奴隷屋 2
本日最初の客は、紳士的な雰囲気の老爺。顔は皺だらけだが、背中はしっかり伸びており、片手にはハンドバッグが握られている。
いらっしゃいませ、と椅子から離れて歓迎の挨拶を述べるシリウスに、老爺は帽子を軽く取って応じる。
「〝人狼〟が入荷したと聞いてね」
「おっと、お耳が早い。ついさっき、広告所に貼ったばかりだというのに」
広告所とは、その都市の店のチラシがたくさん貼られた、無人の公共施設のことだ。
「入荷したのは、一つだけかい?」
「そうです。といってもまだ小さな子どもで、能力とかはよくわかっていませんが」
「構わないよ。見せてくれるかな?」
「わかりました。ではおかけになってお待ちください」
シリウスは老爺をソファーにいざない、店の奥へと一旦下がる。老爺は観葉植物や天井を眺めながら、のんびり待つことにした。
それから少しばかり経って、シリウスが子どもを抱えて戻ってくる。桜色の髪の、まだ三歳程度の幼女であった。
綺麗に洗われた清潔な身体と、街で売られている至って普通の服。
そしてその細い首には、黒い首輪がはめられていた。
「……思っていたよりも、子どもだね」
「でしょう」
チラシに子どもとは書いていたが、せいぜい十歳程度だと勝手に思っていた老爺は、愛くるしい幼女の瞳を見て、まあまあたじろぐ。
一方幼女は、短い指でシリウスの服をしっかりと握りながら、頬を肩に乗せていた。自分が置かれている状況など露知らず、安心した様子で。
「いくらだい?」
「正直、まだ商品としての質を見極めている途中でして……。そういう意味で、今ならお手頃価格で売ってもいいかなー、と」
「……いくらだい?」
「四十万です」
人狼とは、人間と似て非なる種族のことだ。身体の一部、主に腕を変形して戦うことができ、形や能力は個々によって異なる。
また人狼は〝煌核〟と呼ばれる命の輝石を体内に宿し、それによって強い生命力や戦闘力を持つ。かつてその煌核を求めた人間と争った結果、人狼の数が減少してしまう。また人狼によっては他者の傷を癒す力を持ち、人間に使役されていた。煌核も医療技術の発展に充てられ、望まぬ貢献を果たした。
時が過ぎ、表面上では人狼狩りは収まったように見えるが、それでも〝害悪種族〟と蔑まれ続けている。
能力は人間よりも優れているので、まともに戦えば人狼側に軍配が上がるはずだが、人狼には一つ弱点がある。それは人間が発する言葉の暴力、つまり〝負の感情〟である。負の感情は煌核にとって毒であり、冒され続けると精神が崩壊し〝墜狼〟という殺戮人形になってしまう。なのでそれを防ぐために普通の人間を装い、ひっそりと生きる必要があるのだ。
だがあえて孤独を選ぶ者や、誹謗中傷をものともしない者もいる。
シリウスは、人狼であろうと人間であろうと、奴隷は奴隷として扱う。彼なりの価値観を持って。他人からするとその価値観は少し変わっているかもしれないが、シリウスにとっては何も特別なことなどなかった。
奴隷屋として儲けているのだから、結果成功しているのだから、それでいい。
「なんで、ここにきたの?」
つい先程まで他の奴隷たちに遊んでもらっていた幼女は、自分だけがここへ連れてこられた意味を理解できず、素直な質問をぶつける。
それに対しシリウスは、こう答えた。
「久々に外で遊びたくないか? 今日は天気がいいぞ」
外、という一言を受けて、幼女の顔がからりと眩しくなる。そして、あそびたい! と身体を揺らしながら喜びを表現した。
自身の未来が今まさに、二人の人間の交渉によって変えられようとしているなんて、到底気づかずに。
老爺はそんな幼女を、黙って見続ける。それから顎に指を当て、低く唸った。
「ふむ……四十万か……」
「他の店だと、人狼はかなり値が張るみたいですね。女性だと特に。この子はまだ小さいですけど、将来はあなた好みの美女になるかもしれませんよ?」
「ははっ、〝これ〟の将来なんてどうだっていいんだよ」
老爺は陽気に笑ったあと、ハンドバックを持ち直して言った。
「買おう」
「……。ありがとうございます」
お菓子を用意して幼女をソファーに座らせている間、シリウスと老爺はカウンターにて、奴隷購入の手続きを済ませる。
どのようにして奴隷を手に入れたかの簡単な説明と、健康状態。人狼の場合は能力などを追記した確認書を渡し、契約書にサインしてもらう。老爺はハンドバッグの中から取り出した札束を、静かに置いた。
シリウスはその札束を手に取り、一枚一枚、しっかりとかぞえる。
「……はい、ちょうどですね。お買い上げ、ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう」
老爺はゆっくりと立ち上がる。そして、自分のものとなった幼女のもとへ歩き出す。
こちらには目もくれず、夢中でお菓子を頬張る小さな女の子に、老爺は優しく微笑みかけた。
「さあおいで。今日から君は、うちの子だ。私が君の〝おじいちゃん〟になるんだよ」
「……おじい、ちゃん?」
幼女はつたない言葉遣いで繰り返す。ああそうさ、と頷いた老爺は、子ども特有の柔らかな髪をそっと撫でた。
「私と……、おじいちゃんと一緒に外へ行こう。いろんな場所に、連れていってあげる」
「……うんっ!」
どうやら、老爺を気に入ってくれたらしい。
シリウスは、幼女に着けられた首輪をはずした。これは特注品なので、丸ごとくれてやるわけにはいかない。
玄関まで向かい、購入を決めてくれた客を見送る。さむいさむい! と雪の上で元気に走り回る幼女を眺めながら、シリウスは口を開く。
「ところで、聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「あの子を買う理由です」
「ああ……」
特に隠す素振りも見せず、老爺は素直に答えた。
「私の友人にね、人狼に興味を持つ者がいるんだよ。奴らの生体について、ね。だから若いときはよく、その辺の害悪どもを捕まえては好き勝手いじっていたんだけど、さすがに今のご時世ではまずいんじゃないかって私が話すと、友人は奴隷商人や奴隷屋から人狼をあさるようになったよ。……友人は売値を上回る金額で、私から〝あれ〟を買ってくれるだろうね」
「なるほど」
シリウスは、驚きや嫌悪感などは一切出さない。ただなんとなく抱いた疑問の答えを知れて、満足したという様子だった。
「君の従業員にもいるよね、人狼の青年が。さっきは姿を見せなかったけど」
「ああ、あいつはちょっと出張中でして。……あなたのご友人には言わないでくださいよ?」
「わかっているさ。彼は君のものだからね」
互いにひっそりと笑い合ったのち、〝おじいちゃん〟は尚もはしゃぐ幼女を呼びかける。それに応じた幼女は、嬉しそうに駆け寄った。
「ねえみて、おじいちゃん。おはながあったよ」
「ああ……。綺麗だね」
幼女が手にした花。それはこのカレスティア大陸では一般的で、極寒の地だろうと極暑の地だろうと、どこにでも咲く白い花だった。
そのまま幼女はシリウスのもとへとことこ歩くと、握りしめた花を渡す。
「はい、これあげる」
〝おじいちゃん〟に出会わせてくれた、感謝のつもりだろうか。シリウスは微笑む。
シリウスは腰をおとして、幼女から花を受け取り、その瞳を見つめる。そして最後にかけた言葉は、〝ばいばい〟だった。
「ばいばーい」
本当に何もかもを理解していない、人狼の幼女。あの子は最後まで何も知らず、またシリウスも、この先のことなど知る必要もない。
老爺と幼女が、手を繋いで帰っていく。そのうしろ姿は、どこにでもいる普通の祖父と孫娘だった。
こうして、ひと仕事が終わった。ふぅ、と商品が売れた達成感の息を吐いてから、シリウスは空を見上げる。晴れて美しかった。くっきりとした青が、まるでお祝いをしているかのようで。
「売れてよかった」
それだけを呟いて、花を握りしめた若い店主は、また店の中へと戻っていった。