青と赤 3
この観光辻馬車は、名所の前にいったん停まることはあっても、客を降ろして中を見学させる時間は設けていないらしい。こんなものがあり、こういった歴史がありますよ、と御者が軽く教えて回り、最後にまた案内所まで戻る。そんな経路だ。
まず最初にやって来たのは、旧宿屋。
木造建築の瓦屋根で、遠い大陸の建築技術を参考に建てられたらしい。当初は、その渋味と優雅さが兼ね備えられた様式が好評で受け入れられていた。しかし、規格外の大雨と強風が襲来した際に瓦が飛んで、他の建物への被害が生じた。そこが問題視され、やがて宿屋も廃業に至った。
あちこち剥がれた屋根には、今は飛散防止のために、漁で使う大きな網が張られている。中は一部のみ、見学が可能だ。
「家に置いてある本に、こんな建物の絵が描いてありましたね。おじいさん」
「そうだったかい?」
「まあ、あなたが買ってくれたものなのに」
「そうだったかな」
「そうですよ」
老夫婦が、穏やかな笑みを交わし合っている。
次にやって来たのは、裁判所。
正面には、ルドベキアという花のステンドグラスが鮮やかに映る。花言葉は〝平等、公正〟だと御者は言った。
白を基調とした美しい土塀と、シンプルな装飾の外観が、裁判所とは思えぬ上品さを引き出している。
かつて麻薬王と呼ばれ、カレスティア大陸を恐怖と混乱に陥れた大罪人、ダンテの裁判がおこなわれた場所とされている。
今は使われていないが、中の見学は自由だ。
「あのきいろいおはな、きれいー」
「そうね、とっても素敵ね」
「あの花の形をしたクッキーが、中で売ってますよ。是非お土産にどうぞ」
「本当ですか? じゃあ、あとで寄ってみるか。お父さんが買ってあげよう」
「クッキーたべたい!」
家族連れと御者が、楽しそうに会話を交わす。
そして、次にやって来たのは、人狼研究所。
ダイナミックに傾いた大きな屋根が特徴的の建物で、入り口の正面には短い階段、左側には手すりのついたスロープが伸びている。
当時はここに、最大で四十人もの〝害悪種族〟が収容されていた。煌核の効果や使用方法、臓器移植など現在に繋がる実験もおこなわれていたとのこと。だがのちに中を調べた結果、実験だけではなく拷問の跡も残っていたらしい。
「しかし、一匹の人狼が暴走しましてね。実験で生き残った者と共に、研究所を脱走したそうです」
「へえ……」
シリウスが眺めながら、相槌を打つ。その暴走した証拠として、建物の三分の二が焼け焦げていたが、大屋根だけは奇跡的に形が残っている。中は立ち入り禁止のようだ。
御者は、更に説明をする。
「【26番都市】の近くにある森の中に、倒れた巨木があるんですが、あれはここを脱走した人狼と人間が戦った跡だと言われているんですよ」
「ああ、それ見ました。あんなに太くて大きい木をねじ切るなんて、相当強かったんでしょうね。……でも、なんの能力も持たない人間が人狼を閉じ込めて研究だなんて、できるもんなんですかね」
シリウスの疑問に、御者は答えてくれた。
「確かに、まともにぶつかり合えば人間が負けるでしょう。しかし当時にはもう、銃器がこの大陸に伝わっておりました。こちらの研究所に関しては、他の建物と比べるとまだ新しいんですよ。……人狼は人間より寿命が長かったり傷の治りも早いですが、不老不死というわけではないです。命の要である煌核を破壊すれば確実に殺せますし、それ以外にも首を斬り落としたり、回復が追いつかないくらい銃弾を喰らわせれば、奴らとて死にますよ。あとは……」
「あとは?」
御者は、得意げに言う。
「人狼は仲間意識が強くて、わりと臆病なんです。その性質を利用して、人間が支配していたんですよ」
「……。そうですか」
白髪の青年は、乗車してからずっと黙っている。黙ったまま、目に映るもの全てを眺めている。
「……お前、ちゃんと楽しめてるか?」
シリウスが、隣に座る青年に思わず尋ねる。
従者は主人に話しかけられてようやく、楽しいですよ、と口を開いた。
「そっか」
頷く。読心能力を持っているわけではないので、たとえ上辺であっても、彼の発する肯定を信じるしかなかった。
……白髪の青年が、横目で細く、そんなシリウスを見つめる。
主人が従者、ましてや元奴隷を気にかけるような発言をするなど、周りに知られたら滑稽だと笑われるのは明白だ。
奴隷であることは隠せ、と最初に言われてはいたが、そもそも奴隷を解放して旅の供に迎えるなど、普通に考えても考えられない。
他の大陸から流れ着いたとはいえ、カレスティアの民の常識を、全く知らないわけではないだろうに……。
青年は、シリウスの中にある道徳観を、少しだけ疑った。
その後も色々な名所を巡り、最後に商店街の中をざっくりと見せてもらった。御者がおすすめするお土産屋や、甘味処。青年が言っていた果物のゼリーも、そこにあった。
辻馬車の案内が終了し、昼食として牛の肉を使ったスタミナ料理を食べたあと、甘味処に寄って例のゼリーを注文した。
「うん、うまい。さっぱりしてて、口直しにはちょうどいいな」
「はい」
おいしく食べている二人に、冷たいお茶をそそいでくれた店のおばちゃんが、どこから来たんだい? と親しげに話しかけてきた。
「気に入った移住先を求めて、旅をしています。ここも良いところですね」
「あらそうかい? だったらいつでも歓迎するよ。空いているお家があるといいけど、二人で一緒に住むのかしら?」
「あ……。……そうですね」
「仲がいいんだね。友達は大切にしないとね」
それじゃあごゆっくり、とにこやかな笑顔でお辞儀をし、別の客のところまで向かう。
おばちゃんの背中をそっと見届けてから、シリウスは青年と向き合う。そして、なんとも今更なことに気づいた。
「そうか……。もし移住先が見つかったら、お前と一緒に住むのか」
「……。置いていただけるのであれば」
「用が済んだら捨てるなんてことはしねえよ。せっかく安くない金を払ったんだから。……でも」
シリウスは最後の一口を食べ終えて、新たにそそがれたお茶を飲む。
「正直、あんま想像つかないな。お前と同じ屋根の下で暮らすっていうのが。それに求めているとはいえ、なんかずっと、こうして旅をし続けているような気もする」
「……」
別に同居が無理とか嫌だとか、そういう意味ではない。ただ〝定めた居場所に腰を下ろす〟という最大の目的が、改めて考えるとイメージできないと言いたかっただけである。
同じ宿屋の同じ部屋で、何日も寝泊まりを繰り返すのとは違う。食事も掃除も何もかも、この青年とやらなければならない。二人でお金を、まともに稼がなければならない。
生活と生命の支えを、築いた根城の中で、互いにおこなわなければならないのだ。
シリウスは、この青年の本名を知らない。どこで生まれて、どんな人たちに囲まれて育ったのか、全く知らない。
だがそれは、付き合う上ではわりとどうでもいい情報であって、一番重要なのは〝今の彼自身〟だ。
好み、性格、特徴、雰囲気……。どれもこれも、彼を囲う見えない壁は厚く感じるが、一つシリウスが確かに思うのは、この青年を案外気に入っているという事実。
自分に従ってくれるから、なんて安易な理由ではない。
あの日に出会ってから今日までの時間、話しかけても素っ気ない言葉ばかりが跳ね返ってくるが、シリウスは、それらに眉をひそめるようなことはしなかった。全てを飲み込んだ。何故なら、特別不快に感じなかったから。それに、彼の知識に頼る場面も多い。
もし、ただ戦闘に特化しただけの無知で無礼な奴であったなら、最悪どこかで切り離していたかもしれない。しかしシリウスは先ほど、捨てないと言った。
それが、全ての答えだ。
「よし、その日をスムーズに迎えるためにも、お互いのことをもっと知っておく必要があるな。……というわけで」
シリウスは、テーブルに置いてあったメニュー表を再び広げる。
「お前さ、この中で特に好きなデザートって、なに?」
「……」
女子か。という一言は、立場を考慮して控えさせてもらった。
+ + +
甘味処のおばちゃんいわく、今日の夜に花火大会が開かれるらしい。職人が城壁の外で打ち上げるので、観客は中で安全に眺めることができる。
まだこの街を出ないのであれば、夜更かしに備えたほうがいいとの助言を受け、早めに宿屋に戻って身体を休むことにした二人。
朝食と夕食は宿屋の代金に含まれているので、決められた時間になってから食堂へ行く。周りにいる人たちも花火大会が楽しみなようで、揃ってその話をしていた。
「花火なんて、観るのは何年ぶりだろうなぁ。お前はどうだ?」
「……俺も、よく覚えていないです」
「ま、そういうもんだよな」
お祭りに合わせた露店も並ぶとのことで、もったいない気もするが夕食はそこそこに済まし、完全に陽が落ちるのを待つ。
日中は薄い雲が大部分を覆っていたが、どうやら地上の支度を察してくれたようで、太陽が沈む頃にはすっかりその身を引いていた。今では良い夜空が見えており、空気も快適だ。
商店街は、昼間とはまた違う旺盛さと、夜ならではの輝きに満ちていた。あまり聴き慣れない笛の音や、今夜は眠らないという覚悟を持った人たちの、お祭りに対する華やかな喝采が街中に響いてやまない。
「こりゃあ、とんだお祭り騒ぎだ。めいっぱい楽しまないと、街に失礼だな」
「はい」
早速シリウスは露店で、一口サイズの肉を揚げたものを買った。二人分頼むと、店主が何個かおまけしてくれた。
「お前も、食べたいもんがあったら遠慮なく言えよ。この雰囲気と味は、ここでしか得られないだろうからな」
「……わかりました」
頷いたわりには、その後も青年は己の欲求を主張することはせず、シリウスが食べる物を一緒に食べるばかりだった。予想はしていたので、シリウスもしつこくは言わなかった。
「おーい! そろそろ始まるってよ!」
住民の一人が、全体に呼びかける。皆一斉にざわついたあと、途端に静かになって、空を見上げた。
すると、
「……おっ」
ぼやけた光の糸が、ひゅるるると音を鳴らしながら、暗い空に上昇する。それが消えたと思った瞬間、どぉん、と。色彩を得た無限の粒子が、華となって大きく咲いた。
おお、と歓声が上がった。拍手も湧いた。観光客も、住民も、大人も子どもも。皆がたった一つの風景を観賞し、褒めそやした。
「た〜まや〜!」
「か〜ぎや〜!」
【26番都市】の住民たちが、次々と打ち上がる花火に向かって、揃って不思議な掛け声をする。
近くにいた観光客の団体が、あれはどういう意味だろうと顔を合わせるが、答えを知る者は誰もいなかった。
シリウスも、同様の疑問を抱く。
「あれ、なんだろうな」
「確か……。過去に存在した、花火職人の名前だったはずです。互いに花火の腕を競った際、周囲がその二人の名を呼んで応援したことから、以降花火を眺めるときの掛け声になったとか」
「……タマヤさんと、カギヤさんってことか?」
「そのはずです」
「へーえ」
……ふとこちらが何かに疑問を持つと、すぐに頭の知識を回して、可能な限りの返答をしてくれる。
たとえそれが合っていようが、間違っていようが、〝ちゃんと反応して考えてくれる〟というのが、傍らにいる者としてとても大切なことなのだ。
そう思うからこそ、シリウスは、
「……どうしました?」
「……。いいや?」
首を横に振った。
花火と露店の明かりがあるとはいえ、相手の表情がはっきりと認識できるほど照らされてはいない。けれどシリウスの横顔は、青年の目で見る限り、笑っているように思えた。
人並み以上の知識があり、人並み以上に戦える。
何故これほどの人物が、奴隷という最底辺の身分に落ちたのか。それはわかりようがない。
しかし青年には悪いが、おかげで今こうして自分の役に立っているのだから、シリウスからすればありがたい不幸に違いない。
きっとこの先も、こんなふうに信頼を重ねる機会が訪れるだろう。小さなことでも、大きなことでも。
花火が絶えず、夜空に栄える。月光をかき乱すほどの、激しく美しい炎の飛沫。
シリウスは、また仰いだ。ほんの一瞬の、空にしか咲けない大輪を、その青い瞳に 照々と焦がす。
そうして、ぽつりと、
「…………ライ……」
言葉の続きは、花火や周りの音に潰された。
どうやら誰にも、届いてはいない。




