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奴隷屋の日常  作者: 坂牧 祀
29/53

キトリーの日記 2


「シリウスさん、何さぼってるんですか」


 ひょこっと扉の向こうから顔を出したのはライファット。その手には、モップが握られている。

 ああ悪い悪い、と足を組みながら椅子に座るシリウスは、本を閉じて机の上に置いた。


「なんの本ですか? それ」

「日記だよ。キトリーの日記」

「キトリーって……、前に売れた奴ですよね」

「そう。そいつの日記が残ってたんだ」


 出ていくときに忘れたのか、それともわざと置いていったのか。どちらでも構わないが、今のシリウスにとって息抜きになったのは確かだ。


「早くやっちゃいますよ。じゃないと、跡がこびりついて取れなくなる」

「はいはい、わかってるよ」


 ライファットに叱られて、シリウスも近くに置いたもう一本のモップを取って立ち上がる。シリウスがいたのは、キトリーが自室として使っていた部屋だった。


「『処理班』、早く来るといいですね」

「だな。ここじゃ換気できないから、さっさとしないと臭いがこもっちまう」


 二人は、奴隷たちの食堂兼リビングへ歩く。

 改めて現場を見た。


 命とは、人間とは鉄くずによって生成されていたのかと、常識が塗り替えられそうなほどの臭いがどろりと充満している。

 壁や床、家具にべったり飛んで広がった赤い空間は、まだ完全に乾ききってはおらず、推測するに昨日のうちに作られた。


 どうやら一人の奴隷が躍起(やっき)になって、ここにいる全員を皆殺しにしてしまったらしい。


【三号】と書かれた首輪をはめた奴隷が壁にもたれかかり、腹部には包丁が深く刺さっている。他の死体にも刺し傷や切り傷があり、逆にそれ以外の損傷がなかったため、この包丁ひとつでおこなわれたのだろう。

 おそらく、【三号】が実行犯。そしてその後、自ら命を絶った。


「こいつ……、マルセルか」


 よくも大事な商品たちをかっさらってくれたな、とシリウスは【三号】の前にしゃがんで文句をたれる。とっくに生気を失くした真っ白なその顔は、かすかな笑みに歪んでいた。

 シリウスはそんな彼を忌々しく思うこともなく、哀れに思うこともなく、ただじっと見つめるだけに終わった。


【二号】と書かれた首輪の、ヨーン。

【六号】と書かれた首輪の、ロレッタ。


 その他、解放を待ち続けた奴隷たち。だが彼らは、別の形で〝自由〟を手に入れるはめになった。望んでも望まなくても、彼らはもう、この地下と首輪に囚われることは、永遠にない。


 白目を剥き、血の泡を吐き、真っ赤に染まる五つの死体。

 例の『死体処理班』たちがこれらを欲しがるかはわからないが、さっさと片付けないと、また新しい奴隷を仕入れることもできない。


「まあ死体愛好家のあいつなら、喜んで飛びつきそうですけどね」

「でもあいつ、〝なんで現場保存しておいてくれなかったんですか!?〟とか言ってきそうだなぁ。こういう血生臭いところ好きだし」

「確かに言いそうですね。面倒だ」


 奴隷たちに包丁を持たせる危険は重々承知だが、もし今のやり方を変えると、毎日の食事をシリウスたちのほうで用意しなければならない。その手間を考えると、やはり今のままでいい。

 次また連れてきた奴隷には、今回のことを教訓としてよく伝えておけば、きっと迂闊(うかつ)な行動はとらないだろう。


〝自分は人間だ〟という認識がある以上、大抵は死を怖がり、拒むはずだ。


 さて。自分たちも早くここから出ないと、嗅覚がおかしくなってまともな食事が摂れなくなる。それだけはしっかりと感じたシリウスは、形ばかりの軽い黙祷(もくとう)を済ませ、ただ無駄に重いだけとなった肉のかたまりを雑に掴んだ。とりあえずこれらは邪魔なので、まずは一ヶ所の部屋に押し込むことにする。


「なあライファット」

「なんですか?」

「これが終わったら、良いもん食おうぜ」

「それは楽しみです。何にしますか?」


 死体をずるずると引きずりながら、食べ物の話をする二人。良いものと言われると、ステーキやピザといった料理が思い浮かぶが、シリウスが提案したのは……。


「マンゴー」

「……マンゴー、ですか?」


 まさかの果物に、ライファットは思わず首を傾げる。しかし聞き間違いでも言い間違いでもなかったようで、うんとシリウスは頷いた。


「俺も、ちゃんとした海の味を知りたくなった」

「海の味……ですか」

「ああ」

「……シリウスさんが海について触れるなんて、珍しいですね。まあ、あんたがそう言うなら」

「ああ」

「でも、ちゃんとご飯も食べたいです」

「ああ、わかってるって」


 にっと屈託のない笑顔を浮かべたシリウスは、キトリーが見惚れ、憧れを遠くに映した青い目を、静かにゆっくりと開閉した。




「キトリー。お前だけはまだ、まともな夢が見れるだろうよ」



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― 新着の感想 ―
キトリーさんはお婆さんに買い取られて、きっと孫娘さんのお世話に忙しい日々を送っていることでしょう……。 キトリーさんの日記を読むことで奴隷たちがただの番号ではなくヨーンおじさんだったりマルセルだったり…
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