奴隷屋と薬屋 4
翌日。約束通り奴隷屋へとやってきたダルマンを迎えたシリウスは、店を一時的に閉店にして、とある場所へ向かう。
「あの、どこに行くんですか?」
「お前のダイエットを手伝ってくれる人のところだ。な、ライファット」
「はい」
昨夜シリウスからあらかじめ説明を聞いたライファットが頷く。不安に思いつつも、諸々の罪悪感が黙ってついていくよう促すので、とにかくダルマンは二人の背中を追った。
そしてたどり着いたのは、薬屋とは違う平屋の建物。シンプルな造りの扉を開けると、その向こうに待っていたのは、
「よっ、イグリ」
「ん?」
萬屋のイグリだった。『身内』の登場に一瞬驚いた顔を見せるイグリだが、すぐにいつもの厳格な表情に戻り、定位置である店主の椅子から離れる。
「こんにちは。二人してどうしたんだ? まだ昼前だぞ?」
「こんにちは。実はあんたにお願い……つーか、依頼があるんだ」
「依頼?」
「ああ。この男についてな」
シリウスは亀のミヤモトちゃんにも挨拶をしたあと、ダルマンを指さして、これまでの経緯を話した。最初は普通に聞いていたイグリだが、ダルマンがトウコのストーカーの犯人であることと、シリウスに襲いかかろうとした部分に入ると、徐々に眉間に皺を寄せていく。
「……ということなんだ。だからさ、イグリの力を貸してほしいんだよ」
「……なるほど」
つまりシリウスは、たくましい肉体を持つイグリに、ダルマンの体型を絞ってほしいと考えていたのだ。ダルマンにお金のことを尋ねていたのも、依頼として料金を支払えるか確かめるためだった。
「ボランティアじゃないから、ちゃんと依頼料は出すぜ。こいつがな」
「そ、そういうことだったんですね……」
事情を理解したダルマンが、改めてイグリという初対面の男を見上げる。しかし威圧感のある風体と、そこからおりてくる視線がやけに冷たく感じ、背筋をなぞるような緊張に襲われ思わず目をそらした。
「依頼は受けてやってもいいぞ」
「ほんとか?」
「ああ。……まあボクとしては、その前に一発殴ってやりたい気分だが」
「ひっ、ひいっ!」
結果的に誰も怪我など負わなかったとはいえ、『身内』に害を及ぼした者に『身内』として制裁を与えなければと、使命感に似た感情が滲み出ており、そのことを察したライファットが言う。
「気持ちはわかるがやめとけ。お前の殴打は冗談抜きで人の記憶を飛ばしかねないからな」
「そんなわけがないだろう」
「いや、頭部が陥没するほどのげんこつを繰り出す奴だからなぁ。イグリには逆らわないほうが身のためだぞ?」
「シリウスも、いらんことを言うな」
からかう口調ではあるが、かつてそのげんこつを喰らった経験があるシリウスとライファットからすれば、冗談のようで案外本気だったりする。
「ともかく、これは正式な依頼だ。ならばボクは、全力で取り組むだけだが……。お前は、それでいいのか?」
依頼主の口から承諾の一言をもらうことで、初めて動ける。
萬屋としてきちんと確認をするイグリに、ダルマンはどこか怖気づいた様子だ。
「ぼ、ぼ、ぼくは……」
〝はい〟と頷く勇気を持てず、拳を震わせる男に、シリウスがそっと声をかける。
「最後に決めるのはお前だから、断っても全然いいんだけどよ。このまま自分の見た目を、ずっと気にし続ける人生も嫌じゃないか? だって、せっかく生きてるんだから。変わる機会だって前向きに受け止めてほしいと、俺は思うよ」
「それに痩せることができたら、きっと堂々とトウコさんにも会えるだろう。あの人を驚かせてやれ」
ライファットにも背中を押されて、ダルマンは一度、自分の気持ちと向き合う。これまでのにがい過去を振り返り、両親の顔を思い出す。
そして最後に、深く息を吐いた。
「……決めました。よろしくお願いします」
重い瞼に押しつぶされた瞳の中に、凜とした光が宿る。
それを見届けたシリウスが、かっこいいぞ、とエールを送った。
+ + +
雪の街である【8番都市】では、外の空気を吸いながらトレーニングをするのは難しい。
そんな者たちのために、個人で経営するとある施設があった。
そこは二階建てのそれなりに大きな建物で、主に身体を鍛える男たちが利用するところだ。もちろん女性も気軽に通うことができ、更衣室もしっかりと男女に分かれている。
施設の使い方はシンプルで、受付にて利用者の名前を記入し、先にお金を支払ってしまえば、あとはもう自由だった。中にある様々な器具はもちろん、簡易シャワーや、別料金だが飲み物を売る小さなコーナーも設けられてある。
「じゃあ、あとはがんばれよ」
「イグリ、徹底的にやれ。そいつを甘やかすんじゃないぞ」
「ああ、わかってる」
施設まで付き添ったシリウスとライファットはそう言って手を振り、奴隷屋を再開するべく帰っていった。
イグリと二人きりになり、ダルマンは先程から気まずそうにおろおろと首を動かしている。
「あ、あの……まずは何から……」
受付を済ませて、施設の中まで進む。本来であれば皆働いている時間帯なので、人の数はまばらであった。
「……先に伝えておくが、ボクはダイエットの方法を知っているわけではない」
「は、はい」
「ただ身体作りは心得ている。筋肉をつけるトレーニングをすれば、おのずと贅肉も落ちていくだろう」
「はいっ、了解です」
「よし……なら早速やるぞ」
そうして一歩踏み出したイグリだが、ふと足を止めて振り返る。そのイグリの顔を見たダルマンが、ぎょっと目を剥いた。
「最後に言っておこう。……ボクは手ぬるい真似はしない、覚悟するんだな」
背後で、地獄の炎が燃えている。
そんな威圧さが幻覚となって映ったダルマンは、始まる前から滝のような汗を流し、愛すべき両親を心の中で叫んだ。
こうして始まったトレーニングは、まさに〝問答無用〟といえるものだった。
初日は施設の閉店間際までおこない、以降はダルマンの仕事に合わせて時間を作り、休日は朝から晩までという逃げ道のないスケジュールだった。
無論イグリにも、萬屋としての仕事は他にも舞い込んでくる。だが、それを理由にトレーニングを中止にすることは、一度もなかった。
今回、ダルマンの目的はあくまで〝ダイエット〟のはずだが、イグリがおこなっていたのは明らかに〝修行〟だった。つまりここまでする必要はなかったのだが、ダルマンの中に存在する甘えた精神も叩き直すという意味では、このやり方で正解だったかもしれない。
時折、シリウスとライファットも様子を見にきていた。初めはただ見学しているだけだったが、イグリの容赦ない指導のもと、汗水を垂らしながら一所懸命に努力するダルマンの姿に感化されたのか、そのうちシリウスも参加するようになる。
「そういや俺もトウコさんに〝薄い身体〟って言われたんだった……。俺もマッチョになって見返してやる……!」
「いや、あんたは別にそのままでもいいですよ……。マッチョも似合わないし……」
ダルマンの横に並んで、共に腕立て伏せに励むシリウス。
最初に出会った頃より幾分かは痩せているダルマンに、多少感嘆の念を抱いているライファット。するとシリウスが、
「おいライファット、ちょっくら勝負しねえか?」
「えっ?」
「三人で腕立て伏せをやって、誰が勝つか決めようぜ」
シリウスの言葉に、ぼくなんか勝てないですよ、とダルマンが慌てて辞退しようとする。だが、うるせえ、やれ。と強制参加に持ち込んだ。
「どうだライファット? それとも、案外自信なかったりするか?」
お前も細いもんなぁ、と安い挑発をするシリウスを、無言で見下ろすライファット。
そうして、にやりと怪しく口元を歪ませと、
「俺に挑むなんて、あんたも軽率なことしますね。……いいでしょう、受けて立ちます」
マフラーとロングコートを脱ぎ捨てたライファットがシリウスの隣まで移動し、イグリが審判を担い、男三人による熱い戦いが開かれた。
「よーい……開始!」
……経過を飛ばして結果だけを言うと、ライファットの圧勝だった。
すました顔で立ち上がった勝者は、特に乱れていない呼吸を、一応整える素振りを見せる。
「さすがだな。まあボクも、お前が勝つだろうと思っていたが」
「俺はシリウスさんの従者だからな。生半可な鍛え方をするわけにはいかない」
「そのシリウスはお前に負けて、床とお友達状態になっているけどな」
イグリの眼下では、従者に完敗した主人がうつぶせのまま、悔しそうに荒い呼吸を繰り返している。一足先に音をあげたダルマンも同様だった。
「ちくしょう……。ライファットてめえ……覚えてろよ……」
「休憩したら、またやりますか? どんな勝負でも俺が勝ちますけど」
鼻で笑うような言い方をされて、シリウスが憎らしげに歯ぎしりをする。
そんなシリウスの肩に、ダルマンの手がぽんと置かれた。
「ぼ、ぼくも、リベンジします……。シリウスさん、がんばりましょう……」
「……お前……」
身体を起こした二人の瞳は、同じ意志に満ちている。
流した汗は油となって、リベンジの炎を高らかに燃やした。
「っしゃあ! 一緒にこの生意気な従者をぶっ飛ばすぞ!」
「はいっ!」
「なんだかよくわからない同盟が結ばれたな。どうする、ライファット?」
「負ける気がしない」
二人から四人になったトレーニングの日々は、更に続いた。
主にシリウスとダルマンが切磋琢磨し、ライファットが余裕で勝ち、イグリが指導する。
最初はただつらいだけだったトレーニングも、しだいに楽しさが寄り添ってくる。
ダルマンがそのことを自覚する頃には、トウコに満腹ボディと言われた外見は既に過ぎ去っていた。
「お前たち、そろそろ上がりにするぞ。……最後のメニューが終わったら、今日はボクがジュースを奢ってやる」
「うおおおおおっ!」
ささやかなご褒美を、全力で喜び合う三人。
いつの間にか友情のような親しさを育んでおり、皆でベンチで仲良くジュースを飲む時間は、大人になってからは全く味わえていない心地よさだったと、ダルマンは思った。
そして、ついに。
「と、トウコさん! あなたのことが、ずっと好きでしたっ!」
赤く美しいバラの花束と共に、勇気を持って薬屋を訪れた男。
彼は、驚くほど見違えていた。ただ腹回りが痩せただけではなく、腕は力強く引き締まっており、目は鋭く、顔のたるみもなくなった。この日のためにと用意した服と、しっかり整えられた髪型。
彼があのダルマンだと言えば、全員が嘘だと驚くであろう。その全員に、トウコも含まれていた。
店の奥では、事前に今日のことを知っていたシリウスとライファットが、こっそり様子を窺っている。あいにく来られなかったイグリの分まで、男の努力の行く末を見守るために。
「……本当にがんばったのね、あなた」
そう呟くトウコの声には、称賛や敬意が込められている。
花束を手に、頭を下げ続けているダルマンは、愛しい者からの言葉がじんと沁み渡る感覚を覚えた。
「満腹ボディをなんとかしなさいとは言ったけど、本当になんとかできる、してやろうと向き合える人はそういないのよ。……あなたは自分のコンプレックスを受け止めて、そして打ち勝ったわ。おめでとう。あなたは勇気を持った、立派な人よ」
「と、と、トウコさん……!」
涙があふれた。そんなダルマンに、にっこりと微笑むトウコは、まるで女神のようだった。
「告白も、どうもありがとう。とっても嬉しいわ。……ねえ、ちょっと耳を貸してくれる?」
「え?」
期待を胸に顔を上げると、トウコが手招きをする。美人からの誘いを拒むことなどできず、ダルマンは引き寄せられる。
ふっくらとした形の良い唇が近づき、身体が固まる。鼻孔をくすぐる甘い香りと、色気をまとう栗色の長い髪が、ダルマンの心臓を教会の鐘のように強く鳴らす。
「……、……」
トウコが、何かを伝える。
ダルマンの頬が紅潮する。
だが、トウコの声で紡がれる言葉が、しだいに頬の熱さを引かせていく。
そして、
「ええ~~~~っ!?」
店を揺らすほどの素っ頓狂な叫びはバラの花を盛大に散らし、うしろから倒れるダルマンを儚げに飾った。
「……そういやあいつに、トウコさんが男だって伝えるの忘れてたな」
ぼそりと呟いたシリウスに、あ、とライファットも声を漏らす。
「ごめんなさいね?」
茶目っ気たっぷりにウィンクをするトウコは、誰もが見惚れる美しい笑顔であった。
+ + +
それからしばらく経ったある日。薬屋にダルマンがやってきた。
「実は引っ越しをすることになりまして……。その挨拶に来ました」
そう笑うダルマンの横には、かわいらしい女性が立っている。
トウコへの告白後、なんとダルマンに恋人ができたのだ。
同じ職場だという彼女は、ダルマンが痩せる前からずっと彼のことを見ていたらしい。容姿に自信がなくうつむいてばかりだったが、本当は誰よりも優しくて気遣いができる彼を、ずっと応援していたという。しかし彼女のそんな想いに気づけなかった、見ようともしなかったダルマンは、彼女も他の者と同じ、自分を馬鹿にしていると思い込んでいた。
けれど痩せたことにより、積極的に周囲に話しかけていこうと新しい努力を始めたのがきっかけで、彼女の心を知り、実を結んだ。
「トウコさんたちには、感謝してもしきれません……。本当に、ありがとうございます」
「もう、アタシは何もしてないわよ? がんばったのはシーちゃんたちと、あなた自身。ね?」
「……はいっ!」
嬉しそうに頷くダルマンの表情は、とても眩しい。
それは、新たな人生を手に入れて、心底幸せだというのを物語っていた。
「お引越しの場所は? もう決まってるの?」
「はい、雪のない暖かな都市にしようって。お互いの両親も納得してくれました」
「そう……。今までの嫌な記憶を塗り潰せるくらい、これからどんどん、幸せになりなさい。彼女ちゃんも、彼のことをよろしくね? リバウンドさせないように気をつけるのよ?」
トウコの言葉に、任せてくださいと明るく応じた彼女は、ダルマンの腕に抱きつく。彼女もまた、幸せに満ちていた。
「それではトウコさん、またいつか。……お元気で!」
「ふふっ、またね。……お互い、思う存分に生きましょう」
「……ていうことがあったのよ、シーちゃん?」
別の日の薬屋。現在店内にはトウコと、家賃を払いに来たシリウスしかいない。
「知ってる、俺のところにも来たから。もちろんイグリのとこにも行ったって」
「そう」
優しく髪をなびかせたトウコは、今回の件が素敵な結果に終わってよかったと、大事なく収束したことに安堵する。
「シーちゃんの名前はつい出しちゃったけど、アタシのかわいいシーちゃんが怪我でもしたら大変だもの。相手の毛という毛をむしり取ってやらないと気が済まないわっ!」
「今回はその相手が良い奴だったからよかったけどな。恋人もできて、先に眩しい人生を掴みやがった」
「もしシーちゃんにも恋人ができたら、ちゃんとアタシに報告するのよ? お姑として、シーちゃんにふさわしい子かどうかを見極めないといけないんだから」
「うわあ、すっげえ嫁イビリしそう……」
「失礼ね、意味のないイビリ方はしないわよ? ただアタシは、シーちゃんを最後まで見届ける義務があるんだから」
「そうだったのか? 全然知らなかった」
「そうよ。もちろんライちゃんも、イーちゃんも同じ。みーんな、アタシのかわいい子よ?」
「成長しきった息子抱えすぎだろ……」
眉を八の字にして笑ったシリウスは、楽しい雑談もここまでにしてそろそろ帰ろうかと、ぐっと腕を伸ばした。
「ライファットが飯作って待ってるだろうし、もう行くわ」
「今日もおいしいご飯を食べて、あったかくして寝なさいね? でも食べ過ぎはだめよ? それこそ簡単に太っちゃうんだから」
「だから俺も鍛えてるんだって。あっ、そうだ、俺も一緒にトレーニングしたんだぜ? おかげで前よりも筋肉ついたんだから」
「あらまあ、そうなの? じゃあアタシが確かめてあげる。ライちゃんには悪いけど、シーちゃんは今夜アタシの家に泊まるって伝えておかなくちゃ。さ、シーちゃんコート脱いで。奥の部屋に行きましょう!」
「この場で躊躇なく脱がそうとすんな!」
服の中に怪しく手を伸ばしてきたトウコを振り払って、逃げるようにシリウスは退店した。ぽつんと残されたトウコは、いいじゃないちょっとくらい、と頬を膨らませる。
からんからん、
しかしそのあとすぐに、また店の扉が開く。
トウコが顔を向けると、
「また何かあったら、すぐに知らせてくれよ! じゃあ!」
それだけを言って、シリウスは扉を閉めた。
「……」
一人になったトウコは、話す相手がいなくなったことで無言になる。
しかし口元は柔らかく、優しい光を携えるその瞳は、まるで母親のようだった。
「あなたも十分良い子よ……シーちゃん。立派に成長してくれて、本当に嬉しいわ」
店内には誰もいないので、誰の耳にも届いていない。
だがトウコの独り言は、この場にいない者に語りかけているかのように聞こえた。
「ねえ、リュミエちゃん」
何者かの名前を、トウコは口にする。
「あなたの息子は、今日も元気に生きているわ。これからもずっと、そうであることを、一緒に願いましょう」
胸に片手を乗せて、目を閉じて、トウコは囁く。
「アタシのことは、おまけでいいわ。何よりも優先するべきはあの子よ。……どうか見守っていてね、リュミエちゃん」
そうしてトウコは最後に、ずっと大好きよ、と静かに笑った。
しんとした空間で、応える者は誰もいない。
けれどトウコの黒い瞳は幸福で、そしてかすかな寂しさを帯びていた。




