奴隷屋と萬屋 10
森を囲む空気が、より低く冷たくなる。
家に戻ったら熱いコーヒーが飲みたいな、なんて思いが頭に浮かんだシリウスは、帰り道を歩きながらこんな話題を振る。
「なあ、イグリっていつ頃コーヒー飲めるようになった?」
「ん? そうだな……。……身近にコーヒー好きの奴がいて、そいつによく飲まされていた。大体十四、五歳くらいだったかな」
「お前にも十四歳のときがあったんだな」
「当たり前だ」
イグリに対して、ちょっかいをかけずにはいられないライファット。そういうお前はどうなんだ、と顔をしかめながらイグリは聞く。
「正直、俺はずっと苦手だった。シリウスさんのおかげで、ようやく飲めるようになったよ」
「なんだ、そうだったのか」
「まあ、コーヒーなんてただの嗜好品だからな。これが飲めるから大人だ子どもだって、そんなのは関係ねえよ」
最初のうち。旅をしていたときはシリウスに従う者として、顔に出さずに黙って飲んでいた。だが、飲むペースが他の飲み物と比べて遅いことを指摘されたとき、ライファットは素直に白状した。
それからは、自分に合わせずに好きな物を頼んでいいと言われてそうしていたのだが、【8番都市】で共に暮らす中で、徐々にコーヒーに対して興味を抱くようになる。
「奴隷屋を始めて、段々お金に余裕ができたとき、シリウスさんが器具や豆を揃えるようになったんですよね。で、淹れている音や匂いを間近で感じるうちに、俺も味わってみたくなった」
水の量を雑にはかってはいけないとか、コーヒーをたてる時間は豆の粗さによって変わるとか、細かいが〝おいしい味〟を生むために必要な知識を、実践を交えながら教えてくれる若い主人。
そうして一口ずつ、ゆっくりと味を身体に染み込ませていき、しだいに角砂糖やミルクがなくとも飲めるようになったという。
「周りの奴が言う、コーヒーに対する〝良い匂い〟というのが長いことわからなかったけど、シリウスさんが淹れてくれるやつは特別おいしい匂いがすると思います。粉にしたときの香りや、淹れるとき。そしてマグカップからの漂い方が、なんかこう、綺麗なんですよね」
「めちゃくちゃ褒めてくれるな、ありがとう。……俺も別にプロを自称するわけじゃないけど、家族に教えてもらったから」
「コーヒーが好きな家族だったのか」
「ああ」
頷いたのと同時に、シリウスの表情は柔らかいものへと変化していく。
「母親がコーヒーにすげえこだわる人でさ。淹れ方はもちろん、品質の良い豆やその保存方法なんかも、色々教えてもらったよ。家族みんな、淹れるのが上手かった。だから俺も、な」
「なるほど。シリウスさんのコーヒーがおいしいのは、そのおかげなんですね」
なんだか飲みたくなってきました、とライファットが空を仰ぎながら言う。帰ったら淹れてやるよ、とシリウスが笑った。
「……そんなに旨いのなら、奴隷屋ではなくコーヒー屋のほうがよかったんじゃないか? 喫茶店とか」
「あー、それもアリだったかなぁ」
「なんで、奴隷屋を選んだんだ?」
今の仕事に決めた理由を、実は知らないイグリが聞く。
んー……、と何故かたっぷり焦らすシリウスは、やがて、こう返答した。
「結局、人が一番金になるんだって、気づいちまったからかな」




