奴隷屋と萬屋 2
それから店を開けて数十分後、最初の客がやってきた。背の小さい温和そうな老婆だった。
「家のお手伝いをしてくれる子をね、探しているの。できれば女の人がいいわねぇ」
「なるほど。現在当店には、女性の奴隷は二名います。どちらも三十代です」
「そうなの? お料理が上手で、元気な子がいいわ。私と孫娘のお世話もしてほしいから」
「かしこまりました。そちらのソファーにおかけになってお待ちください」
シリウスが目配せでライファットに指示をする。頷いたライファットは、奴隷の情報が細かく記されたノートを持って地下へ向かう。その間にシリウスがお茶の用意をして、ソファーに座る老婆に出した。
「あらあら……、ジャスミンティーかしら?」
「ご名答です。紅茶、お好きなんですか?」
「若い頃はとてもよく飲んでいたの。……ふふ、紅茶を出してくれる奴隷屋さんなんて、おもしろいわねぇ」
老婆が紅茶を半分まで飲み終える頃に、ライファットが奴隷を連れて戻ってきた。長い髪が広がらないように毛先の辺りで結われ、女性にしてはやや高めの身長。控えめな化粧で飾られた顔は、このまま街に出ても恥ずかしくないほどの作りだった。
「あらあらまあ……。お肌の綺麗な美人さんだこと」
「こちらの奴隷は、お客さまのおっしゃった条件を最も満たしております。……いかがされますか?」
「そうねえ……。少し、お話をさせてもらってもいいかしら?」
「構いませんよ」
老婆は女性の奴隷に、隣に座るよう促した。確認をする奴隷にシリウスが許可を出すと、失礼しますと言って静かに着席する。
それからしばらくの間、老婆と奴隷のおしゃべりが店内に流れる。といっても老婆による一方的な会話だったが、老婆の言葉一つ一つに丁寧に相槌を打って、楽しそうに聞いていた。
最初は邪魔せずに様子を見守っていた青年たちだが、いい加減止めないと終わらないと判断したシリウスが、いかがでしょうか? と笑顔でそろっと割り込む。
「ああ、ごめんなさい。……とても気に入ったわ。この子、うちで引き取らせてちょうだい」
「ありがとうございます」
「お値段、いくら?」
老婆は、肩から下げる小さな鞄を両手で持つ。シリウスはすぐには答えず、笑顔を崩さないまま、ひと呼吸おいてから言った。
「十五万でどうでしょう?」
「まあ十五万? もっと高いかと思ったわ」
シリウスは老婆の話を全て聞いていたわけではないが、かつて大陸遵行隊だった夫に先立たれ、今は夫が遺したお金で、小さな孫娘と二人暮らしをしていることは記憶しておいた。
なので、当初はもう少し高めの値段を提示しようと思ったが、老婆の暮らしと財布事情に配慮して値引きをしたのだ。
他でもない店主が決めたことなので、従業員であるライファットは口出しをしない。また奴隷の女性も、そんな店主の心遣いを察したので、自身の値段に愕然とはしなかった。
お金をいただき、確認書を渡し、契約書にサインをしてもらい、奴隷にはめた首輪をはずす。
「あなた、お名前はなんていうの?」
「……キトリーといいます」
「キトリー、かわいらしい名前ね。これからは一緒に、暮らしていきましょうね」
この名前は、シリウスが与えたものではない。生まれたときより宿した、彼女だけの魂の名だ。
老婆は奴隷の女性……、もといキトリーの手を優しく握り、心を込めて迎えた。
「本当にありがとう。孫もきっと喜ぶわ」
「こちらこそ、本日はありがとうございます」
店の外まで見送るシリウスとライファットに、お礼を言う老婆。そしてキトリーも、今までお世話になりましたと、深く深く頭を下げた。
「じゃあなキトリー。次会うときは、お互い一般人……」
「きゃあああっ!」
突如、どこかの女性の悲鳴がシリウスの言葉を遮った。
シリウスは拳銃、ライファットは短剣を瞬時に握って、四方を見回す。キトリーは老婆を守るように、その小さな肩に手を置いた。
同じく悲鳴を聞いた周りの人たちが、なんだなんだとざわつく。そして誰かが指をさし、全員が同じ方向に視線を集めた。
街の角。
「……ひっ」
一人の男性が、小さく声を漏らす。かすかに開いた唇は震えながら広がっていき、やがて瞳に捉えた〝モノ〟の正体を告げる。
「つ……、〝墜狼〟だああああっ!」
男性の叫びが、凶事の口火を切る。街の中に、墜狼が現れたのだ。
人の姿はかろうじて保たれているが、目が正気を失っている。肌が黒い毒に侵食され、首をがくがくと揺らす。指先が地面につくほど両腕が伸びており、関節があり得ない方向にはずれていた。
一気にその場は混乱状態となり、人々は本能で逃げ惑う。そんな中で冷静に頭を回していたのは、奴隷屋の二人だった。
「とりあえずキトリー、お前はその人と店の中に隠れてろ。俺たちが呼ぶまで、出てくるんじゃないぞ」
「は、はい。わかりました」
キトリーは老婆の足に負担をかけないように、慌てずゆっくりと指示に従う。あらあらとんでもないことが起きたわねぇ、といまひとつ緊張感に欠ける一言をこぼす老婆に思わず苦笑したキトリーは、優しくその背中を押す。
「ご主人さま、お気をつけて」
「ああ、心配すんなって。それと……」
店内へ入ろうとしたキトリーに、振り向いたシリウスは言う。
「俺はもう、お前の〝ご主人さま〟じゃないぞ。その人を新たな主人か、もっと別の存在と認識するかは知らないけど、ひとまず俺への呼び方は変えようか。……名前で呼ぶのが、一番無難だろ」
「……えっ」
なんとも驚いた顔を見せたキトリーは、胸の前で両手を握りしめながら、お名前で呼んでいいのですか? と聞く。
「別にいいぞ。お前が俺の名前を覚えているならな」
「……」
まっすぐに向けられたシリウスの青い両目に、キトリーという女性は、たった一瞬だけ激しく飲み込まれる。そんな感覚を、彼女は味わった。
「……お、お気をつけて」
もう一度同じことを言ったキトリーは、ようやく店の扉を閉めた。
その様子を黙って見ていたライファットが、ぽつんと口を開く。
「……シリウスさんって、あの女とそんなに親しかったですか?」
「えっ? いや、そこまで話した記憶はないけど……。なんでだ?」
「いや、なんとなく思っただけです。それよりも〝俺のご主人さま〟は、あれをどうするおつもりでしょーか?」
「なんだよ、そのわざとらしい言い方は。んー、そうだなあ……。本当なら俺たちも一般人として逃げて、警備隊に退治をお任せしたいところだが……」
シリウスは腰に手を当てながら、警備隊の姿を探す。しかし残念なことに、彼らがこの非常事態に駆けつける気配は全くなかった。
「仕方ない。こっちに来るかもしれないし、俺たちでやるか」
ここまで言って、そういえば『シオン』が手元にないことを思い出し、シリウスは一度取りに戻ろうとする。
「必要ないですよ。俺がなんとかします」
「お、そうか? やっぱ頼りになるなぁ、〝俺の従者〟は」
「でしょう」
何一つ謙遜することなく堂々と肯定してみせたライファットは、するりと片方の短剣を抜いて前へ出る。
「まあ、俺も『リグ』で援護するからさ。安心して行け」
「はい。……俺に当てないでくださいよ?」
「リンゴ一個分の約束ならできるわ」
「そこはレモンにしてください」
「わかったわかった」
昨夜のレモンパイを掘り返したライファットは、短剣をくるりと回して逆手持ちに変える。
そして、
「……墜狼が相手だからな。誰も看取る人がいないなら、せめて俺が送ってやる」
人狼の青年は、そう言った。




