主人と従者 5
白髪の奴隷を出すために、店主はランタンと牢の鍵を持って地下へとおりる。ここで待っているかと聞かれたが、なんとなく、これから供となる者が解放される瞬間を見届けたかったので、自分も行くとシリウスは言った。
食事の時間は先ほど終えたはずなのに、また足音が聞こえてきたせいで奴隷たちは思わず身構える。一人を除いて。
その一人の前に、二人は立った。
今更説明は不要だと、店主は黙って鍵を開ける。白髪の奴隷も、待ってろよと告げて再び現れたシリウスを見て状況を理解し、無言で出てきた。
「えっと……、これからよろしくな」
最初の一言を考えていなかったので、とりあえず挨拶をするシリウス。それに対し奴隷は、
「はい」
普通に答えた。
正直着ても着なくても変わらないような、本当に汚くて薄いぼろ切れの服。伸びるがままに伸びた、ぼさぼさの髪。けれど赤い目だけは、水たまりに映る太陽のような、きりっとした光をたずさえていた。
改めてその姿をじっくりと見て、シリウスの胸は達成感と満足感にあふれた。あと、ちゃんと返事をしてくれたことも、ちょっとだけ嬉しい。
「じゃあ行きますか。そういや、契約書を書いてもらうの忘れてたんで」
「契約書? そんなのがあるんですね」
店主とシリウスが会話をするうしろを、白髪の奴隷が黙ってついていく。
牢から出て、自分の足で外へと歩いていく奴隷を、他の三人が牢の中から静かに見つめる。
奴隷が、買われた。一人の青年に、奴隷が買われたのである。
その瞬間、
「わたしを買ってえええええ!!」
突如、売れ残った三人が一斉に叫び出した。
いつだっておとなしく、触ろうともしなかった鉄格子を両手で強く握りしめ、ガシャガシャと激しく揺さぶりながら、奴隷という身分のものたちは腹の底から叫んだのだ。
突然のことに驚くシリウスと店主だが、白髪の奴隷だけは微動だにしない。
髪が極端に短い女性が言う。
「私を買って! 髪の色は私ではどうしようもないけど、それ以外のことであなたの力になるわ! 私、昔は家事が得意だったの! あなたの好きなものをなんだって作ってあげる! お裁縫や掃除、……よ、夜の相手だってできる! 私なら、きっとあなたの役に立てるわ!」
顔面髭だらけの男性が言う。
「ワタシを買ってくれっ! 歳はそれなりに取っているが、体力はまだ残ってる! あんたが面倒だと思う仕事を、全部引き受ける! 肉体労働なら任せろ! いや、それ以外のことだってやる! なんだってやる! だから頼む、ワタシを買ってくれ!」
まだ幼さの残る少女が言う。
「わたしを買ってくださいっ! 胸はおっきくないし、まだまだ子どもですけど、これからたくさん成長しますから! あなたの望むような女の子になりますから! なんでも言うことを聞きますから! だからお願いです、お願いですからっ……」
「わたしをここから出してえええ!!」
誰が好きこのんで、このようにつらく苦しく、屈辱的な現状を受け入れようか。
人として生を受けたはずなのに、どうして同じ人間から人間以下と蔑まれなければならないのか。
なんで、いつから、自由を許されない身になってしまったの?
枯れかけた喉を死ぬ気で震わせ、普段満足に与えられない水分を両目から流し、牢の外にいるシリウスに訴える。
こんな自分に同情して。哀れだと思って、手を差し伸べて。
女性も、男性も、少女も、〝奴隷〟という地獄から逃げ出したい、ただの人間だったのだ。
「…………」
そんな彼らを、シリウスは横目で見る。思いを一身にぶつけられ、まるで地面を這いつくばる彼らに、足首を掴まれたかのように立ち止まっていた。
この奴隷たちが、本当にアピール通りの奉公をしてくれるかはわからない。その場限りの出任せを言っている可能性だってある。しかし、自由になりたいという思いに、確実に嘘はない。
店主は何も言わない。いや、言えずにいた。こうもはっきりと感情を露わにする奴隷たちに、密かに戸惑っていた。彼らの思いを理解できるからこそ、奴隷屋の店主として〝黙れ〟と叱り飛ばせずにいた。
白髪の奴隷は、やはり表情を全く変えない。
「…………」
やがて、シリウスの足が動く。
無言で、店主を追い抜いて、そのまま上へあがっていった。
彼らの思いに、シリウスは応えなかったのだ。
シリウスの姿が見えなくなると、つい先ほどまで自由への渇望を剥き出しにしていた奴隷たちは、鉄格子を掴んだまま頭を下げて崩れ落ち、めそめそと絶望した。
店主も歩く。白髪の奴隷も続く。
そうして牢の向こうの者が誰もいなくなったあとも、自分の力ではどうすることもできない商品たちは、ただ悲嘆に暮れて泣き続けていた。
「店に簡易シャワーがあります。そこで奴隷を洗うこともできますが、どうします?」
「おっ、是非。お金はかかりますか?」
「いいえ」
「よかった。じゃあお前、行ってこい。念入りに洗えよ。のぼせない程度にな」
シリウスが言うと、白髪の奴隷は頷く。それから店の奥に設けられたシャワーで、長年の汚れを丁寧に流し始めた。
待っている間に、シリウスは店主が出した契約書にサインをする。内容はさほど難しくなく、つまりはこの店を出た瞬間からの保証や責任は一切受けない。客が奴隷に何をしようと、奴隷が客に何をしようと、店を出てからは一切関係ない。それを受諾するための契約書だった。
「ちなみになんですけど、購入して店を出た瞬間に、奴隷に殺された人っているんですか?」
「出た瞬間ではないですけど、購入して二、三日後に殺害されたお客はいますね。あとは隙を見て逃げられたり、全く指示に従わなかったり」
「へえ、俺も気をつけないと」
言葉のわりに余裕が見えるシリウスは、書き終えた契約書を店主に渡す。それを受け取って平たい箱に収めた店主は、ぽつりとこんなことを言った。
「てっきり、〝残りの奴隷も俺が買い取る〟って言うのかと思いましたよ」
「……ええ? 言ったじゃないですか、俺は聖人君子じゃないって」
「けどやっぱり、他の人と比べて、奴隷をまだ人間として接してるように見えましたし」
白髪の奴隷が出たときに、〝よろしく〟と告げたことを指しているのだろうか。
確かに、奴隷によろしくなんて言う者はあまりいないかもしれないが、シリウスとしては、それだけで他とは違うと判断されるのは、どうかと思った。
「まあ別に、他の奴隷たちが嫌とか気に入らないとか、そういうわけではないですけど……」
「けど?」
シリウスはここで、愛想笑いを浮かべる。
子どもっぽさを残した、ちょっとかわいい笑みだった。
「〝厄介だったり面倒だと思った相手は無視していい〟って、昔親から教わったもので」




