青と赤 4
はつらつたる明かりが並ぶ中、酒を売っている露店を見つけた。
天酒という穀物を発酵させて作られたもので、アルコール度数が限りなくゼロに近く、ここでは子どもでも気軽に呑むらしい。
「よお、兄ちゃんら! おひとつどうだい?」
誘いに頷いて、シリウスは二人分を頼んだ。
白濁とした色は少しとろみがあり、店主いわく、天酒は〝呑む美容液〟として女性には大人気とのことだった。加えて栄養価も高く、免疫力上昇にも繋がると説明する。
一口目をゆっくりと呑み、唇を軽く舐める。それからシリウスが、感想を述べた。
「子どもでも呑めるっつーから、砂糖や牛乳でも入ってんのかと思ったけど、それとは違う甘さだな」
「そうですね」
「穀物本来の甘さを引き出しているから、優しい味がするだろ? 風邪をひいたときなんかにも効果があるんだぜ」
「へえ……。知っておくと、便利かもしれませんね」
「知りたいか? なら教えてやるよ。ご家庭でも簡単に作れるレシピがあるからな」
店主は、天酒のレシピを口頭で教えてくれた。シリウスはうんうんと頷きながら、律儀に旅の手帳に記入する。
「ありがとうございます。機会があれば、作ってみようと思います」
するとシリウスのそんな姿勢を気に入ったのか、店主は向こうに本格的な酒を売った露店があると、その方向を指さした。
せっかくなので行ってみることにし、また店主にお礼を言った。店主は手を振って、二人を見送った。
酒が呑める場所というだけあって、大人の男がたくさんいた。しかもそれだけではなく、ツマミに合うような一品料理を売る露店も並んであった。立ち食いをしないための椅子やテーブルも、あちこちに設置されている。
「お前、酒は強いほうだっけ?」
「まあ、それなりには大丈夫です」
「そっか。じゃあ、酔い潰れない程度に楽しむか」
……そこからのシリウスは、まるで飛ぶことを覚えたばかりの鳥のようだった。
あれやこれやと誘われてふらふら移動しては、店の人と会話して、売り物を買う。そしておいしそうに酒や食べ物を頬張っては、また別の店へ向かう。
観光客として、初めて訪れた者として。人工的な光が眩しく歌う世界を、思う存分に楽しんだ。
白髪の青年は、そんな主人のうしろをただついていった。呑めと言われたら呑んで、食べろと言われたら食べる。
喜んだり不快だったり、そういった反応は一切顔に出さず、従うままに手足を動かした。
やがて、
「……はあぁーー……」
酒気を多く含んだため息が、シリウスの口から吐かれる。空いた席に座り、テーブルに顔を伏せて、心底だるそうに身じろぎをした。
「我が主、さすがに呑み過ぎではないでしょうか。今日はもう宿屋に戻られることを推奨します」
「……うぐぅ……」
聞いているのか、いないのか。どちらかわからない反応を見せると、そのままぐったりと動かなくなってしまった。
いつの間にか花火は終わっており、あとは騒ぎたい者だけが騒ぐ、人の時間だけが残っている。
次の日へと移り変わった夜空には、ずっと花火に舞台を譲り続けた星たちが、ようやく自分たちの出番かと好き放題ちかちか輝いていた。
全く動く気配のない主人を前に、担いで宿屋まで運ぼうかと思った青年だが、無理に動かして吐かれたら困ると考え直した。
南の地は真夜中でも気温が高く、加えて酩酊状態で体温も上昇している。だからといって一晩中外に放置するわけではないが、小一時間程度ならば酔いを覚ますのも兼ねて、このまま夜風に当たらせるのも良い。
そう決めた白髪の青年はどこへも行かず、鳴りやまないお祭りの音を背景に、おとなしく待ち続けた。
「おいっ! そこのてめえ!」
すると、この陽気な雰囲気の邪魔をする、怒気を含んだ呼び声が青年の耳に届いた。
周りの人々が声がするほうを向いて、道をのける。その先に立っていたのは、【26番都市】に来る途中の森でシリウスと青年が相手をした、あの三人組だった。
「見つけたぞこの野郎……。昨日の借り、倍にして返してやるぜ!」
刺青の男が、歯を剥き出しにしながら指の関節を鳴らす。他の二人も同じように、敵意を込めた視線を青年に浴びせる。どうやら報復をするために、わざわざ追ってきたようだ。
戦利品として男たちから回収した物は、まだ宿屋に取ってある。しかしそれらを返却したからといって、見逃してもらえるわけではないだろう。奴らは、戦う気に満ちている。
「……ふぅ」
死んだように眠るシリウスを一度確認してから、白髪の青年はそっと席から離れて、男たちと向き合う。
あのとき手足でも折っておけばよかったかな、なんて、ぼんやりと考えながら。
「ああ? てめえだけかよ。もう一人はどうした」
「お休み中だ」
「なんだとぉ!?」
白髪の青年は、だから相手をするのは自分一人だと告げた。それを受け、三人の男は怒りで顔面を紅潮させる。
「ふざけやがって……! 舐めんじゃねえぞこらぁ!」
「そのスカしたツラ、原形がなくなるまで潰してやる!」
「今度はてめえの身ぐるみ剥いで、全部売り飛ばして俺らの酒代にしてやっからよ!」
「奴隷商人に引き渡すのもアリだな!」
「臓器売買はもっと金になるぜぇ!」
「まあ、どの道てめえを……、ぶっ殺してやるけどな!」
「……」
見下された屈辱を恨みに変えて、思い思いに叫び散らかす。
青年は彼らの言う通り、すました顔で全てを受け流していた。
……だが、最後の〝ぶっ殺してやる〟の一言が、彼の赤い目をすうっと動かす。
「俺は昔から……〝前言撤回〟というものを認めていない」
「ああん……? なんか言ったか!?」
「〝一度でも自分に殺意を向けた者は逃さなくていい〟と、そう教わった」
「ぼそぼそ聞こえねえんだよ! このシラガ野郎!」
「それが結局、自分のためになると、俺は知っている」
「だから聞こえねえっつってんだろ!」
青年の瞳から、光が消えていく。そのことに、彼らは気づいていない。
「久々だ。本当に、久々だ」
青年は腰の短剣を、静かに握った。
喧嘩か? 喧嘩が始まるのか? と周りの男たちがざわつく。だが、酒とお祭りに飲まれているせいで、むしろ楽しげにわいわいと騒ぎ、無神経に囃し立てた。
「男なら拳で行けよ!」
「花火の次は喧嘩祭りだ!」
「俺はでけえ兄ちゃんたちに賭けるぜ!」
「じゃあ俺は白い兄ちゃんな!」
勝手に賭け事も始まり、辺りは一層騒がしくなる。
三人は暑苦しい熱気をうっとおしく思いながらも、男として、段々と喧嘩心が刺激される。
〝闘気〟ではなく〝殺気〟を緩やかに渦巻かせる白髪の青年など、露知らずに。
「……」
だが、ここで青年はふと思った。もし自分が今考えていることを素直におこなった場合、この歳の近い主人は、どういった反応を見せるだろうか、と。
怒るか、許すか、呆れるか、怯えるか。
どれでも構わないが、分岐する未来の一つとしてあるのが、ここで二人の旅が終わるという可能性だ。
名残惜しいとか、寂しいとか、申し訳ないとか。そういったものは持ち合わせていない。自分をすっぱり切り捨てるなら、それでもいい。
ただ、自分を奴隷屋から買ってくれたせめてもの礼として、〝彼を捨ててこの場から逃げる〟という選択肢だけは取らないことにした。それよりあとは、別にどうなったって構わない。
だからこそ、
「……あなたに感謝します。空の煌めきを、再び俺に見せてくれたことを」
目の前の三人にも、周りの見物人にも、そしてシリウスにも。
誰にも聞こえない言葉を、白髪の青年は祈るように囁く。
そうして心を白く澄ませ、赤い魂を開眼させた。
「…………おい」
その瞬間、不自然なほどの低い声が、青年の背後から聞こえた。振り向く前に肩を掴まれたかと思うと、そのままやや強引に、うしろに下げられた。
「我が主」
「……」
いつの間にか目を覚ましていたシリウスは、ふらりふらりと、危なっかしい足取りで前へ出る。青年は止めようとしたが、それよりも先にシリウスが言う。
「誰だぁ……? お前を殺そうとしてる奴は……」
「えっ?」
「……ああ……。あいつらだな……」
再び会った男たちを、ぎろりと睨む。どうやら青年から漂う殺意を、わずかながらに感じ取ったようだ。思考がうまく定まらないせいで、勘違いをしているが。
明らかに酔っ払っているシリウスを見て、三人は鼻で笑い、お返しと言わんばかりに馬鹿にしてきた。
「おいおい、すっかり祭りを楽しんでたようだな。そんな状態で大丈夫かぁ?」
「これじゃあ一方的なイジメになっちまうよ!」
「その青い目から、ぴーぴー涙を流すさまを、酒の肴代わりにすんのも一興だな!」
げらげら、げらげらと笑いが止まらない三人。
それに対し、シリウスはあからさまに舌打ちをして、不快な表情を浮かべる。
「クソだりい……。うるせえんだよ、腐れたツラ並べたチンカス野郎共が……。マジ誰のもんに手ぇ出してんだよ……調子乗んなクズ……」
黒髪を雑にかき上げて、ぶつぶつとあまりよろしくない言葉を並べる。
それから揺れる身体をしっかりと両足で支え、髪の隙間から青い光を二つ、強く宿らせた。
「汚ねえ笑いでイキリ飛ばしてんじゃねえよ、束になってもゴミにしかならねえ雑魚が。もういっぺん潰してやるからまとめてこい」
左の親指を下に突き刺したシリウスに、三人の笑いがぴたりと止まった。
そして、
「……上等だガキ! 死ぬまでぶっ殺してやるよ!」
「おおかかってこいやビチグソ共がぁ! タマ切り落として、てめえのケツ穴にねじ込んでやらぁ!」
そう啖呵を切って、一気に駆け出した。しかも素手で。
「あっ、ちょっと……!」
青年は制止するために右手を伸ばした。けれど、勇ましく走る主人の背中を見ていると、どうしてか殺意が薄れ、段々と心が凪いでいく。
そうして最後には、そっと無意識に手をおろしていた。
「うおらぁ!」
刺青の男が殴りかかる。酔っているとは思えないほど、シリウスが華麗な動きでかわす。そうしてがら空きになった男の鼻に、まっすぐと力強い拳を入れた。
「……いぎゃあぁっ!」
痛みに悶える男の頭を蹴り飛ばして、早々に一人目を潰す。
その流れるような攻撃に、帽子の男と眼鏡の男は、たじろいだ。
「ふ、ふざけんな……。俺らがまた負けるなんて……、あっちゃいけねえんだよ!」
語尾を震わせながらも己を鼓舞した帽子の男は、大声を出して仲間の仇討ちに挑んだ。
ゆらりと身体を立たせたシリウスは、酒を売る屋台の横にあった、空の小さな酒瓶に目をつける。それを一本手に取ると、男へ向けて力いっぱいぶん投げた。
「うおっ! あぶねっ!」
間一髪でかわしたが、その数秒間は、全ての意識が酒瓶に集中してしまっていた。
シリウスはすぐそこまで間合いを詰めて、今度は店主から奪った酒が入ったコップを、相手に投げつけた。
「おぶっ!」
顔に酒をぶちまけられ、反射的に目を閉じた帽子の男。その隙に、
ゴンッ!
前へ出た白髪の青年が、同じく空の酒瓶で男の脛を打つ。激痛で立っていられなくなり、叫びながら倒れた男に追い討ちをかけるように、青年が瓶でその頬を殴った。
「おお! ナイスコンビ!」
周りが称賛の手を叩く。
あっという間に残り一人となった眼鏡の男は、やっぱり自分だけでも逃げてしまおうと背を向ける。だが、それはあまりにもかっこ悪くて情けないと、見物人たちがこぞって邪魔をした。
「ど、どけよっ! 殴られてえのか!」
「お前も行けよ! それでも男か!?」
「う、う、うるせえっ!!」
だが、ごちゃごちゃと揉めている間に、シリウスが背後まで迫っていることに、男は気づいていない。
「くたばれや短小野郎!」
「ぎゃあぁっ!」
男の股間を蹴り上げたシリウスは、前屈みによろめく相手の正面に回る。
そうして男の首を左脇で固定し、右手で背中を掴んだ。
「ひいっ!」
「黙らせてやるよ」
とどめの技を決める。その場で跳んで背中から倒れ、相手の顔を地面に叩きつけた。
男が戦闘不能となり、三対二の再試合は後者に軍配が上がって終了した。
「うわー、あれは痛いよ」
見物人の一人が、若干引きつった顔で呟く。
あいつマジで喧嘩慣れしてんな、とその隣にいる男が、感心したように言った。
「……うげ」
しかし、その一撃により共に倒れたシリウスが、今になって嘔吐しそうな表情で横に転がり、眼鏡の男から離れる。
白髪の青年が駆け寄り、大丈夫ですか、とシリウスの背中をさすった。
「終わりましたよ、我が主。もう宿屋に戻りましょう。……立てますか?」
すっかり殺気の抜けた声で尋ねる青年。シリウスは何度かまばたきを繰り返してから、両手を地面につけて身体を起こす。
そして。
「……ライフラント」
「え?」
「……」
突然出てきた、何かの名前。
全く聞き慣れないものに、青年は一瞬きょとんとしてしまった。
「……いや、でもこれは……」
シリウスはゆっくりとうつむいて、また動かなくなる。
かと思いきや、急に飛び跳ねるように頭を上げて、青年に顔を近づけた。
「な、なんですか」
相手が酔っ払いとはいえ、さすがに戸惑いを隠せない青年。そんな彼をよそに、シリウスはその青い両目で、すぐ近くの赤い両目を捉える。
「ライファット」
「……はい?」
「ライファット……。うん、やっぱりこれだな! 悪くない、かっこいいぞ!」
どうやらそれは、青年に授ける名前らしい。
腕を組んであぐらをかき、うんうんと一人で何度も頷くシリウスに、ライファットという名をおそらく与えられた青年は、何も言えずにいた。
「頼りになる、信頼する……だから……。……うん、まあいいや」
どうやら独自の納得ができたようで、シリウスはおぼつかない足で立ち上がろうとする。とっさに手を貸した青年の腕を掴み、そのまま離さずに言った。
「これからもよろしくな、ライファット」
「……あ、はい……」
にっこりと清々しく告げられ、ぎこちない頷きで応える。
そうしてシリウスは嬉しそうにまた笑い、膝から崩れ落ち、なんとも満足げな表情で眠ってしまった。
「…………ライファット……」
一人で呟く、白髪の青年。
眠る主人の横で片膝をつく。しばらく停止し、そのうちゆっくりと、真上の夜空を見た。
欠けた月が、孤独に浮かぶ。
その周りを、数え切れない星々が、寄り添うように光り輝いていた。
+ + +
夜が明ける。三日目の朝。
酔いが覚めたシリウスに待ち受けていたのは、なかなかしつこい頭痛だった。ベッドの上で痛いと唸る主人に、従者の青年は荷物を持って立ち上がる。
「あの三人から取った物を売ってきます。ついでに、今後の旅に必要な物も買ってきます」
「……ああ……よろしく……」
片手で頭を押さえながら許可を出す。部屋を出て行こうとした青年に、お前は二日酔い大丈夫か? と一応聞いてみた。
「俺は平気です。……お気遣い、ありがとうございます」
「そっか……。つくづく頼りになる奴だよ」
ふっと自虐気味に小さく笑って、青年に背中を向けて寝転がる。その背中を見つめた白髪の青年は、少し口ごもりつつ、やがてはっきりと伝えた。
「これからも〝頼りに〟してください、我が主。俺の名は、そのためにつけられたのですから」
「……ん?」
「ライファット……良い名前ですね。とても気に入りました」
ではいってきます。そう告げて青年は、静かに部屋の扉を閉めた。
残されたシリウスは、一体なんのことかわからないといった表情で、軽く呆然としている。
しかし徐々にうっすらと、思い当たる記憶が脳内に再生されていく。そして仰向けに体勢を変えて、両腕で目を隠しながら、天井に声を上げた。
「ライファット……。そうか、言ってたのか俺……」
やっちまった、というような反応を見せているシリウスだが、この名前を与えたこと自体に後悔はしていない。ただ、
「〝頼り〟か……。確かにそれも大事だけど……」
腕を元の位置に戻し、しばらく天井の照明を凝視する。そして、感情のこもった独り言をこぼした。
「違うんだよなぁ……その名前に込めた〝意味〟は……」
うっかりその〝意味〟まで口走らなかった自分を最低限に褒めて、シリウスは名を与えた従者がここに戻ってくるまで、また目を閉じることにした。
空は今日も、よく晴れている。
※シリウスが最後に決めたのは『DDT』というプロレス技です。




