奴隷屋と萬屋 3
墜狼は、逃げる人々を追いかけようとはしない。ただ黙然と、その背中を見つめる。
人間は、自分の身を守るために悲鳴や恐怖をあらわにし、対象にぶつける。そして、死ぬ気で遠ざける。
人狼は、死んだのだ。日頃から途方もないほどの重く荒んだ感情を多勢から浴びせられ、でもいつかきっとわかり合えると、ずっと耐え忍んできたのに、その結果がこれだった。バケモノに、堕とされてしまったのだ。
自分が一体、何をしたの?
せめてそれだけでも教えてと、墜狼は喉を震わせる。自分が納得いく理由を、人から嫌われる理由を。……死ななければならない理由を。
「お前はきっと、何も悪くない。せめて俺だけを恨んで、そして楽になるといい」
がら空きの身体に、数本のクナイが突き刺さった。痛みが走ったことで、びくんと腰を曲げる。墜狼は、クナイが飛んだ方向を見た。
夜中の氷点下によって凍った地面をものともせず、ライファットは素早く駆け出す。墜狼は反射的に、長い両腕を無造作に振り回した。それは攻撃というより、子どもが泣きながら駄々をこねる動作に似ていた。
鋭くとがった指先を流れるようにかわし、ライファットは氷の地面を利用して滑り込み、背後に回る。そのままぐんと迫って、墜狼の右腕を斬り落とした。
黒いバケモノは、喚いた。両目からは涙を流していた。そして残された左手をライファットに伸ばし、何かを求めるようにかすれ声を漏らす。
ぱぁん、ぱぁん、
しかし、非情な二発の弾丸が、墜狼の顔面に深くめり込んだ。シリウスの回転式拳銃である。
人類の火器による、味わったことのない痛みに悶える。その隙に体勢を立て直したライファットの左腕が変形する。めき、めき、と無理やり骨や肉を組み替えるような生々しい音が鳴り、やがて左腕はサソリの尻尾のような形になった。
どすん、と。伸びた刃が墜狼の胸を……煌核を貫く。その一撃で全てが終わった。
煌核が砕かれる。ひねって回し、ゆっくりと引き抜く。広げられた穴から血が噴き出す。自身の足元を濃く濡らした墜狼は、そのまま正面からべしゃりと倒れる。
動くことは、なくなった。
「……いつか俺たちにも、幸せの琴の音が聴こえますように」
能力を解除し、右手を胸に当てて目を閉じる。それは人狼が人狼に送る、別れの一言だった。
爪先から頭部までが枯れていき、灰のかたまりと化す。そして墜狼の身体はさらさらと、冷たい風に乗って消えた。




