青と赤 2
森を抜けた二人を祝福したのは、綺麗に晴れ渡る青空だった。
真っ白な雲が、輝く太陽の邪魔をしないように伸びている。くっきりと濃い青が更に白さを際立たせ、そんな空の下にいるだけで、全身が清められる気がした。
西側に、海が見える。涼しい風がふわりと髪を浮かせ、滲む汗を消してくれた。
そして、そんな海を背に建っているのが、【26番都市】の城壁。シリウスは嬉しそうに額に手をかざした。
「おー見えた。あれだな」
「はい」
黄土色の道は、途中で分かれることなく【26番都市】へと続いている。美しい緑の丘の奥には、個性的な形をした木が、一本だけ凜と生えていた。
「今回はどれくらい滞在しようかな。さっきの奴らのおかげでお小遣いも増えたことだし、いつもより長めにとっておくのも悪くないかも」
それでもいいか? と白髪の青年に確認をする。
青年は目を閉じて、シリウスに顔を向けないまま、
「我が主のお好きなように」
ただ、そう言った。
城壁の前まで辿り着き、シリウスは二人の門番に挨拶をして、中に入れてもらえるよう申請する。ここに来るのをずっと楽しみにしていたとシリウスが話すと、門番たちは嬉しそうに笑い、歓迎をしてくれた。
「どうぞ心ゆくまで、ご堪能ください」
「ありがとうございます」
左右に開かれたアーチ型の門を一歩越えると、その瞬間、なんとも風情あふれる街並みが目の前に広がった。
今まで見たことのない装飾様式の建物。レンガの造りに、格子の窓。古風ながらも近代化への一歩を踏みはじめた、そんな雰囲気が伝わってくる。
長方形の石で敷き詰められた道は、広々として歩きやすい。ほどよく植えられた木や花が、城壁の向こうから流れる潮風にそよいでいる。
何よりも、初めて訪れたのに、なんだか住み慣れた故郷に帰ってきたような、とても心地よい感覚を味わった。
「おお……すげえ」
想像以上の風景に、シリウスは圧倒と感動を受ける。白髪の青年は無表情だが、どうしてか、どこか腑に落ちないというような様子をしていた。
「なんか今来たばっかなのに、一生ここにいたい気持ちになった」
「そうですか」
「これは……、良いな。うん、すごく楽しみだ」
街を歩く人々の格好はさすがに現代のものだが、この場所だけがまるで、時代に取り残されてしまっているかのようだ。しかし乾いた平穏の中に、確かな活気も感じる。
とりあえず【22番都市】同様、街の入り口付近に建てられた案内の看板を見て、まずは宿屋を目指す。けれど、どうしても周りのものに目移りしてしまうシリウスは、先程から歩く速度がのたのたと遅い。
そして思った。今通っている住宅街は、古臭い佇まいは感じるにしても、建物自体は新築に見える。ひと昔前のデザインを用いた新しい家、という印象だ。
「てっきり、発展した街の中に当時のものが残されてるって思ってたけど、なんだか街全体が過去に合わせてる感じだな」
シリウスが率直な感想を呟くと、白髪の青年がそれに反応して返した。
「俺が知ってる【26番都市】と、だいぶ変わってますね。昔はこんな、あなたがおっしゃるように〝街全体が過去に合わせて〟はいなかった」
「えっ、そうなのか?」
「はい」
「お前が来たのって、何年前の話だ?」
「……もう、十年以上も前、ですかね」
「ふーん……」
そう言ってシリウスは、もう一度ぐるりと周囲を見回す。
「まあ十年も経てば、色々と大きく変わったりするよな。生まれた赤ん坊だって、一丁前に歩いて言葉を話す歳になるんだから」
「……そうですね」
青年は当時の記憶をさかのぼっているのか、ぼうっと生返事をする。シリウスはそれを注意することなく、彼の好きにさせた。
しかし、宿屋までの道を間違えたシリウスには気づいたようで、しっかり止めてから正しいほうへ導いた。
「ようこそいらっしゃいました、男性二名様ですね。それでは、宿泊の手続きをお願いします」
宿屋の女将が、手続きの用紙とペンを差し出す。シリウスは悩んだ挙句、滞在期間を五日にした。そして自分の名前と、泊まるときだけに使う、まだ確定していない従者の名を書こうとし、
「……」
いったん考えて、やはりいつもの名を記入した。
案内された部屋は、全体的に黒茶色で統一されたインテリアに、アクセントカラーとして赤が添えられた、やはり不思議と懐かしさを感じさせる空間だった。脚の短いベッドに、木製の椅子とテーブル。綺麗な花瓶も置かれてある。
「さて。すぐにでも街を見て回りたい気分だけど、とりあえず今日はもう休むかな。昼も過ぎてるみたいだし、夕方まで好きに過ごしてようぜ」
「わかりました」
「お前も、ちゃんと休んどけよ」
「はい」
「じゃあ俺は、先にシャワーでも浴びてくるかな」
荷物と『シオン』をベッドの上に置いたシリウスは、手をぱたぱたと扇ぎながら浴室へ向かう。
白髪の青年は窓を開け、室内を過ごしやすい温度に変える。そして窓の前にある小さな椅子に座り、あとはずっと外を眺めていた。
シリウスがシャワーから戻ってきて昼寝をし始めてからも、ずっと、その両目に世界の色を沁み込ませ続けていた。
宿屋のおいしい夕食を摂ったあと、シリウスは旅手帳に本日の感想を軽く記入し、夕食ついでに宿屋の人からもらったという街の案内図を広げた。
「もらったついでに聞いてみたんだよ。【26番都市】のことについて」
「はい」
シャワーを終えて、濡れた頭の上にタオルを乗せた青年が、相槌を打つ。
「元々は他の都市と同じように、普通の家や店が並んでたんだって。でもあるとき、せっかくここだけにしかない有形文化財が残されているんだから、この街そのものを、かつての暮らしとできる限り同じように造り変えようって思い至ったんだと。それが、今から約十年前」
「……なるほど」
「ここに住んでいるのは、それを受け入れた人や、そんな暮らしに憧れて引っ越してきた人ばかり。服装や食事までも模倣する必要はないけど、その辺りはやりたい人はやってるって感じらしいぞ」
「そうなんですね」
「楽しそうだよな。みんな好きに生きてるって感じがする」
「はい」
「俺もいつか、それができるといいんだが」
「……」
うらやましそうに言ったシリウスを、白髪の青年は黙って見る。それからタオルを取り、うやうやしく頭を垂れた。
「そのためのご助力は致しますよ、我が主」
「……」
今度はシリウスが無言になる。そして何故か、一瞬だけ難しい顔をして、
「ありがとな」
青年に悟られないように、感謝と笑顔で誤魔化した。
翌日、二日目の朝。
シリウスよりも先に目覚めた白髪の青年は、主人を起こさないように手早く身支度を整える。
それが終わってから、隠し持っている小さな武器や道具がまだ使えるかの点検をして、手入れをする。
「……おはよう」
「おはようございます」
寝起きの低い声で朝の挨拶をしたシリウスは、少しだるそうに頭を掻いて、のそりと起きて洗面台へ向かう。しかし冷たい水を浴びてからはすっきりとした顔つきに変わり、着替えて窓の外を見た。
「なんか曇ってるなぁ。せっかくなら晴れてほしかった」
「太陽が見えていないわけではないですし、午後からは晴れるかもしれませんよ」
「んー、だといいけど」
宿屋の食堂で朝食をいただいたあと、早速街の中を歩くことにした。気温だけはあいかわらず高い。
案内図によると、ここは住宅街と商店街が綺麗に分かれており、有形文化財は後者側にあった。
ちょうど朝と昼の中間の時間帯に入ったところだが、街は既にシリウスたちと同じ観光客と、彼らをもてなす人々で盛り上がっており、お祭りのようなにぎわいを見せていた。否が応でも、心が昴る。
「さて、まずは何を見に行こうかな」
地図を両手に迷っていると、朗らかな中年の男性が声をかけてきた。昨日来たばかりで、特に見て回る順番は決めていないとシリウスが言うと、だったら観光辻馬車に乗るといいよ、と教えてくれた。
「君らのようなお客さんのために用意された、専用の馬車さ。この都市の良いところを余すことなく回ってくれるよ。多少、お金はかかるけどね」
「なるほど……。いいかもしれませんね」
すると気前のいいその人は、わざわざ馬車があるという観光案内所まで連れていってくれた。ありがとうございます、とシリウスが丁寧にお礼を言うと、男性は親指を上に立てながら去った。
所内に入り、先ほど教えてもらったことを伝える。受付の若い女性が、ちょうどこれから巡覧が始まるところでした、と席を立つ。建物の裏手まで一緒に小走りで行くと、出発の準備を整えた馬車がそこにあった。
「すみません、こちらの二名様も乗れますか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
カンカン帽をかぶった御者が快く承諾し、シリウスは受付の女性にお金を払った。
すみません、と頭を下げながら二人は乗車する。既に乗っていた家族連れや老夫婦たちは、皆にこにこ笑ってお辞儀をした。
「さあ、それでは出発しますよ」
御者が手綱を動かす。指示を受けた馬は一歩、また一歩と足を進め、シリウスたちを乗せた馬車をゆっくりと牽引した。




