寄り道
「シリウスさん、店の前にこんなものが」
とある日の閉店後。吊り看板をひっくり返そうと外に出たライファットが、シリウスに何やら報告をしながら戻ってきた。
「どうした? ついに立ち退き要請の紙でも貼られてたか?」
本日の売上金を数えていたシリウスが、冗談交じりに尋ねる。
いいえ違います、とシンプルな否定をしてから、こちらを見るように促した。
ライファットは、両手で簡単に持てるくらいの箱を抱えていた。配達かと思ったが、中に人がいるかの確認もせずに、無言で店の前に置くなんてことはしないはずである。
「なんだそれ?」
「……見てみてください」
頑なに説明をしようとしないライファットに疑問を持ちつつ、カウンターから離れて、言われた通り蓋のない箱の中を覗き込む。
そこには、なんと、
「……猫?」
「猫です」
小さい小さい子猫が、こちらを見上げていた。
生後一ヶ月といったところだろうか。無垢な瞳と黒い鼻。そして銀色の毛並みを持った捨て猫。
箱にはただタオルが敷かれてあるのみで、雪の街の外で過ごすには、あまりにも寒い寝床だ。そのせいか、子猫の身体はぶるぶると震えているように見える。
清潔第一の奴隷屋の評判は、少なくとも【8番都市】の間では広まっている。ここに置いておけば、大切に育ててくれると思われたのだろうか。
……それはある意味、心外である。
「子猫って、もっとみゃーみゃーうるさいイメージがあったけど、こいつ全然鳴かないな」
親がいない場所でたった独りきりで、不安げに鳴きわめくかと思いきや、この子猫は全く声を上げない。たまにみゃっと短く鳴くが、元気がなく掠れているように聞こえた。
「病気持ち、なのでしょうか……。そうなると厄介ですが、とりあえず健康チェックだけでもしておきましょう」
「わかるのか?」
「なんとなくですけど」
そう言ってライファットは箱を床に置いて、片手で子猫を持ち、小さな身体の隅々をチェックし始める。
「目ヤニ、なし。怪我もなし、お尻も汚れてない。虫もついてないので、身体はわりと綺麗ですね。性別は……オス。捨てられて半日も経ってないのか? まあ、カラスの餌にされる前に見つけられてよかったですね。俺たちのせいじゃないとはいえ、店の前に食い散らかった動物の死体があれば片付けるのが面倒だし、営業妨害だ」
「そうだな……」
子猫ではなく店の心配をしているのはさすがライファットだが、問題はこの子をどうするかだ。
イグリに亀を贈っておきながら、シリウスもライファットも、動物の世話などまともにしたことがない。散歩という手間がないだけ猫も飼いやすいかもしれないが、それでも天寿を全うするまでの責任を負う覚悟が、今の二人にはなかった。というより、できれば持ちたくなかった。
「……いっそ、地下に任せますか? 奴隷たちの癒しになるかもしれませんよ」
「あー、それいいかもな」
外に出られない奴隷たちの心を和らげる、良い役目を果たしてくれそうだ。
採用しようと思ったが、すぐにシリウスの表情が曇る。
「……なんでだろうな。人が死ぬよりも、動物が無惨に殺されるところを見るほうが、胸が痛むのは」
「……ああ……」
もう随分と前に起きた、地下での出来事。
一人の奴隷が他の奴隷たちを皆殺しにした、あの事件が頭をよぎる。
あのときは、長く続けていればこういうことも起こるだろう、程度にしか思っていなかった。しかしそれが動物相手に再び起きてしまうと、どうにも夢見が悪くなりそうで嫌だった。
「……仕方ない。うちでは飼えないってことで、里親になってくれる人を探すか」
「つまり、それまでは俺たちで面倒を見るってことですか?」
「そう、だな……。猫は嫌いか?」
「いえ……。でも、あまり自信はないです」
「それは俺も同じだ。……がんばろう」
「わかりました。では広告所に、里親募集のチラシを貼るのはどうでしょう?」
「おっ、なるほど」
基本的に広告所は、その都市にあるお店のお得な情報が書かれた紙が飾られている。しかしたまに、市民による〝迷子の犬を捜しています〟というような類の紙が貼ってあるときもある。
ライファットには、一時的でも子猫を養うために必要な物を購入してきてもらう。その間にシリウスは、いらないタオルを探して子猫を温めるようにかぶせたあと、カウンターでチラシを書くことにした。子猫は、とてもおとなしかった。
「戻りました」
「おう、ありがとう」
色々な物が入った袋をソファーに置いたライファットに、見てみろよ、とシリウスが自信満々な顔で完成したチラシを掲げる。
「……シリウスさん」
「ん?」
反応を楽しみにした様子のシリウスに、ライファットは言う。
「文章はともかく、その絵はやめたほうがいいですよ。なんですか、その鉄くずに足が生えたような生き物は。ペンの握り方を覚えた幼児のほうが、まだ人に伝わる絵を描けますよ。そんなんじゃ誰も里親なんて名乗り出てくれませんって。真面目に募集する気あるんですか?」
「随分ボロクソ言ってくれんなこの野郎」
己の絵のクオリティを理解していない主人に、容赦ない槍の雨のような進言をする従者。
一気に冷めた表情に変わったシリウスからチラシを拝借すると、じっとそれを見つめて、呆れ気味にまた続ける。
「……まあ、長く眺めていれば〝味のある絵〟という評価に変わるかもしれませんね。仕方ない、このまま貼りましょう。俺が行くので、シリウスさんは猫を洗ってもらっていいですか? あまり汚れていないとはいえ、菌がついてる可能性もありますから」
「ああわかった、わかりましたよ」
吐き捨てるように承諾したシリウスなど気にも留めず、ついでに夕飯の材料も買ってきますと言って、ライファットは財布の中の確認をしてから出ていった。
店を閉め、二階の家に戻ったシリウスは、子猫を洗面台まで連れてきた。袖をまくり、ライファットが買ってきた専用のシャンプーと、新しいタオルを準備する。
「ちくしょうあの野郎、舐めた口利きやがって……。よくも俺の絵を馬鹿にしやがったな……言うてそんな酷くねえだろ……」
眉間に皺を寄せてぶつぶつ文句を言いつつも、ふっと懐かしさを含んだ笑みに変わる。
「……でもまあ、初めて会ったときに比べれば、本当によくしゃべるようになったよな。最初のあいつなんて〝はい〟とか〝わかりました〟しか言わなかったんだから」
子猫に語りかけるように、過去のライファットをしみじみと思い返しながら、洗面台に水を溜める。シリウスの独り言と水の流れる音を間近に聞きながらも、やはり子猫はろくに鳴かず、シリウスの手の中で瞬きを繰り返す。
「よーし、綺麗にしてやるからな」
栓を止めて、あらかじめ沸かしてあったお湯を少し入れて、温度チェックをする。そしてできあがった小さなお風呂に、子猫をそっと入れた。
洗い方なんて詳しくはわからないが、とりあえず洗えればいいだろう、という心意気で挑んだ。
顔を濡らしてはいけないことだけは知っていたので、そこに注意し、まずは全身にお湯をかける。無色で透明だったお風呂は段々と濁っていき、見るだけでは気づかなかったゴミも浮いてくる。うわあ汚ねえ、とシリウスは苦々しい表情をした。
栓を抜いて濁ったお湯を流し、次はシャンプーに移る。
「みゃ」
「お風呂気持ちいいだろ。シャンプーしてさっぱりしような」
掠れた鳴き声と共にこちらを見つめてきた子猫に声をかけながら、優しく撫でる。
猫とは極度に水を嫌う生き物であったはずだが、この子はなんとも静かに身を委ねている。恐怖のあまり身体が動かないのか、お風呂好きの珍しい子なのか。どちらにせよ、想像していたよりもスムーズに洗うことができた。
「お利口さんだ。えらいえらい」
全身にくまなく泡が行き届いたのを確認し、全て洗い流す。うつ伏せにして背中を、仰向けにしてお腹を洗い、顎の下は指で軽くこする。
最後に、普段拳銃を掃除する際に使うウエスという布切れを濡らし、それで顔を拭いた。
ただでさえ小さいのに、毛が濡れたことで更に身体が細くなってしまった子猫を、タオルで包む。
「……かわいいな……」
ミノムシ状態でぺろっと舌を出した、愛らしい顔の子猫を間近で見て、思わずシリウスはそう呟いた。
暖炉の前に座って、身体を十分に拭いて乾かす。
そのあとにミルクを片手鍋で温めてから、人肌までに冷ます。それを哺乳瓶に入れて、タオルにくるまったままの子猫に飲ませた。
「おーおー、いい飲みっぷりだ。お腹すいてたんだな」
ちゅっちゅっとおいしそうに吸いつく子猫を見下ろして、嬉しい気持ちが芽生える。もしかしてこれが母性ってやつなのかな、と抱いたことのない心を感じていると、ライファットが帰ってきた。
「シリウスさん、また報告したいことがあります」
「ん? どうした?」
購入した食材をキッチンに並べながら、淡々と述べる。
「あのチラシを貼り終えた直後に親子連れが寄ってきて、子どもがシリウスさんの描いた絵を指さしながら〝なにこれ? へたー〟と馬鹿にしてきました。これ以上の侮辱はシリウスさん、しいては奴隷屋の沽券に関わると判断し、急きょあの絵の部分だけを塗り潰しておきました。たったそれだけしかできなかった無力な俺を、どうか許してください」
「素直に恥ずかしいから消してきたって言えよ。怒らないから」
「ちなみに今日の晩ご飯はシチューです」
「ああそうか楽しみだなクソっ!」
「怒ってるじゃないですか」
「うるせえっ!」
全て飲み終えた子猫が、もうないの? と言いたげにシリウスを見上げているが、気づいてもらえなかったようだ。
+ + +
それから数週間が過ぎたが、引き取ってくれる者は一向に現れなかった。
いつの間にか子猫は、ライファットが鉄くずと呼んだことから〝テツ〟という仮の名がつけられ、食事もミルクから離乳食に移行していた。
「食らえテツ、飯だぞー」
数日前まではペースト状の離乳食を与えていたが、今はお湯でふやかしたフードに変えている。ちゃんと食べてくれるか心配だったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「んみゃ」
「うめえってか? よかったな」
相変わらず声は枯れ気味だが、おそらくこれがテツの特徴、つまり個性なのだろう。基本的にはおとなしいが、遊んであげれば元気に動き回るし、食欲だって旺盛だ。
綺麗に皿を舐めて完食したあと、ずっと見守っていたシリウスを見上げ、少し長めに鳴いた。
「はい、ごちそうさま。えらいな、ちゃんと言えて」
テツは二人によく懐いており、あちこち家の中を歩き回っては必ずどちらかの元へ戻り、甘えてくる。
撫でるとあっという間に心地よさに負けて、膝の上で目を瞑り、昼寝に突入する。だが、こちらが動こうとするとすぐに目を覚まして、どこにいくの? と訴える。
そのくせ早朝、まだこちらが眠っている間にベッドによじ登ってきて、みゃっみゃっと軽快に鳴き、頼んでいないモーニングコールを勝手に担っていた。これはシリウスとライファット、両者共に経験済みだ。
「新しい猫缶が売ってました。極上って書いてあるんですけど……、食べるかな」
「お前……。まだ残ってる餌を消費しきってないんだから、新しいやつ買ってくんな。もったいないだろ」
食べると思って、という理由で、様々なペット食品を買ってきてしまうライファット。おかげでキッチンの棚には、テツのためのご飯やおやつで埋まっていた。
ひとりにさせるのは不安なので、営業中は一階におろして共に店番をしている。客がいないときは大抵ライファットがおもちゃで遊んでおり、訪れた客も、まず先にテツに興味を示す者ばかりだった。
「もうこいつ、このままうちで飼ってもよさそうだよな」
「そうかもしれませんね。案外ちゃんと、世話できてますし」
すっかり店の一員になりかけたテツを、本格的に受け入れようと思っていた。素行は良いし穏やかだし、何よりかわいい。
「動物も、悪くないものだ」
ライファットがソファーでくつろぎながら、そんなことをぽつりと呟き、横で身体を伸ばしているテツを撫でる。
煩わしいと勝手に思い込んでいた動物の飼育も、やってみればわりと楽しかった。徐々に懐いてくれるのが伝わり、それに比例して愛でる心も深まった。
小さいながらも思いに応えてくれる、裏切らない純粋な生き物。
心が温かくなるのを十分に感じ、ライファットの撫でる手が止まらずにいたときである。
ちりんちりん、
来客者が現れた。人の良さそうな素朴な青年だった。
ソファーから離れて出迎えるライファットと、カウンターから立ち上がって挨拶をするシリウス。青年は、評判は伺っているとはいえ、あまり身近ではない奴隷屋という店を前に、おどおどとした様子で用件を言った。
「あの、すみません……。子猫の里親を探してるって、広告所のチラシを見て来たんですけど……」
どうやら、里親を希望する者のようだ。
きょとんとする二人に、もしかしてもう引き取られたあとでしたか、と慌て始める青年。
「いや、あれは……」
「ライファット、いいよ」
どこか諦めたように息をついてから、シリウスはソファーでくつろいでいたテツを抱き上げて、青年の前まで連れてきた。
「この子がそうです。いかがですか?」
「うわぁ、かわいい……! 毛並みもすごく綺麗だ……!」
どうやら一目でテツを気に入ったらしいその青年は、この子を引き取らせてもらえませんか? と真剣に申し出た。
「あっ、お金……。必要ですか? チラシには書いてなかったんですけど、一応、持ってきました!」
そう言って財布の準備をしようとした青年を、シリウスは止める。
そして、抱える自分の指をぺろぺろと舐めているテツを見る。
「元々チラシに代金云々は書いてなかったので、料金は不要です。……こいつのこと、大事にしてあげてくださいね」
「は……、はいっ! ありがとうございます!」
青年はシリウスからテツを受け取ると、とても嬉しそうな、柔らかな笑顔で言った。
「君のような子を、ずっと探していたよ。僕が絶対、立派にしてみせるからね」
温かみのある口調を聞いて、この人だったら大丈夫そうだなと、シリウスは眉を八の字に曲げた。
青年とテツを見送った。店内が、不思議と静まり返る。
困ったように頭を掻くシリウスと、先程まで使っていたおもちゃを持って、黙っているライファット。
やがてシリウスが、ふぅと気持ちを切り替えるようにひと呼吸おいてから、ぱっと笑ってライファットの肩を叩いた。
「これで俺たち、ちゃんと動物の世話もできるんだって確信できたな」
「……。そうですね」
「また捨て猫を見つけたら、そのときは、責任持って育てようぜ」
「そう、ですね。是非、そうしましょう」
「ああ」
頷き合ったところで、あっ、とシリウスが何かを思い出す。
「猫缶……渡しておけばよかったな……」
テツのためのご飯、テツのためのおやつ。
テツのための寝床、テツのためのおもちゃ。
時間とお金をかけて用意した物が、たった一瞬にして、全て不要な物と化してしまう。
せっかく振り払ったのに、またぼんやりとした虚しさが、二人の周りを煙のように囲って離れなかった。
それからまた、時が過ぎた。
シリウスが街を歩いていると、何やら人々が集合してにぎわっていた。自宅の一部を改造して、ずっと憧れだったという個人の展示会を開いたと派手に宣伝する若者がいた。見覚えのある青年だった。
出入りは自由とのことだったので中を覗いてみると、青年が趣味で描いたという絵画や小さな木像が並べられており、その中心には、ひときわ目立つ物が置かれていた。皆がすごいと注目し、讃えていた。
それは、猛々しくも美しい鷹と、その背中に乗った、銀色の毛並みを持つ、なんとも愛らしい子猫の、
剥製だった。




