ゴーグルの男 2
やがて、ライファットが奴隷を連れて戻ってくる。標準的な体格で、真面目そうな印象の若い男性だった。
いかがですか? とシリウスが聞くと、ケンフェルは奴隷を一度見ただけであっさりと承諾した。気に入ったわけではなく、先ほど提示した条件さえ満たしていれば、あとはどうでもいいようだった。
「値段は?」
「……二十万です」
シリウスがそう答えると、ケンフェルは部下の一人に声をかけて小切手を用意させる。そのままカウンターに置いてあるペンを勝手に取ってさらさらと書き、小切手をシリウスに渡した。
「あとで取りに来い、邪魔したな。……おらレガシー、お前も行くぞ」
「は、はいっ! シリウスさん、ライファットさん、またね!」
自身を買うのが大陸遵行隊だと悟り、困惑の表情を見せる奴隷の男性。だがそんなことはおかまいなしに、ケンフェルは部下に奴隷を連行するよう指示して、足早に帰っていった。レガシーも、それに続いて出ていく。
しんとした空気が、店内を包んだ。
「……大陸遵行隊が、奴隷を雑用係に、ねえ」
「雑用?」
購入に至った理由をまだ知らないライファットに、シリウスが説明した。なるほど、と頷いたライファットだが、あまり腑に落ちてはいないようだった。
「まあ、人件費を損なう心配はないですよね。奴隷ならタダ働きさせればいいんですから。けど逆に、遵行隊がわざわざ購入してまで奴隷を使うのか? という疑問もあります」
「そうなんだよなぁ……。あの副隊長とやらの様子を見るに、何か別の用途がありそうな気もするけど……。ま、俺たちには関係ないか」
と、ここでシリウスは、あることを思い出す。
「あ、しまった。契約書を書いてもらうの忘れてた。あと確認書も渡してねえや」
相手が大きな組織だからといって、店のルールを曲げるわけにはいかない。シリウスは外に出るが、もう一行の姿はなかった。
「うーん、どうすっかな。小切手の換金もあるし、店が終わったら支部に行くか」
「そうですね」
大陸遵行隊より発行された小切手は、隊の本部または支部にて換金ができる。入口に受付があるので、そこで手続きが可能だ。
本日の営業は少しだけ短縮することにして、仕事を終えた二人は支部へ向かう。夕食にはまだ早い時間帯だが、雪の街の空はもうオレンジ色に染まっていた。
支部は二階建てで、蜂蜜色の美しいレンガが特徴的だ。入ってすぐに受付があり、市民の依頼や相談などもそこで対応している。
シリウスは受付の女性に小切手を渡した。女性は確認をするために一度奥へ下がり、戻ってきて手続きを済ませる。
「ケンフェル副隊長よりお話は伺っています。こちら、お気をつけてお持ち帰りください」
「ありがとうございます。あともう一つ、お伝えしたいことがあるのですが……」
「はい?」
二十万のお金が入った小さな封筒を受け取ったシリウスは、続けて契約書と確認書が入った大きな封筒を見せた。説明を聞いた女性は、少し悩んだ口調でかしこまりましたと言う。
「ケンフェル副隊長に伝えて参ります。少々お時間がかかるかもしれないので、あちらの席でお待ちください。あと、こちらの封筒はこのままお預かりしてもよろしいですか?」
「はい、お手数おかけします」
特別急ぐ案件でもないので、指示された場所に座っておとなしく待つシリウスとライファット。気楽に雑談を交わしていると、元気よく二人の名前を呼ぶ声が届いた。
「やっほ! またすぐに会えちゃったね!」
「おっ、レガシーちゃん」
嬉しそうに駆け寄るのはレガシー。話は既に理解しているようで、先ほどシリウスが受付の女性に渡した封筒を、じゃじゃーんと言って見せた。
「副隊長からサインもらったよ!〝奴隷屋のくせにこんなめんどくせえことしてんのか〟って文句言ってたけど、私がしっかりと書かせたから、安心して!」
「そっか。頼りになるな、レガシーちゃんは」
お礼を述べてからその場でサインを確認して、さて帰ろうかと立ち上がるが、ライファットが興味本位で、あの奴隷は今何をしているのかを尋ねた。
「隊服に着替えてもらって、副隊長と一緒にまた外に出ちゃった。整備隊の代わりに雪かきとかを任せるから、具体的なエリアを教えるんだって。ギリギリ入れ違いにならなくてよかったー」
「副隊長が、直々に教えるのか?」
シリウスの問いに、レガシーが頷く。
「うん、そう。てか私もさっき知ったんだけど、そもそも奴隷の人にお願いしようって提案したのが副隊長で、隊長に許可をもらった上でシリウスさんのお店に行ったらしいよ。副隊長、ちょーっと見た目がアレだけど、わりと律儀なとこあるから、ちゃんと自分が責任持って世話するんだって言ってた」
「……ふーん」
同じく見た目のわりに律儀かつ真面目な男が『身内』の中にいるシリウスは、抱いた疑義は単なる気のせいかもしれないと改める。
何はともあれ、用事は済ませた。レガシーはまだ勤務中なので、おしゃべりもそこそこに切り上げて帰宅することにした。
「ねえ、今度みんなでご飯食べようよ! イグリさんとかも誘ってさ!」
「それはとても良い。少し前に旨いチーズ料理の店に行ったんだが、また食べたくなってきた。シリウスさん、帰りに寄りませんか?」
「今度レガシーちゃんたちとそこに行こう、じゃなくて、今俺たちだけで行くのかよ」
「いいなぁ、私も久々にがっつり食べたい! チーズおいしいよね、私も大好き!」
両手を合わせて楽しそうにするレガシーに釣られて、笑顔になるシリウス。ライファットもこのあとの夕食と、みんなで行く食事に思いを馳せていた。
そのときである。
「たっ……大変だ!」
一人の男性が、慌てた様子で支部に入ってきた。どうしたんですか? とたまたま近くにいた女性隊員が聞くと、男性は冷や汗をかきながら伝える。
「ば、爆発が起きたんだ! ここから少し離れたところで……! 音が聞こえて見てみたら、煙が上がってて……!」
それを聞いた瞬間、嘘でしょ!? と驚いたレガシーが外へ飛び出した。シリウスはとっさに近くを歩いていた受付の者に荷物を預けて、ライファットと共に後を追う。そうして見えたのは、美しい夕焼け空を汚す、黒と灰色が混ざった煙だった。
民家で火事でも起きたのだろうかと推測するシリウスの横で、レガシーの顔色が、みるみるうちに青ざめていくことに気づく。
「あ、あそこ……。ケンフェル副隊長がさっき向かった場所なんじゃ……」
「……えっ?」
震える指先で、開いた口を覆う。だが、信じたくないと強張っていく身体を鼓舞して、レガシーはケンフェルの無事を確かめるべく一人で駆け出してしまった。
「……どうしますか? シリウスさん」
「ううん……、俺らも行くかぁ……」
ケンフェルも一応気にはなるが、何より仲のいいレガシーを放っておけない。なるべく厄介ごとには首を突っ込みたくないと思うシリウスだが、今回ばかりはそうも言ってられないと、レガシーの背中を追いかけることにした。




