなかった一面を見れて内心ほっこりする主人。
そんなシリウスは今、刀の手入れをしていた。油を染み込ませた布で、普段の働きを労いながら刀身を拭いていく様子を見て、ライファットがこんなことを言う。
「ずっと思っていたんですけど、その白い刀、綺麗ですよね」
「おっ、そうか? よかったな『シオン』、綺麗だってよ」
自分のことのように喜んだシリウスは、最後に汚れなどがないかをチェックする。
白銀の刀身は遠目でも十分美しいが、近くで見ると、その刃は 杢目肌という樹木の年輪のような模様が浮かんでいる。
そして、雪のごとく真っ白な柄の頭には、薄い紫色の羽飾りが柔らかく揺れていた。
「『シオン』という名の刀なのですね」
「『シオン』は俺がつけた名前だよ」
「あっ、そうだったのですか」
「母親の教えでな。大事なものには名前をつけろって。そうすればより愛着が湧いて、より大切にできるからってさ」
「なるほど」
〝ものを大切にする心〟を重んじていた母親は、たとえば長く使用していたものを処分することになったときも、最後には〝今までありがとう〟という感謝の言葉を必ず添えていた。
その教えはシリウス以外にも、姉や妹にもしっかり受け継がれている。
「一番上の姉は、お気に入りのピンクのバッグに名前をつけててな。片想いしてる人とお出かけするときなんかは、そのバッグを持って、〝行くわよ!『ポピー』ちゃん!〟なんて気合い入れてたなぁ」
「へえ、いいですね」
「妹は、プレゼントでもらった赤い靴に名前をつけてたっけ。懐かしい」
家族との思い出が、自然と頬を緩ませる。
そのとき、シリウスの青い瞳に霧がかかった。
その霧の正体が〝既に家族はどこにもいない事実〟だと察したライファットは、とっさに話題を変えた。
「そういえば我が主、さっき小耳に挟んだのですが」
「……ん?」
「最近この都市では、窃盗が多発してるようです。特に観光客が狙われているらしく、俺たちも気をつけないといけませんね」
「窃盗? 平和な街だと思ってたのに、迷惑なことしてくんなぁ」
「だからこそ、付け込まれているのかもしれません。犯人は二人組で、常に変装して身を隠しているそうなので、なかなか尻尾が掴めないとか」
「なるほど、上手いことやってんだな。犯罪者の器用さとか頭の良さってもったいねえなって、時々思うよ」
「もっと真っ当なことに使えばいい、という意味ですね」
「ああ」
『シオン』を鞘に戻したシリウスは、シャワー浴びてくるわ、と言って立ち上がる。
先ほどの霧は、消えていた。
「明日は、今日見れなかったところを見に行こうぜ。お前が大食いだってわかったし、もう少し買い食いとか楽しむか」
「はいっ。……あ、でも、そんなに気を遣わなくてもいいんですよ……? あなたは、あなたの自由にしていただければ……」
「自由にやってるぞ? その俺が言ってんだから、お前こそ気ぃ遣うなよ」
そう朗らかに笑ったシリウスは、浴室へ向かった。
一人になったライファットは、シャワーの音を確認したあと、ベッドの脇に置かれた『シオン』に視線を移して、静かに近づく。
「……俺も、お前と同じような存在になれるだろうか」
『シオン』は、シリウスと家族を繋ぐ絆だ。そんな『シオン』と同等、もしくはそれ以上の存在になるというのは身の程知らずかもしれないが、それでもライファットは今の話を聞いて、この刀に親近感のようなものを抱いた。
シリウスから、名を賜った。その共通点が、人と物との境目を、良い意味で鈍らせる。
「名前を与えられたもの同士、よろしくな。『シオン』」
片膝をついて挨拶するライファットに、どこか貫禄さを感じさせる『シオン』は、無言で応じた。
次の日。宿屋で朝食を終えたシリウスとライファットは、早速観光の続きに励んだ。
昨日歩いた道は服屋や雑貨屋などが多かったが、今いる場所は食べ物を売っている店が多く、ライファットの食欲が嫌でも刺激される。
小さめのサンドイッチ、卵と蜂蜜を使ったふわふわのスイーツ、種類豊富な果物のジュースなど……。あっちこっちと興味を惹かれるものばかりで、ライファットの両目が爛々と輝くのは、もはや必然であった。
「すみません、あの店も寄ってみていいでしょうか?」
「ん? ああ。俺はここで待ってるから、行ってこいよ」
「わかりました」
買い食いを楽しむとは言ったものの、ライファットの旺盛ぶりに一つ一つ付き合っていては、こちらの腹が破裂してしまう。
バナナジュースを飲み終えて待機していたシリウスは、昼食は抜きにしてもいいかもしれない、と遠い目をしながら、旅手帳に本日の感想を記入していく。
「お待たせしました。香辛料を使ったパン料理のようですが、辛いのは平気ですか?」
「え? 俺の分も買ったの?」
「はい。まさか俺だけ買うわけにはいかないので……」
当たり前だという顔で返すライファットに、さすがのシリウスも戸惑った。
「……お前、それ二個食っていいぞ」
「え、いや、せっかくなのでどうぞ」
「いや、俺はもう、しばらくはいいわ」
「では、これで最後にしましょう。次は俺だけ買いますから」
「しかも結構デカいじゃねえか。悪いけど、食いきれる自信がない」
「うーん……。なら、せめて一口。ね? 我が主?」
「……」
おいしいものを共有したい気持ちゆえなのかはわからないが、何故か強引に押しつけてくるライファット。
結局折れたシリウスは一口だけいただいて、残りは全てライファットが食べた。
「おいしかったですね」
「……ああ……」
ぺろりと唇を舐めた従者はまだまだ余裕な様子で、今度は甘いものがいいですね、と該当の店を探す。そして見つけるや否や、行ってきますとだけ言い残して、はじかれたように駆けていった。
「あいつの胃袋なんなんだよ……。地獄みてえに深いんじゃねえの……?」
もはや呆れるしかないシリウスは重いため息を放って、近くにあった大きめのオブジェに背中を預けて、ずるずるとしゃがみこんだ。
「わー、きれい」
すると、小さな男の子と女の子がぱたぱたと寄ってきた。仲良く手を繋いでいたその子どもたちは、シリウスの『シオン』が気になるようだ。
「それ、剣? かっこいいね」
「剣じゃなくて刀だよ。まあ、どっちでもいいか」
剣と刀の違いについての説明は省くことにしたシリウスは、子どもたちが見えやすいように『シオン』を腰からはずす。
「真っ白なの、はじめて見た!」
「そうか? 言われてみれば、珍しいのかもしれないな」
「この羽根もきれいー」
「ありがとな」
女の子は短い指で、紫の羽飾りをつんつんと触る。
どこで売ってるの? と男の子が尋ねてきたので、シリウスは正直に答えた。
「刀も羽飾りも、それぞれ別の人からもらったんだよ。俺にとっては、どっちも大切な……」
大切なものを託してくれた人物たちの顔が、脳裏に浮かぶ。
……と、そのとき。
「あっ」
「ん?」
男の子が何かに気づいて顔をあげたのと同時に、シリウスの背後から人間の手が伸びて、『シオン』を無理やり奪って走り去っていった。
全身真っ黒な服に身を包んだその者は、住民や観光客らをかき分けて、どんどん遠くへ離れる。
あまりにも突然のことで、シリウスは瞬きも忘れて固まってしまった。
しかし、徐々に小さくなる黒い背中と『シオン』。そして〝ひったくりだ!〟〝例の奴らだ!〟と騒ぎ始める周囲の声が届いて、視界と思考が震えていく。
ぽっと腹に湧いた熱い感情が、胸や喉を通って頭部へと這い上がる。その熱がはっきりとした〝怒り〟に変わった瞬間、全身の血が激しく音をたてて叫んだ。
「……あの野郎おおお!! よくも……よくも『シオン』を!!」
爆発するように立ち上がったシリウスの顔は、まさに鬼の形相である。
びくっと怯む子どもたちなど目もくれず、『シオン』を奪った犯人を捕らえるべく、シリウスは走った。
「我が主……?」
そんな主人の異変に気づいたライファット。
商品を買うために並んでいた列から抜けて、慌ててシリウスを追いかけた。




