奴隷屋と薬屋 2
自宅に戻ると、ライファットがキッチンで夕食の支度をしていた。
「あー、腹減ったー」
「もうすぐ出来上がりますよ」
楽な服装に着替えたシリウスが二人分の飲み物を用意し、その間にライファットが皿を置く。
半熟の卵が覆い被さった大きなオムライスに、サラダとスープ。
〝幸福〟が湯気をあげて体現しているかのような温かい光景に、シリウスの腹の虫が小躍りを始める。
そのまま席についた二人は、同時に一口を食べた。
「旨い! お前天才か!」
「天才ですね、俺」
主人からの大げさな褒め言葉を、謙遜することなく受け止める従者。
しばらく談笑しながら食べ進めていたが、オムライスの残りが半分くらいになったところで、シリウスは薬屋での件を思い出し、ライファットに説明した。
一通り聞き終えたライファットが、飲み物で喉を潤す。
「トウコさんにストーカー、ですか。それはまあ、なんというか……。仮に犯人がトウコさんの正体を知っていたとしても、少し憐れに感じてしまいますね」
「本当は男だって気づいてるのかな……。まあ、性別なんて関係ないって奴もいるだろうし、どっちにしろなんとかしてやらないと。でもストーカーって、どうすれば諦めてくれるんだろうな?」
「犯人がトウコさんを女と勘違いしているなら、本当のことを告げれば一発だと思いますけど……。効果的なのは、はっきりと相手を否定することだと思います」
「はっきりと、か……。〝よくそんな汚ねえツラで人前に出れたな〟とかか?」
「いや……。あんまり厳しい言葉だと、かえって逆上するかもしれません。もっとシンプルに〝あなたの行為には迷惑してます〟とかでいいと思いますよ」
「ふーん、なるほど?」
本当にそれだけで諦めてくれるのかは疑問だが、とにかくやってみないことには始まらない。
オムライスを平らげ、サラダとスープも綺麗に食べ終えたシリウスは、次ストーカーにあったら、自分の名前を出してみるようトウコに提案したことも伝えた。
「うーん……。それもまあ、効果はあるかもしれませんが……。ただそうなると、ストーカーはシリウスさんに嫉妬して襲いにくるかも」
「こっちとしては、それが狙いなんだけどな。探す手間も省けるし、ぶん殴れるし」
「というか、ならせめて俺の名前を使ってくださいよ。なんのための従者ですか」
「ああ……。全然思い浮かばなかった」
ライファットを身代わりにすることなど頭の隅にも置いてなかったシリウスは、素直にそう答えた。そんな主人に呆れながら、ライファットはスープをおかわりする。
「じゃあトウコさんもですが、俺たちもしばらくは警戒する必要がありそうですね。シリウスさん、気をつけてくださいよ」
「わかってるよ」
こうしてこの日を終えて、次の朝を迎える。
そしてまた次々と日にちを重ねていくが、特に何かが起こることも、トウコから報告を受けることもなかった。
「じゃあシリウスさん、いってきます」
「ああ」
空が暗くなる、奴隷屋の閉店時間。ライファットが夕食の買い物へ向かい、シリウスが一人で残りの清掃を済ませる。
掃除道具を片付け、身体をぐっと伸ばしたとき。ドアベルの音が鳴った。
「ん?」
扉の吊り看板は〝閉店中〟にしているが、鍵自体はまだ開いている。たまに看板を見ずに入ってくる客もいるので、今回もそれかと思い、シリウスは申し訳なさそうに謝った。
「すみません、今日はもう閉店でして……」
「……」
「あの……?」
その人物は、全身を黒で統一した服装に、フードを深く被っていた。よく肥えた体型と、たるんだ顎には短い髭も生えているので、性別は男だろう。
男は帰るわけでも文句を言うわけでもなく、ただその場に突っ立っている。上着のポケットに手を入れて、フードの隙間からシリウスを覗き込んでいるようだった。
「……」
「……あのー……?」
「……あん、た、が……」
「はい?」
「あんたが……シリウス、さん、ですか……?」
「……はい、そうです」
シリウスが頷いた。男の口元が、ぐにゃりと歪む。
「そうか……あんたが……」
男は一歩、また一歩と近づく。牛のように床を踏み鳴らし、ポケットから出された手を強く握りしめる。
「あんたがっ……! トウコさんにひっつくお邪魔虫かあっ!」
大声をあげ、男が突進してきた。
だが、その拳がシリウスに届く前に、『リグ』の銃口が男の動きを制止した。
「ひいぃっ!」
すぐさま足を止め、男は両手を上げる。
氷のような冷たい目でそんな相手を見つめるシリウスは、確信めいた口調で言った。
「なるほど、お前がトウコさんのストーカーか。トウコさん、ちゃんと俺の名前を出してくれたみたいだな」
「う、う、うたっ、撃たないでっ……!」
「それはお前次第だよ。撃たれたくなけりゃあ、おとなしく俺にぶん殴られて、遵行隊のお縄につきな」
「う……ううぅっ……!」
太い両足が、まるで子鹿のように震えている。勇気を胸にここまで来たはいいが、どうやらそれ以上の根性は持ち合わせていなかったようだ。
さて、相手を怯ませることには成功したが、このあとをどうするべきかとシリウスは考える。
大陸遵行隊を呼ぼうにも、店内には自分しかいない。ライファットが戻ってくるまでこの状態を維持するべきか、それとも男の足を撃って動けなくし、外に出て近くの者に遵行隊を呼んでもらうか。この男は喧嘩が得意そうにも見えないし武器も用意していなさそうなので、油断はできないがこちらが有利と考えてよさそうだった。
ならば事情聴取の真似ごとでもしてみようかと思ったシリウスだが、下を向いた男が、足だけではなく全身を震わせていることに気づく。
よほど怯えているのか、それとも逆上の始まりか。
どちらにせよ、いつでも撃てるように構えていると、フードの中から乱れた息遣いが聞こえた。
「や……やっ、ぱり……だめ、なんだ……」
「……あ?」
「ぼくじゃ……だめだったんだ……」
「なんだよ? 言いたいことがあんならはっきり言え」
『身内』のストーカー相手に容赦する必要はないと、厳しい言葉で尋ねる。
けれど、男が次にとった行動は、シリウスが予想もつかないことだった。
「うわあああああんっ! やっぱりぼくなんかじゃだめなんだあああああっ!」
男は幼児みたいな大声と共に、その場にうずくまり泣きじゃくってしまった。
あまりにも情けない姿に、さすがのシリウスも目を丸くして、じんわりと動揺する。
「ぼくみたいな奴じゃあ誰にも勝てないし、女の子からも馬鹿にされる……! もうこんな人生いやだあああああっ! わあああああんっ!」
太った身体をぎゅっと縮めて、腹の底から泣く男。開いた口が塞がらないシリウスは、思わず『リグ』をおろした。
「お、おい……床を汚すんじゃねえ……」
「ぼくみたいな奴は、生きててもどうしようもないんだっ! みんなから見下されて、悪口言われて、蔑まれるだけの人生なんだあああっ!」
「……」
もしこれが、こちらを油断させるための演技であればたいしたものだが、少なくともシリウスには、そうは見えなかった。
本気だ。だからこそ、戸惑ってしまうのだ。
「……おい、とりあえず顔あげろ。お前、ここしばらくトウコさんを付け回ってた奴か?」
改めてストーカーかどうかの確認をしてみると、男はぐすっと鼻を啜り、言われた通り顔をあげる。そのとき、被っていたフードがぽろっととれた。
「はいっ……! ぼくが犯人ですぅ……! 本当に、申し訳ございませんでしたあぁぁ……!」
ようやく見えた男の顔は、その肥えた身体にぴったりの、とにかく食生活が乱れた結果にふさわしい顔をしていた。
甘いものが好きなのかあちこちにニキビができており、目も脂肪に潰されたように細い。激しい涙と嗚咽も相まって、お世辞でも〝かっこいい〟とは言えなかった。
その証拠に、普段人の外見などあまり興味ないシリウスも、
「うわあ……」
思わず、失礼な声が出てしまうほどだった。
そんなシリウスの反応に、男は悔しそうに、そして悲しそうに唇を噛みしめる。
「やっぱり……ぼくみたいなデブは、周りからそう思われるんだ……。ちゃんと毎日お風呂に入ってるのに、汚いとかカビが生えてそうとか、そもそも存在が臭いとか……。そういうことを言われ続けるんだ……ぼくは、ずっと、一生こうなんだ……!」
「あ、いや、その……。い、今のは俺が悪かったな。ごめん、失礼だった」
非礼を認めて謝罪するが、男の顔は晴れない。なおも床に座ったまま袖で涙を拭う男に、どうしたものかと無言で立ち尽くすシリウス。
ちりんちりん、
すると、そんな複雑な空気を、ドアベルの音が優しく破った。
「……シリウスさん?」
現れたのは、ライファットだった。買い物を終えてまっすぐ自宅のほうへ戻ろうとしたが、まだ店内の明かりがついていたため、様子を見に来たのだ。
「えっと……。その男は、お客……? ではないのですか? 何かあったんですか?」
「……ああ……。何かあったんだよ……」
ライファットの姿を見て、ようやく頭が柔らかくなる心地を味わったシリウス。深呼吸して落ち着いて、とりあえずそっちに座れと、ソファーを指差して男に言った。




