奴隷屋と萬屋 9
帰りも特に問題なく、このまま無事に街へ戻れそうだと皆が思った瞬間、
「……あっ!」
エンニオの仲間の一人が、何かに気づいて声をあげる。どうした? と別の者が聞くと、その男性は森を抜けた道を振り返りながら口を開く。
「お守りがない……。娘からもらった、手作りのお守りが……」
「は?」
おそらく狩りの最中に落としてしまったのだと、途端に男性は子どもみたいに焦り出す。
一緒に探してやりたいが、もうそろそろ陽が落ちる頃なので、また明日にしようとエンニオは言う。だが男性は首を横に振って、森へ戻ると言ってきかない。
「あのお守りが動物に食われたりしたら大変だ! 俺は行くぞ!」
「おいおい……。せっかく何事もなく終われそうなのに、墜狼なんかに出くわしたらどうすんだよ」
「独り身のエンさんにはわかんねえだろうけど、娘からもらったもんってのは何よりの宝物なんだよ!」
「な、なにおう!?」
父親としての心がつい失礼な発言を走らせ、二人は睨み合う。おいおいどうするよ、と他の仲間たちも困った様子を見せる。
だが、
「それなら、ボクが探してきましょう。たとえ墜狼や、例の事件の犯人とやらに遭遇したとしても、きっとなんとかなります」
イグリが、そう提案した。本当に大丈夫なのか? と心配そうに尋ねるエンニオに、イグリは迷いなく頷く。
それを見て、今度はシリウスも挙手をする。
「なら、俺たちもついていこうぜ。ここからだともう街まで近いし、あなたたちだけでも帰れますよね?」
「あ、ああ……。なら、そうさせてもらうかな。お前も、それでいいな?」
「……わかった」
男性が、苦々しい面持ちで了承した。
お守りは、紅色の小さな袋のような形をしているらしい。絶対に見つけてきてくれ、という熱い思いを受け取り、三人は来た道を引き返した。
空にはまだ淡い水色が残るが、確実に夕暮れが迫っている。完全に暗くなる前に、終わらせなければならない追加の仕事。多少は報酬を上乗せしてくれるといいな、と軽く言うシリウスに、そうだなとイグリは返した。
先程エンニオたちが狩りをおこなった場所まで到着し、シリウスたちはくまなく探す。少し経ったところで、
「あっ」
ライファットが見つけた。日々大切に持ち歩いているのだろうとわかる、色褪せたお守り。
ライファットは他の二人に、お守りを見つけたことを知らせる。
「俺が見つけたんだから、報酬は全部俺のものだな」
「おいこら」
「シリウスさん、夕飯もどこか食べに行きましょう」
「いいね。じゃあお前の好きなビーフシチューにするか?」
「あー、それは最高です」
頭の上にうっとりと好物を浮かべて、早く帰らなければとライファットが一人で先を歩く。あいつのああいうところは変わらないな、とイグリは過去に三人で暮らしていたときのことを思い出す。
「食事のときはシリウスがさりげなく遠慮をして、あいつが少しでも多く食べられるように計らっていたから、お前たちが主従だというのをよく忘れていたよ。まあ、それは今でもだが」
「俺は単に、あいつが腹いっぱい食べるところを見るのが好きなだけだよ」
「確かに。あれはいつ見ても気持ちがいい」
マフラーを揺らす背中から伝わる無邪気な心は、人狼から人間へ向けるにはあまりにも幸福だ。人間次第でいつでもバケモノに堕ちる可能性があるというのに、ライファットという名の人狼は、毒など寄せつけない煌めきに守られている。
「……人狼だって、幸せになっていいはずだ。生きていて、もっとたくさんの感情と世界を見つけていいはずなんだ」
囁くような言葉に、シリウスは思わず横に立つ『身内』を見つめる。そしてシリウスが何かを口にしようとしたとき、早く来てくださいとライファットがよく通る声で催促した。
「はぁ……。食べ物のことになると、あいつは本当にうるさい。シリウス、行くぞ」
「ん……、ああ」
シリウスは、イグリが人狼に対してどのような思いを抱いているかは知らない。教えてくれるなら、知りたいとは思う。
だが、今しがたの言葉に触れるのはよくないと、根拠のない勘が引き留めた。なので開いた口は、ただ白い息を吐くだけに終わった。




