奴隷屋と萬屋 13
すっかり夜となった【8番都市】の城門をくぐると、一人でずっと待っていたらしいエンニオが、シリウスたちの帰還に気づいて駆け寄ってきた。
「兄ちゃんたち無事だったか! おかえり!」
「遅くなってしまいすみません。こちら見つけましたので、お渡しします」
事前にライファットから預かっていたイグリは、エンニオに例のお守りを渡した。本当にすまねえな、と感謝と申し訳なさに眉をひそめたエンニオは、全員に怪我がないことを確認する。
「報酬は普通に金でいいか? 明日までに準備して、仲間に頼んで届けさせるよ。……ん?」
そのとき、イグリのうしろに隠れていた褐色の子どもに目が留まる。指をさして尋ねるエンニオに、イグリが経緯を説明した。ベアタという名と、両親を輩に殺されて行き場がないということ。人狼であることは伏せた。今は心が落ち着いたためベアタの右手は元に戻っており、肉眼で正体がばれることはない。
「こんなちっちゃい子を奴隷商人にだと……? とんだクソ野郎……、あっ、いや、ごほん! ま、まあ、助けられてよかったな!」
シリウスとライファットが奴隷屋であることを思い出し、咳払いで誤魔化す。聞かなかったことにしたシリウスは、ここまで連れてきたはいいが結局ベアタをどうするべきか考える。
「【8番都市】に孤児院はないし、どこか一番近い都市にないか探してみるか。ライファットはわかるか?」
「うーん……。俺が知ってるのは【4番都市】だけですね」
「遠いな……。イグリやエンニオさんは?」
「わりいけど知らねえな……」
「ボクもわからないな。だがこの子を連れていこうと判断したのはボクだから、引き取り先が見つかるまでは責任をもって面倒をみるつもりだよ」
どこか重々しい雰囲気の大人たちの会話を黙って聞き、不安そうな表情を浮かべるベアタに気づいたイグリは、その頭を優しく撫でる。心配するな、と一言添えると、迷いながらもこくんと頷いてくれた。
「……」
そんな様子を見ていたエンニオ。じゃあ今日はとりあえず解散するか、と腕を伸ばして言ったシリウスに皆が同意し、それぞれ帰宅しようとした瞬間、
「ちょっと待ってくれ!!」
エンニオが、突然制した。おおげさなくらいの大声だったので、その場にいた全員が驚いた。
シリウスが聞く。
「な、なんですか?」
「す、すまねえ、デカい声出しちまって……! いや、その子なんだけどよ……。よければ俺に引き取らせてくれねえか?」
「……え?」
予想外の答えに目を丸くする。エンニオは、手の中にあるお守りに視線を落としながら説明した。
長いこと独り身だったエンニオは、結婚や家庭というものに憧れはあるものの、今日まで縁がなく寂しい思いをしていた。身の回りの既婚者の幸せそうな話を聞くたびに憧れは募り、しかし自分にはきっと無理なのだろうとほとんど諦めかけていた。
「ほら、このお守りも、娘の手作りだから大切だって言ってただろ? 俺もさ、そういう父親の気持ちを味わいたいんだよ。子どもを守る心とか、愛情とか……。自分の家族と一緒に暮らす幸せを、俺も知りてえんだ」
「……そうですか」
イグリが相槌を打つ。シリウスとライファット、そしてベアタが、エンニオを見つめていた。
「こ、子育ての経験どころか、子どもと接したこともあんまりねえけどよ……。俺に任せるのはやっぱ、厳しいか……?」
自信なさそうにうつむくエンニオに、少なくとも子育ての経験は自分たち三人にもないと、イグリは言った。
「しかし、他人の子を育てたいという気持ちを持つ人を見つけること自体難しいと思うので、ボクとしては是非あなたにお願いしたいとは思います。……ベアタ、どうする?」
子どもに決断を委ねるのは酷かもしれないが、決めるのはベアタであると、イグリはその小さな背中をそっと押した。
一歩前に出たベアタは、改めてエンニオという人物を見上げる。顔と、体格と、声と、先程の言葉……。その全てを自分の中に収めて、彼との生活を想像した。
「…………うん、いいよ」
時間をかけて出したベアタの答えに、エンニオはぽかんと口を開けた。それから徐々に声を震わせて、本当にいいのかと聞く。
「うん」
確かに頷いたベアタに、よかったですねとシリウスが笑う。これで一安心だとライファットとイグリも顔を見合わせる。そしてエンニオは、
「うおおおおおっ!!」
また突然の大声。両手を強く握りしめ、夜空に向かって声が裏返るほどの雄叫びを上げた。そのままベアタを高々と抱き上げたかと思うと、まるでこの世の宝を手に入れたかとでもいうように喜びを全身で表した。
「子どもだ!」
「子どもだ!!」
「俺の子どもだーーーっ!!」
その浮かれようは当然、周りの人たちの注目を集める。事情を知らない者らはひそひそと小声と共に遠ざかり、当事者であるシリウスたちは苦笑いを浮かべて申し訳なさそうに頭を下げながらも、新しい家族の誕生を素直に祝福した。
「……そういや、例の事件の犯人とやらには会わなかったな。まさかあの雑魚三人ではないだろうし。ま、いっか」
結局たいした危険もなく、全ての依頼は無事完了した。
星が散らばる黒い空を仰いだシリウスは、大陸遵行隊を悩ませる事件をふと思い出したものの、無関係でいられるならそれに越したことはないと、あまり気にしないことにした。
+ + +
それからしばらく経ったある日。
普段通り奴隷屋を経営しているシリウスとライファット、買い物帰りに立ち寄ったイグリの三人が雑談をしていたときである。
「そういやベアタ、どうなったかな」
「人狼ということがばれていなければ、普通に暮らせているんじゃないですかね。あとは人狼関係なくあの男が児童虐待をしていなければ、ストレスで墜狼になることもないでしょうし」
「虐待をするような人には、ボクには思えなかったが……。まあ父親と息子、仲良く暮らしていることを願うよ」
「そうだな。あの人のもとだと、快活な息子に育ちそうな気がするよ」
のんびり会話を進めていると、ちりんちりん、とドアベルの涼やかな音が来客を知らせた。
「おう、奴隷屋の兄ちゃんたち! おっ、萬屋の兄ちゃんも一緒か!」
ちょうどよかったぜ、と満面の笑みで入ってきたのは、今まさに話していたエンニオ本人。右手には袋を二つ握っている。
お久しぶりです、と歓迎したシリウスは、エンニオのうしろからひょこっと顔を出す子どもの存在に気づいた。
「お兄ちゃん、こんにちは!」
元気に挨拶をするその子どもは、褐色の肌と、透き通るような水色の長く綺麗な髪を持っていた。藍色のかわいらしい服装がよく似合う、とても可憐な女の子である。
「……、女の子?」
思わず二度見をして、きょとんとするシリウス。ライファットとイグリも同様だった。その反応を前に、俺も驚いちまったんだけどよぉ……とエンニオは照れ臭そうに頭を掻く。
「最初会ったときは髪も短かったし、てっきりベアタを男だと思ってたんだが、実は女の子だったんだよ! つまり娘だ! 息子でももちろんよかったんだが、娘とわかって以降、もうより一層かわいくてなぁ! お洋服とか靴とか、既婚者の仲間に相談しながら色々買い揃えて、もう全部似合ってんだわこれが! 地上に舞い降りた天使とはベアタのことか!? っていうぐらいにな! だから今日は、お披露目したくて来たんだ! どうだうちの娘!? 最っ高にかわいくないか!?」
ベアタの横にしゃがんで堂々と自慢するそれは、まさに親馬鹿の姿。えへへと嬉しそうに微笑む、すっかり見違えたベアタを前に、シリウスは代表して感想を伝えた。
「い、いやぁ……。俺たちもてっきり男の子だと思ってたんで、正直びっくりしました。女の子だったんですね……。でも、そうですね。とてもかわいらしいです。綺麗におめかししてもらえてよかったな、ベアタ」
軽く膝を曲げてそう笑うシリウスに、うん! と大きく頷いたベアタ。それだけで感極まったのか、エンニオは人目を憚らず男泣きをした。
「……あ、そうだ! こんな天使に会わせてくれた兄ちゃんたちに、俺の個人的な感謝の品も用意したんだ!」
涙を拭ったエンニオは、携えた二つの袋をシリウスに渡した。受け取るとずっしり重量感があり、中身を確認すると、丸々一羽分のウサギの肉がたんまり入っていた。
「好きに調理してやってくれ!」
輝く顔で親指を立てるエンニオの真似をして、短い親指をぐっと立てるベアタ。
血の繋がりがなくとも、すっかり良い父娘関係を築き上げている二人の姿。それは既に家族を亡くしているシリウスの心を、ほんの少しだけ刺激した。
「……よかったですね、本当に。これからもどうか、共々お幸せに」
「ああ。……本当にありがとよ!」
最後にもう一度だけ礼を言って、父娘は店を出た。
お父ちゃん、手ぇつなご。
おう、いいぞ!
そんなやりとりを、扉越しに残して。
「……あの様子だと、例え人狼だとばれても問題はなさそうですね」
「……ああ、そうだな」
ところでそれはなんだったんですか? とライファットはもらった袋の中身を尋ねる。ウサギの肉だと教えると、今晩のおかずが決まったと喜んだ。
「んー……。でもせっかくだし、これ使って三人で呑むか? 久々だろ、そういうの」
このままイグリにもう一袋を渡して終わりでもいいが、どうせなら三人で仲良く消費しようと、シリウスは提案した。
「いいですね、場所はうちにしますか?」
「そうするか。……イグリ、どうだ?」
シリウスは、うしろにいるイグリに聞く。
イグリは、すぐには答えなかった。しかし心の中では即決している。一旦悩むふりをしたのは、即答したことをからかわれたら、恥ずかしいと思ったからである。
「ああ、いいぞ」
「よっし、決まり! じゃあ萬屋が終わったらまた来てくれ。あ、料理はこっちで作っとくから、酒の用意頼むぜ?」
「わかった」
「楽しみですね。イグリ、良い酒を持ってきてくれよ?」
約束を交わし、笑顔になる男たち。
〝家族〟という繋がりではないし、比較するものでもないが、幸せの度合いはこちらだって負けてはいない。……そう、シリウスは思った。
「今の俺にだって、ちゃんと大事な奴はいるからな」
「……ん? 何か言ったか?」
「何か言いましたか? シリウスさん」
同時に顔を向ける『身内』二人を前に、シリウスの両目が満たされる。なんでもないと首を横に振り、物言わぬウサギの肉の袋を持ちながら、自分だけに言い聞かせる声で呟く。
「俺だって幸福だよ。命を踏み台にしながら生きる道も、案外眩しいもんだ」
窓から注がれる光は、確かにシリウスを照らしている。
太陽を浴びる日々がいつまで続くかはわからないが、この人生を神から見逃してもらえるまでは、せめて、少しでも存えていたい。
奴隷屋の店主は、そんなことを願った。




